第二話 絶対に幸せにするからな
百六十年前。
赤ん坊の分体アグニラードを連れて魔王城から逃げた雑魚氷の俺は、しばらくの間、魔族領の片隅で育児をしながら暮らしていた。赤ん坊の食事が乳ではなく魔力だったのは、幸いだった。失った分を取り戻しているのだと考えると、理屈は通る。
洞窟に居を構え、小さな魔物を狩ってはアグニラードへと与えた。摂取できる魔力が少ないせいなのか、アグニラードの成長は普通の魔族よりもずっと遅かった。
そうした生活が二十年ほど続いただろうか。俺にも変化が訪れた。より大きな獲物が狩れるよう、日々魔力を高め続けた成果か、身体が人型へと変わったのだ。手と足が生え、声が出るようになった。正直、ありがたかった。アグニラードも喋り始めていた頃だったからだ。これで教育面でもサポートできる。
人型になったことで魔力も増加し、雑魚氷の頃に比べると格段に強くなっていた。
さらに時間は流れ、育児開始から五十年目。少年へと成長したアグニラードとともに魔物を狩り続けていると、いつの間にか俺たちを中心にした集落が形成されていた。彼らから得た情報で、魔王城は完全に崩壊したこと、生き残った他の魔族や悪魔たちは魔王の復活を信じて身を潜めていることなどを知った。
良いタイミングだった。
勇者とその仲間たちも、寿命を迎える頃だろう。
俺は記憶のないアグニラードに、彼が魔王であることを告げ、同時に魔族領中にそれを宣言した。
魔族の国デモネリアの復活である。
「シルヴェウス、身体が冷たいよ」
「氷結のシルヴェウスだからな」
薄い砂糖菓子を摘むよりも繊細に、魔王の居室にあるカウチに下ろされる。頬に触れたアグニラードが、慌てて毛布を持ってこようとするのを、手のひらを向けて止めた。
俺に言わせると、アグニラードが熱すぎるんだ。今はまだ大丈夫だが、この先アグニラードが完全に力を取り戻したとしたら。本気を出せば、俺の身体なんて簡単に溶けてしまう。そんな気がした。
しかし気遣いは嬉しく、礼を伝えるとアグニラードは「えへへ」と笑って、俺にくっつくようにして隣に座った。
かわいすぎる。魔族国の未来を考えると、記憶が戻った方がいいのかもしれないが、俺の親心が「もう少しこのままで」と手を合わせていた。
「えーと、それで、勇者ヤマトがついに召喚されたんだよね?」
本題も忘れていなかったのか、ちゃんと話を振ってくる。賢い。
俺の肩に甘えるように頭を乗せて見上げてくるアグニラードに、「そうだ」と答えて、千里くんを通して見た映像を伝えた。
——この世界が、『勇者ヤマトの冒険』の世界だと気付いたのは、今からちょうど百年前のことだ。俺がアグニラードと暮らし始めて五十年目、つまり百十年前に魔族たちは魔王の復活を知ったわけだが。その後俺は、何度かぶっ倒れながらも崩壊した魔王城に代わる新たな拠点を十年かけて完成させた。
それがこの氷でできた新たな魔王城、バンヘリアルだ。ちなみに家具は、悪魔の中にも職人がいるのでそこで作ってもらった。色や形は、すべて俺の趣味である。アグニラードの部屋は、カーテンも絨毯も、ベッドのシーツも暗い赤を基調にしている。彼の姿が、よく映える。素晴らしい。
城を完成させた俺がしばらく寝込んでいる間に、アグニラードの周りには復活を知った魔族たちが帰ってきていたようだった。
そこで俺は「……誰だコイツ」みたいな彼らの視線を浴びながらも、この世界についてや周辺の地理、勇者についてなどを詳しく聞いて、「……あれ?この世界って、人間だった頃の俺が読んでた児童書じゃね?」となったわけである。
自分の魔生でMVPを決めるとしたら、まさにあの瞬間だった。
おかげで今日に至るまで、先手先手でことを運ぶことができている。
「魔王を倒せる光の剣かぁ……。召喚された勇者に罪はないんだし、その剣だけ取り上げたりできないかな?」
異世界から少年が勇者として召喚されたこと。王から装備と路銀を与えられて、妖精と聖女とともに魔王討伐の旅に出ること。勇者が持つ光の剣は、魔の存在を滅ぼせる神の力が宿っていることなどを聞いたアグニラードが、素直な疑問を口にした。勇者に罪はないと気付く、その優しさに、胸を打たれる。
「それができれば手っ取り早いんだが。光の剣は、勇者の心から生み出される剣だ。物質というよりもエネルギー体に近いから、勇者しか持てない仕様になっている」
「えぇ〜……」
ずるずるとアグニラードの頭が下がり、俺の膝の上に落ちてくる。かわいい。小さい頃と全然変わらないな。
内包する魔力の温度がそうさせるのか、アグニラードの髪は俺よりも硬く、触るとツンツンとしている。ボサついているともいう。櫛を通してやらないと。こんな時のために、俺は櫛を持ち歩いている。
アグニラードも、今はもう発展しまくりの広大な魔族領を治める魔王なのだから、身だしなみはキチンとしなければ。
「勇者の相手は俺がする。お前はいつものように、過ごしていればいい。この間は、東の岩山に穴を開けて道を作ったんだって?みんなの生活を考えていて、偉いぞ。自慢の王様だ」
括っていた紐を解いてやって、櫛で髪を梳きながら言うと、「シルヴェウスに褒めてもらいたくて頑張ったんだ」と返ってきた。うちの子、かわいすぎる。こんなにかわいいと、悪い魔族に攫われちゃわない?心配だ。
魔王の本質がそうだったのか。はたまた、俺の育て方が良かったのか。
アグニラードは、以前の魔王からは想像もできないほど、真っ直ぐで明るく、仲間想いの魔族に育っていた。
少し優しすぎるとの声もあるが、魔族たちからの評判も概ね好評だ。俺は生まれたての雑魚氷だったので知らなかったのだが、分体になる前のアグニラードは、かなりの暴君だったらしい。魔族や悪魔たちとしては、今のアグニラードは弱体化したとは言え、それでも充分なほどの力を持っている。さらには魔族領に住む者を想い、未だかつてない規模でデモネリアを発展させているとなれば、支持しない理由はないとのことだった。
魔族たちの忠誠は厚く、すべてがとは言えないが、それでもデモネリアは豊かな地となった。南の農業地帯では魔力を循環させて土壌を改良し、寒冷地でも安定した食料を得られるようになった。
西には塩が採れる山があり、東は交配により家畜化した魔物を使って肉を生産している。
百年かかった。
この先アグニラードが豊かに暮らしていける基盤が、ようやく完成した。
——児童書の勇者などに、壊されるわけにはいかない。
「ほら、起きろ。髪を結び直してやるから」
髪を梳き終わったので、身体を起こして、背中を向けてもらう。
それにしても、立派に育ったもんだ。かわいかった顔に、最近では精悍さも加わってきた。男女問わず、熱い視線を向けられている。
百六十年前は、あんなに小さかったのになぁ。いや俺も、雑魚氷だったから小さかったけど。
黒い髪を纏めて結びながら、俺は魔族の婚姻について考えていた。
魔族は悪魔や魔物のように、交配によって子孫を残したりはしない。寿命自体がない彼らは、子孫を必要としないからだ。どうしても子孫を必要とする場合は、二体の魔族がそれぞれ魔力を合成し、一体の魔族を作り上げる。つまり、まぁ、人間が夜の営みをして子をもうけるようなものだ。
この場合、親となる者の性別に括りはない。一定以上の魔力さえあればいいので、男女でも、男男でも、女女でも良い。デモネリアにも、この百年でそうして生まれた魔族が何人か住んでいた。
まったくの余談だが、夜の営み自体は魔族にも存在している。ただ、目的が繁殖に依らないせいか、かなり自由な風潮だった。俺も、城に住むようになってから、色んな魔族に言い寄られた。見た目がめちゃくちゃ良いからな、この身体。元は四角い雑魚氷なのに。
愛がすべてとは、言わない。だがアグニラードのおかげで人間の価値観とは違う生も楽しめた俺としては、彼の周囲を、彼を愛する者たちで埋めてやりたいと願っている。
人間にとっての脅威?
んなもん知るか、だ。
俺にとって一番大事なものは、大切に育ててきたアグニラードなのだから。
「ところでアグニラード、……その、最近どうだ?」
聞き方!と自分でも突っ込みそうになったが、他に聞きようがなかった。
案の定、アグニラードも首を傾げている。今のは俺が悪い。
「あー……、その、好きな魔族とか、悪魔でもいいが……、そういう特別な相手はできたか?」
今は俺がアグニラードの側にいるが、今後、彼にそういう相手ができたら場所を譲らなければと考えている。
俺からの質問にアグニラードは視線を天井に向けて少し考えた後、こちらを向き、「いるよ」と彼にしては珍しく大人びた笑みで答えた。
い、いるのか……!
……少し寂しいが、これも成長だ。
「そうか。それは、……は、伴侶に、し、したいという、意味でいいのか?」
Q:なんで噛んだ、俺。
A:そういう経験がないからです。
仕方ないだろう。生まれてすぐアグニラードの育児に入ったから、そんなことにまで気を回せるほど暇じゃなかったんだ。
人間だった頃の記憶のせいか男性体を持つ俺の股間には、アレがちゃんとある。だが使用したことはない。百六十年生きれば、もういいよ、という気さえしていた。
「そうだね、伴侶にしたい。ていうか、する。絶対に。逃がさないよ」
「そうか、そうか。お前もそんな年頃なんだな」
少し物騒な内容に聞こえたが、アグニラードの表情はいつものように爽やかで明るいものだった。物騒に聞こえたのは、気のせいだな。言葉選びが、魔族寄りなだけだ。
「もう!子ども扱いしないでよ〜!」
その証拠に、アグニラードは俺を包むように、ぼふっともたれかかってきた。うんうん、まだ子どもだよ。
「お前がンマンマ言ってた頃から知ってるんだ。俺にとっては、ずっとかわいい子どもだよ」
「——……」
ポンポンと背中を撫でると、アグニラードの手も俺の背中を這った。くすぐったいぞ、甘えん坊め。
指先で背骨をなぞられる。声には出さなかったが、思わずウヒッとなった。
「こ、こら……!」
「くすぐってるだけだよ」
あぁ、昔はよく、風呂を嫌がって逃げるアグニラードを捕まえて、くすぐったっけなぁ。今じゃアグニラードの方が一回り大きいから、俺の力じゃ抜け出せない。さすが魔王様だ。
アグニラードの手が、背中から腰へ、そして脇腹へと回り、胸元まで上がってくる。
あの頃の仕返しなのか。散々くすぐられて笑い疲れた俺がグッタリとアグニラードの腕に寄りかかる頃になって、ようやく解放された。
……し、正直、危なかった。
ちょっと気持ちよくなりそうだった。
くすぐられるだけで気持ちよくなるとか、アグニラードに申し訳なさすぎる。
「……ごめんね、シルヴェウス。やりすぎちゃった」
アグニラードの、剣を握り慣れた硬い指が、俺の口元を拭う。えっ?涎?ひょっとして、涎垂れてた?恥ずかしすぎる〜!
「い、いや……、笑いすぎた俺が悪い……」
荒い息のまま、よっこいせと身を起こし、アグニラードの腕から抜け出して座り直す。
くすぐられて話が脱線したが、意中の相手がいることはわかった。
俺は「さっきの話だが」と前置きした上で、話を戻した。
「伴侶にしたいってことは、まだ相手に気持ちは伝えてないのか?」
「そうだね、これからかな。……でもちょっと不安なんだ」
なんだと?俺のアグニラードを不安にさせる奴は許さん。
だがここで「振られたら相手を氷漬けにしてやる」なんて言おうものなら、俺はただのモンペだ。それは良くない。励ます方向でいこう。
「お前なら、大丈夫だ。いつでも相談に乗るから」
「……ほんと?」
「あぁ、本当だ。お前のためなら、俺はなんでもしてやる」
俺の返事を聞いて、せっかくカウチの端に寄って距離を取ったのに、またアグニラードが詰めてくる。今度は膝枕というよりも、俺の膝に顔を埋めてにおいを嗅ぎ始めた。
やめなさい。変態ぽい見た目になってるぞ。
「……シルヴェウス、……大好き」
太ももにかかる息が熱い。
「俺も大好きだよ」
俺は櫛を通して柔らかくなった黒い髪を撫でながら、アグニラードが想いを寄せる相手は誰なんだろうなぁ、と考えていた。
寿命のない魔族のアグニラード。
彼をこの先支えてくれる相手がいることに、心からの安堵を覚えた。
雑魚氷として生まれた俺は、魔族でも悪魔でもない。
——ただの、魔物だった。
名前があるのは、俺に人間としての記憶が存在していたからだ。名前は当然あるものとして、アグニラードを育てる中で意思の疎通がスムーズになるようにと、適当に考えて自分でつけた名前だった。それが魔の者たちにとって、非常識中の非常識だったと知ったのは、ずっと後のことだ。
その時にはすでに俺は、周りから魔族だと思われていた。
アグニラードでさえも、現在進行形でそう思っている。
こうなると正直に言い出すこともできず、俺は寿命がないゆえに顔見知りばかりになっている魔族の中に突然現れた新魔族として、何食わぬ顔で生きることになってしまった。
だが魔物の寿命は多少の個体差はあれど、百五十年前後。
さすがにそろそろ限界がきていた。人間だった頃の意識も、「長生きしたな〜」と感じている。
ベンゼルが指摘した顔色の悪さや、アグニラードが言った肌の冷たさも、無関係でなかった。
雑魚氷は、この辺りが退場の頃合いだ。
アグニラードの周囲は、ベンゼルを中心として、戦闘が得意な魔族で構成された親衛隊が守りを固めている。
魔王城バンヘリアルも、恒久的に存在できるように造った。さらには、侵入者に対しては絶対零度の要塞へと変わる仕掛けも施した。
かわいい、かわいい、俺のアグニラード。
大丈夫だ、何も心配しなくていい。
俺が死ぬ前に、必ずお前を幸せにしてやるから。
次回第三話は10月18日17時更新です。




