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第五話 嘘だろ

 無言のアグニラードに抱かれたまま、今回の夜会に使用したホール周辺の中では最も豪華な控えの間に運ばれた。

 先程の部屋と比べると、広さも調度品の質も二段階ほど上だった。こちらは序列一桁台の魔族用だった。

 何をするためなのか、天蓋付きのベッドもある。いや、まぁ、配置とか家具とか考えたのも俺だけど。なぜなら、性に奔放な魔族たちは放っておくと、パーティの最中だろうと、城の片隅などで行為に及んでしまうからだ。初めて遭遇した時は、「ひえぇぇ〜!」となった。それ以来、魔族の性質を考えれば「するな」とは言えないが、「せめてちゃんとしたところでやれ」と用意したのが、この控えの間シリーズだった。

 その一室にあるベッドの上に、そっと下ろされる。ベンゼルは、護衛として廊下に立つからと、中には入ってこなかった。

 ベッドに下ろされたものの、横になったままなので起きあがろうと腕に力を入れる。それを、そっと押し戻された。

「なんで、抵抗してなかったの?」

 シーツが沈み、アグニラードが被さるようにのしかかってくる。あまり見たことのない、感情のない顔をしていた。

 なんで、と聞かれても。

 力を使いたくなかったからだ、などと言うわけにはいかない。かと言って、一発ヤらせてさっさと終わらせようとしていた、なんて情操教育上良くない。

「ひょっとして、……元々、クエイクとそういう関係だった?」

「は?そんなわけないだろう?心の中で、キッッッショ、って思ってたぞ」

「——……、えっ?……キッッッショ?」

 小さい『ツ』まで完全に再現して聞き返してくるアグニラードに、頷きを返す。

「あんな、男も女も魔族も悪魔も関係なく食い散らかすようなやつと、なんで好き好んでそんな関係にならないといけないんだ。罰ゲームすぎるだろ」

「……罰、ゲーム……」

 アグニラードの顔に、表情が戻った。それを見ながら、良い感じの言い訳を一つ思いつく。

「抵抗するにしても、相手は腐っても序列二位。まともにやりあえば城に被害が出るから、眠らせる隙を狙ってた。それだけだ」

「……そっか」

「そう。だから結果として、お前が来てくれて助かった。少し脅しすぎだとは思ったが、あそこまでやれば今後クエイクが俺に言い寄ってくることもないだろうからな」

 実際、かなり際どいところではあった。もう少しアグニラードの登場が遅かったら、最中だったかもしれない。マグロと化した俺の上で腰を振るクエイク。なかなかの地獄絵図だ。

 ありがとなと頭を撫でると、アグニラードはかわいらしく笑ってから「でもさぁ」とさらに体重をかけてきた。

「隙を狙って、なんて言うけど。……無理じゃないかなぁ」

 アグニラードの指が、俺の脇腹に触れた。

「こら、くすぐりはもういい。俺もすぐ行くから、先に夜会に戻れ」

「挨拶も済んだし、後は好きにしていいって言って出てきた。それより俺には、こっちの方が大事だよ。……隙を狙うんだよね?やってみてよ」

 脇腹をくすぐっていた指が、首元へと上がってくる。親指の腹で、唇をふにふにと押された。

「……ア、アグニラード?」

「隙、狙ってみて?そしたら、俺も安心できるから」

「む、無茶言うな!魔王相手に隙なんて探せるわけ——」

 言葉が途中で詰まる。アグニラードが、俺の耳を噛んでいた。

「ほら、こんなに感じやすいのに、隙を見て眠らせるなんて無理だよ」

「か、か、感じ、やすい?」

 ショックだった。自分の反応がではなく、アグニラードがそんな言葉を使ったことが。

 耳の中に舌が入ってくる。思わず背が反った。逃げようとして逃げられず、シーツの皺がただ、深くなる。

「……シルヴェウス、……俺の、シルヴェウス」

 アグニラードの息が熱い。逃げられない。行き場のない指が、空を掻く。

 俺の頭の中に、今まで見てきた色んな表情のアグニラードが浮かんでは消えていく。

 明るく、優しく、でも時々いたずらもして。

 かわいい、かわいい、俺の小さなアグニラードが。

 大人の言葉を使うようになったことへの成長を祝う気持ちと、どうしても抱いてしまう勝手な寂しさが、俺の心を掻き乱す。

 ——その結果。

「……ぅ〜、……っ……」

 俺は、ガチ泣きしていた。

「シ、シルヴェウス!?」

 今までの雰囲気を一瞬で吹き飛ばしたアグニラードが、慌てて起き上がり、俺の身体も起こしてくれた。

「ご、ごめん!困らせたかったわけじゃないんだ。ごめん!本当にごめん!……シルヴェウスが嫌がることは、もうしないから……!」

 魔王の威厳なんて欠片もなく、両手を合わせてぺこぺこと頭を下げてくる。コミカルな動きだが、その表情は真剣で、傷ついているようにも見えた。

 だから俺は、誤解だけはされないように、鼻を啜りながら口を開いた。

 アグニラードを傷つけるやつは、たとえ俺自身だろうと許さん。

「い、嫌だったわけじゃない……」

 えっ?とアグニラードが顔を上げ、何か言おうとしたが、「先に話を聞け」と上から被せた。

「お前が、大人同士のそういう関係を知っているみたいな口ぶりだったから……。昔は、あんなに小さかったのに。成長を祝いたい気持ちと、置いていかれて寂しいという気持ちが……」

「シルヴェウス……」

 そっと、本当にそっと。俺の前に正座していたアグニラードが、少し距離を詰めて俺を包むように抱き込んだ。

「……ごめんね、シルヴェウス」

「お前は悪くない。悪いのは、お前の親を自認しながら童貞を貫いてる俺だ……」

「そんな……。…………。——……ど、ど、童貞……?」

 そこまで動揺した声で聞いてくるのは、やめてくれ。俺の心に刺さる。

 人間がどうかは知らないが、魔族領では百年以上生きていながら、誰とも体の関係がないなど、普通はありえない。

 子育てを言い訳にするのも卑怯な気がして黙っていると、「そうなんだ……」と何度か頷いていたアグニラードが、ぱっと明るい笑みを浮かべた。

「俺もだよ、シルヴェウス!本体の方は違うだろうけど、『この』俺は童貞。童貞仲間だね!」

 いや、字面。間違ってはいないし、気が楽になったのも確かだが。

 ん?でも待てよ。

「でも、その……さっきのは慣れてる感じだったぞ?」

 初っ端から耳を舐めるのは、かなりハードルが高い気がする。

 だが俺の疑問に、アグニラードはなんでもないことのように答えた。

「本体の影響とかが残ってるのかもね。ベンゼルが教えてくれたんだけどさ、本体のアグニラードって、めちゃくちゃ残酷でめちゃくちゃ暴君で、めちゃくちゃ酒池肉林三昧だったみたいだから」

 お、おぅ……。酒池肉林って、それだけで三昧要素がありそうなんだが。それにさらにつけるのか。相当なヤンチャだな、本体アグニラード。

 でも、確かにそれなら納得できる。

「つまり、素人童貞か」

「言い方!」

 アグニラードからの突っ込みが入る。

 俺たちは、互いに顔を見合わせて笑った。



「さて、夜会に戻るぞ」

「え〜?戻るの?」

「お前は、自分の立場を何だと思ってるんだ。お前に気に入られるために魔族たちが金を出した夜会なんだから、それに応えるのが魔王の義務だろう?」

 大人な一面を見せたかと思えば、すぐに子どもの顔になる。こういうところも、かわいい。

 だが、かわいいからと甘やかすのは、良くない。権力とは、常に責任が伴うものだ。

「それに、俺は腹が空いてる。早々に抜けてきたから、何も食べてないんだ」

 少し乱れていた衣服を整えて、ベッドから降りる。アグニラードが「えっ?」と目を丸くした。

「それ早く言ってよ!ベンゼルと二人で、ほとんどのお皿を空にしちゃった〜!」

「果実水が残ってたら、それでいい」

 以前からあまり食べる方ではなかったが、最近はそれが顕著だ。この身体が、固形物を受け付けなくなってきているのだろう。

「駄目だよ、シルヴェウス。ちゃんと食べないと。料理長さんに言って、作ってもらおう」

 だがアグニラードに、心配をかけたくなかった。

「そうだな。なら、夜会を終わらせてから、食べるとしよう」

「うん!俺もデザート作ってもらっちゃお〜」

 アグニラードの身なりも整えて、廊下にいるベンゼルに声をかけるべく口を開きかけ。

 俺は、今のうちに確認しておこうとアグニラードの名を呼んだ。

「意中の相手がいると言ってただろう?」

「……えっ?あ、うん。……ど、どうしたの、急に?」

「ひょっとして、ヴェンデッタか?」

「…………」

 その瞬間のアグニラードの顔たるや。

 作画崩壊、という言葉が俺の中に浮かんだほどだった。

「……なんで、そう思ったの?」

「強いし偉いし美人だし。二人で踊る姿も、絵になってたから」

「そ、そうきたか〜……」

 目の前から急に、アグニラードの姿が消えた。と思ったら、足元にしゃがみこんでいた。「あ〜」だの「う〜」だの唸りながら何事かを呟き、「これ、今、伝えないと駄目だ」としゃがんだまま、顔を上げる。

「ねぇ、シルヴェウス。俺の好きな人って、確かに偉いし強いし美人だよ?」

「そ、そうか。なら、やっぱり」

「続き聞いて。それに、俺のために生まれてきてくれたんじゃないかって、自惚れちゃうくらい、能力も俺と対になってる」

 暴風のヴェンデッタが?

 いや、でも炎と風は相性がいいからな。

「でも、俺がその人を好きになったのは、偉くて強くて美人で、対になる能力を持ってるからじゃない」

 すくりと立ち上がったアグニラードが、両手で俺の頬を優しく挟む。

「その人が、とても優しくて、温かくて、俺を丸ごと包み込んでくれるからだ。……『アグニラード』を『根こそぎ変えて』しまうくらい、その人は俺を大切にしてくれた」

 軽く、触れるだけの口付け。

 驚く俺に、アグニラードが息だけで笑う。

「やっぱり気付いてなかった。でも、さすがにわかってくれたよね?」

 そんな馬鹿な、という思いが、俺から思考を奪う。

「シルヴェウス、大好き。これからも、俺と一緒に生きてよ」

「——……」

 幸せそうに微笑む、アグニラード。

 俺は、それに答える言葉を。

 何一つ、持っていなかった。

次回第六話は10月21日17時更新です。

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