第三話 夜会①
アグニラードの部屋で少し休み、彼を安心させてから仕事へと戻った。
やることは山積みだったが、休まないと医術師の元に連れて行かれ、診察を受けさせられただろうことは想像に難くない。そうなると、ちょっとまずいのである。俺が雑魚氷をベースにした魔物だとバレてしまう。
魔王城バンヘリアルには、これまた俺がスカウトしてきた魔族の医術師が常駐している。スカウトするくらいなので、もちろん優秀だ。今バレるのは、今後の計画的にもよろしくない。なぜなら魔族領にも、人間たちのような明確な階級による格差が存在しているからだ。
魔族は下の種族の命令などには、絶対に従わない。弱肉強食、実力があれば良いというのは、同じ種族間だけの話だ。今の俺は、よほど弱ってる時に不意を突かれたりしなければ、大抵の相手には勝てる。だがそれでも、魔物だとバレたら魔族たちによって城から追い出されてしまうだろう。アグニラードはそんな真似をしないと信じているが、庇われても逆に困る。魔王と魔族の対立は、最も避けるべき未来だ。
そんなことを考えつつ、千里くんがいる自分の執務室へと戻る。女悪魔はいない。羽を持つ彼女の仕事は、俺への様々な報告だ。側仕えにしているわけではないので、不在でも特に気にはしない。
扉を開けると、クッションの上で寝ていた目玉に「オカエリー」と言われた。テンションがちょっと俺に似ている。魔力を注ぎ込んで作ったせいかもしれない。
だが、ちょっと待ってほしい。
口がないのに、声が聞こえる。
なんでだ。
……まぁ、いいか。細かいことは気にしないでおこう。
「千里くん、勇者たちに動きがあったら知らせてくれ」
「カシコマリンゴー」
やっぱり俺には似てないな。俺はこんな変なギャグは言わない。
座り慣れた、やたら背もたれの高い椅子に腰を下ろし、机の上に積み上げられた書類に目を向けた。
まずはルーチンワークを済ませなければ。
勇者ヤマト対策は、その後だ。
鳥の魔物から作られた羽ペンを手に、俺は一枚目の書類を手に取った。
穀倉地帯の干魃について。
早急に竜使いたちが使役している地龍を派遣し、地脈に直接力を注ぎ込む。
悪魔たちの集落からの、用水路の新規建設について。
予算内なら、許可。オーバーするようなら、プレゼン次第で審議に入る旨。
王城での夜会開催について。
これは上級魔族たちからの申請か。前は、武道会だった。アグニラードの寵愛を得ようと、あれこれ考えてくる。
費用を城の予算から持ち出さないことを条件に、許可。
デモネリア中の上級魔族が集まるのなら、ひょっとするとアグニラードの意中の相手も、その中にいるかもしれない。
教えてくれるかはわからないが、後で聞いてみよう。
どんどんと仕事を片付けていく。俺ができる採決は、さほど重要ではない案件のみだ。
国庫からの支出を必要としたり、まったくの別件が飛び込んできたりした場合は、俺が要点を纏めた上でアグニラードに奏上している。
アグニラードが言うには、「シルヴェウスから回ってきたってことは、オッケーしてくれってことだから、なんかわかんないけどハンコ押してるよ!」とのこと。ちゃんと読め、頼むから。
おかげで、新規許可を得たいものだけを回すようになってしまった。俺が裏で政治を操ってるみたいになるじゃないか。本当にやめてほしい。
「シルリーン、ナンカイベント、キター」
そんでもって、誰がシルリンだ。
誰だ、この変な性格の目玉作ったのは。これも俺だよ。
「音声機能をオンにして、映してくれ」
「カシコマリクエスト」
また変な返事をした千里くんが、ふわりと浮き上がり、壁に勇者の姿を映し出す。突っ込みどころの多い性格だが、実務面では優秀だ。いったい誰に似たのやら。
さて次のイベントは、と映像を眺める。
どうやら勇者ヤマトは、こちらの世界の衣服に着替えて、王宮の式典用のホールにいるようだった。
聖女が王の前で祈りを捧げると、清涼な風が舞い上がる。それに合わせて、妖精が光る粉を降らせた。
勇者ヤマトの周囲に光が集まり、その小さな体へと吸い込まれていく。妖精が「神による光の力だよ!」と伝える。物理耐性や魔法耐性が格段に向上し、さらには光の剣を生み出せるようになる、特別な力だ。物語として読んでいる時は「かっこいい」くらいのものだったが、実際に見ると相当えげつない力に感じられた。子どもでも戦えるように、という配慮なのだろう。大人を呼べ、最初から。
……とは言えこれに関しては、異世界へ無事に渡れる条件が子どもの魂のみだということも、俺の長年の調査により判明している。成長した大人の魂では、負荷に耐えられないらしい。
ということは、俺は召喚されたものの、耐えきれずに死んだ大人だったという可能性もある。こっちの世界で死んで、雑魚氷として生まれた。それなら別の世界の人間の記憶があっても、おかしくはない。あいにく人間の時の記憶も百六十年かけてほとんど失われ、今ではそれを証明できるものは、書き留めておいた勇者ヤマトの冒険の内容くらいなのだが。
「光の力を授かったということは、しばらく修行期間に入るな。確か、月が一巡する程度だったはずだ」
「シルリン、カンシ、ツヅケル?」
「勇者には悪いが、朝から晩まで張り付いて見張ってくれ。変化があれば知らせるように」
「カシコマリボン」
「リボン好きなのか?」
「リボーン」
「復活するな」
無意味な時間すぎる。
音声機能をオンにしたことで、さらに早く魔力が消費されたのか、千里くんは再び「ツカレタワー」とクッションに横になった。
俺は気を取り直し、書類へと向き直った。
やることは、多い。
まだしばらくは問題ないが、死ぬ前に、こうした仕事の引き継ぎもしておかなければ。だが、なんと伝えれば良いのか。
魔王の側近として生きていた氷結のシルヴェウスが実はただの雑魚氷で、もうすぐ寿命で死にます、というのは、アグニラードの評判に傷がつく気もする。
一番いいのは、勇者と相討ちになりました、だろう。と言っても、本当に相討ちになるつもりはない。そう偽装するつもりだということだ。
勇者ヤマトの冒険では、魔王を倒した後の話は書かれていなかった。
華々しいパレードをして、勇者ヤマトが笑顔で手を振って完結だ。
……元の世界に帰れるのか、と単純に疑問に思った。
大人の魂が耐えられないほどの力。召喚には、それだけ莫大なエネルギーを必要とする。
そもそも自分たちの敵を倒すのに、異世界から子どもを呼ぶような連中だ。
親切に帰りの切符を用意するだろうか。
芽生えた疑問に、俺は答えを探した。そしてそれは忍び込んだ光の王国の、教会に飾られた絵物語の中にあった。
歴代の勇者——直近ではアグニラードの本体を倒した者だ——は、全員がその後王国で暮らしたとされていた。さらに言えば、「神の寵愛により、天の国へと呼ばれた」として一人残らず早逝していた。
……つまり。
帰る手段などなく、歴代の勇者たちは、王国で暮らさざるを得なかった。そして理由は不明だが、全員が若くしてこの世を去った。
単に異世界の空気が合わなかったのか、それとも神の力を使用した代償か、あるいは勇者の力が必要なくなったとして謀殺したか。いずれにせよ、勇者たちの未来が明るいものではないことは、確かだった。
それはさすがにあんまりだと、俺の中の親心が言っている。
だから俺は、自分の死の理由として、勇者ヤマトの帰還を利用することにした。
ヤマトの帰還は、必須。それはアグニラードからの承認も得ている。だがその裏にある俺の死の偽装は、誰にも悟られてはいけない。
たとえ、それがアグニラードであっても。
王城での夜会の手筈は、あっという間に整えられた。
城からの出費はないので、計上された費用はすべて要望を出した魔族たちへ請求される。タダで飲み食いできると思えば、料理の手配や入場順などの割り振りも楽なものだ。この辺りの感覚も、人間の縦社会とは違うのかもしれない。
参加者名簿に書かれた名前は、見事に上級魔族ばかりだった。
「わぁ!シルヴェウス、すっごく綺麗だよ!」
控えの間の扉を開けると、中にいたアグニラードが、どえらいかっこよさを振り撒きながら小走りでやってきた。部屋の隅には、着付けを担当していたのだろう数人の悪魔が控えている。
アグニラードが身に付けている黒地に金の刺繍の礼服は、俺が一からデザインしたものだ。蚕の魔物たちに「頑張れ!やればできる!」と、一番強力な糸だけを出してもらって織った布に、蜘蛛の魔物に「燃えても切れない糸!」と無理難題を押し付けて手に入れた強靭な糸を使用している。アグニラードの服は基本、そうした素材の物ばかりだ。俺?俺の分は適当である。着れたらいいんだよ、服なんて。
さすがに夜会のような場所では、アグニラードに恥をかかせないようなものを選んではいるが。
「白い服に映える金色の刺繍。銀色の瞳を飾る、淡い青の髪。まるで真新しい雪を見てるみたいだ」
なかなか詩的なことを言いながら、アグニラードがうっとりと見つめてくる。服が白いのは染織代をケチったからだ、とは言いづらい雰囲気だ。
俺は素直に礼を言ってから、ちょっと曲がっているアグニラードのクラヴァットへと手を伸ばした。
さてはまた自分で結んだな?
「えへへ〜」
俺が直し始めると、ご機嫌な様子で顔を崩した。
「キリッとしてろ。男前が台無しだ」
「だって、嬉しいんだもん」
おっと、かわいすぎる。よしよししたくなるな。
……けどなぁ。
「俺だって、いつまでもタイを結んでやれるわけじゃない。自分でできるようにならないとな」
仕事の引き継ぎもそうだが、アグニラードの今後の生活についても考えておかなければ。
着替えは一人でできるし、歯も磨ける。ただ、やっぱり生活感に欠ける気がしている。
心配だなぁと考えながら、クラヴァットを整える。
「……俺の傍から、いなくなるの?」
不意に振ってきた声に、顔を上げた。
すっかり成長して頭一つ分高くなったアグニラードが、どう言うわけか感情の読めない瞳でこちらを見下ろしている。
俺は首を傾げた。
「なんでそうなる?俺がお前の傍からいなくなるわけないだろう?」
「……だって、今……」
「意中の相手がいるって言ってたじゃないか。ならこの先、めでたく結ばれたとして、だ。その相手と一緒に、パーティや式典に出ることになる。相手が、お前の身支度を手伝えるほど器用なタイプだとは限らないだろ?」
そもそも自分の身支度を相手にさせること自体、いかがなものかと思うが。アグニラードは、デモネリアで一番偉いから良いのである。
俺からの返答に、これまたなぜかアグニラードは驚いた顔をした。
それから抑え切れない、といった様子で声を殺して笑うと、しがみつく形で俺を腕の中に閉じ込めてしまう。
「……とっても器用な魔族だから、大丈夫だよ」
耳元でボソボソと喋られると、くすぐったい。
ていうか、何かしてるな。なんだ?
耳たぶが、じんわりと熱くなった。
「俺からのプレゼント。外さないでね」
抱擁を解いて一歩下がったアグニラードが、明るい笑みで言う。俺は手を自分の耳に持っていった。何かが付いている。指で確かめる。……ピアスだ。
「似合ってる」
そうなのか。俺からは見えないが、アグニラードがそう言うのなら、似合ってるんだろう。
プレゼントか。
そんな気遣いができるくらい、大きくなって。
「な、なんでちょっと泣きそうになってるの!?」
「あんなに小さかったお前が、俺に贈り物をしてくれたんだと思うと。……こう、胸に込み上げてくるものが」
ズビッと鼻を啜りながら言うと、「大げさだなぁ」と笑われた。
「じゃ、行こっか」
黒い手袋をはめたアグニラードの手が、俺の前に差し出される。
「エスコート、練習させてよ。俺のためなら、何でもしてくれるんだよね?」
言われて、先日交わした言葉を思い出した。
なるほど、意中の相手と結ばれた時のための練習か。
本来なら家族という概念の薄いデモネリアにおいて、エスコートはパートナーのみという暗黙の了解がある。
とは言え、俺とアグニラードが親子のような関係であることは、周知の事実だ。変に勘繰られることもないだろう。
何より、こんなに純粋な目で俺が手を取るのを待っているアグニラードを悲しませたくはない。
「よろしく頼む、アグニラード」
気楽な気持ちで白い手袋をつけた手を重ねると、実に恭しく手の甲にキスを落とされた。
「——……まかせてよ、シルヴェウス」
金色の瞳が、揺れたように光る。
おお、かっこいい。
今ちょっと、クラっときそうだった。
立派な魔王となった姿に大満足しながら、俺はアグニラードとともに会場へと向かったのだった。
次回は10月19日17時更新です




