第一話 俺のかわいい魔王様
勇者ヤマトの冒険、という名の児童書があった。
とある世界のとある国の少年たちが、一度は読んで憧れる冒険譚。少年ヤマトが、不思議な妖精の力によって異世界へと渡り、魔王と戦う剣と魔法の物語だ。
内容はわかりやすい一本道で、ある朝、通学途中のヤマトは草むらの中で倒れている小さな妖精を見つける。ヤマトの呼びかけで目を覚ました妖精は、特別な力を持つ者でなければ自分を見つけることはできないと明かし、「復活した魔王を倒して世界を救ってほしい」と告げる。
そうして異世界へと渡ったヤマトは、案内人である妖精と、光の王国の聖女との三人で魔王が住む北の地へと旅立ち、長旅の末に魔王を無事討伐して世界を救う。
最後は、世界の平和を祝う王国をパレードの先頭でヤマトが手を振るシーンで幕を下ろす。
——……ついに来たか、勇者ヤマト。
自作の偵察用目玉悪魔、『千里くん』が投影する映像を見ながら、俺はやたら背もたれの高い椅子の上でゆったりと脚を組み替えた。白い手袋をつけた指を軽く顎に添え、思案する。少し長めの襟足の淡青色の髪が、氷のように煌めいた。
側に控えていた黒いドレス姿の女悪魔が「シルヴェウス様、かっこいい……!」と頬を染めて、こちらを見つめている。もっと褒めてくれ。
ちなみに足を組み替えた理由は、ちょっと痺れ始めたからだった。
「……予想通り、今のタイミングで勇者が異世界より召喚された。アグニラード陛下を探して伝えてきてくれ」
「かしこまりました!」
答えた女悪魔が、蝙蝠のような羽を広げて窓から飛び出していく。
なんで扉を開けて回廊を歩いていかないんだ。この城造ったの、俺なんだぞ。ちゃんと使ってくれ。
そんなことを思いながらも言えるはずがなく、千里くんによって青白い壁に映し出されている光景を見やった。
光に彩られた王国、リンセントにある大聖堂。見上げるのも難しいほど高い天井まで伸びたステンドグラスの前に、フードを深く被った白装束の女と、この世界では見かけない作りの服を着た少年がいる。少年の周りには虹色の羽を持つ、少女姿の妖精が楽しそうに舞っていた。
勇者ヤマトの冒険、冒頭のシーンだ。
音声機能はオフにしているので声までは聞こえてこないが、何を話しているのかはわかる。まずは、先代勇者に倒された魔王が復活した話。そして王国の成り立ちと世界の平和についてを少年に聞かせてから、神の力を受け取る流れになる。
……魔王の復活については、人間側も百年前には知ってたはずなんだがな。ずっと放置しておいて、勇者を呼んだ途端騒ぎ始めるのは、人としてどうなんだ。
「……子ども時代に読む分にはいいが、実際見ると、子どもに何させてんだ、って感じだな」
指を軽く振って、千里くんに「もういいぞ」と合図を送った。瞼もないのに瞬きした手のひらサイズの目玉が、映像を消して窓際へとフワフワ飛んでいく。それから丸いクッションの上に着地して、「ツカレタワー」と呟いてから寝始めた。
千里くんの能力は、その名の通り千里眼だ。俺が五十年かけて、頑張って作った。よほど強い結界でも張られない限り、狙った場所をリアルタイムに映し出す。強力な力の分、消費する魔力もそこそこ多い。今までの我が国、魔族が住むデモネリアにはなかった技術だ。
初めて披露した際、魔王アグニラードはその金色の瞳を太陽よりも輝かせて喜んでくれた。
「……アグニラード。大丈夫だ、俺が守ってやるからな」
椅子から立ち上がる。
魔王への報告の補足のため、どこもかしこも青白い、氷でできた城の回廊へと出た。
——ここは、とある世界に存在する魔族の領。
勇者ヤマトの冒険で、少年ヤマトが長い旅の果てに倒す、魔王『アグニラード』が治めている地だ。
俺がそれに気付いたのは、今から百年前。とある事情によりぶっ倒れた俺が、回復した時のことだ。だが今はその話よりも、俺にとってすべての始まりである百六十年前の話をしたい。
当時から、魔族の国と人間諸国は激しく対立していた。戦いは長く続き、血も多く流れた。
やがて人間たちは、神の力を使って勇者を召喚した。
その時の俺は、モブAとして魔王城に出現したばかりで。取り柄といえば初級の凍結魔法を出すくらいの、大した自我もない青白い氷の塊だった。
ふわふわ浮いているだけだった俺の目の前で、魔王アグニラードは勇者によって倒された。
その瞬間どういう理屈か、俺は自分が元人間で、しかもこの世界とは別の世界の者であることを思い出した。
自我を取り戻したことに驚く間もなく、魔王アグニラードの身体が崩れ落ちていくのが見えた。勇者とその仲間たちは、崩壊していく魔王城から慌てて撤退していった。
俺も逃げようと思った。自我を取り出してすぐに死ぬなど、ごめんだった。
だがそこで、俺は見つけてしまった。
魔力も枯渇し、乾いた土のように割れて崩れていく魔王の身体の中から現れた、小さな赤ん坊を。俺の中にある見知らぬ知識が、『魔王の分体』だと告げていた。
魔王ほどの力を持つ魔族は、万が一自身が滅ぼされても復活できるようにと、力の一部を分けておくことができる。俺の目の前には、その一部が赤ん坊という形を持って、魔王を完全な滅びから守っていた。
手も足もない、ただの氷の塊の俺は、おっかなびっくり赤ん坊へと近づいた。
全ての光を吸収するような黒い髪と、強く輝く金の瞳。
そして……。
「……ンマ……」
赤ん坊の言葉。
俺はなけなしの雑魚魔力を使って氷で籠を作ると、天井から壁からどんどんと瓦礫が落ちてくる中、赤ん坊を連れて魔王城から逃げ出したのだった。
「シルヴェウス様、お伝えしてまいりました」
回廊を歩いていると、先ほど窓から出ていった黒いドレスの女悪魔が飛んできて俺の前に着地した。少し垂れ目のおっとりした印象の彼女は、階級的には『魔族』の下の『悪魔』になる。違いは魔族とは違い寿命がある点と、他者との交わりで繁殖ができる点。
魔族領には、上から順に『魔族』『悪魔』『魔物』の三つの種族がいて、魔族は人間たちの基準で言うところの貴族に近い地位を持っていた。悪魔は魔族に仕える立場で、人間領にもいる魔物はさらに寿命が短く、魔族領では道具や家畜として使役されることが多い。
「陛下は今どこに?」
「中庭です。ベンゼル様率いる親衛隊の訓練をご覧になられています」
問いかけに対する簡潔な答えに頷いて、足を城の中庭へと向けた。
一度外に出て、氷の壁沿いに回り込む。
デモネリアは、常冬に支配された不毛の地だ。何もしない状態なら、植物は育たず、木は皆枯れる。太陽の光はかろうじて存在するが、神が「そうあれ」としたのか、デモネリアの上空だけ一枚幕をかけたかのように薄暗く濁っていた。
しばらく歩くと、剣戟の音が聞こえてきた。片方は、アグニラードの剣だ。彼の特徴や癖がよく出ている。もう一方は、魔王親衛隊隊長である、ベンゼルのものだろう。
剣には詳しくない俺だが、ほぼ互角の戦いをしているように聞こえた。
「模擬戦をされているようですね」
後ろをついてきていた女悪魔が、音を聞いて口を開いた。余談だが、女悪魔と呼んでいるのは、彼女には名前がないからだ。魔族たちには名前があるが、悪魔や魔物には存在しない。つけることを許されていない、ともいう。悪魔や魔物の名付け行為は、魔族のみができる。人間とは全く違う、『魔の者』たちの価値観だ。俺としては名前をつけてやりたいところだが、立場上それをすると、心身ともに彼女の所有者になってしまうので、実行はしていない。
外から回ると、城の中を通るよりも早く中庭へと辿り着くことができた。結局自分も回廊を使っていない。広すぎるからだ、城が。誰だ、造ったのは。……俺だよ。アグニラードのために安全な城を造ろうと頑張りすぎた感は、自分でも否めない。
中庭へと着くと、気配で俺の接近がわかっていたのか、中央で剣を交わしていた二人が同時に戦いを止め、俺の方を見た。
周囲には、魔族のみで構成された親衛隊の面々もいる。
「シルヴェウス!」
笑顔が眩しい。
俺の太陽。
俺の可愛いベイビー。
百六十年経って、すっかり成長した魔王アグニラードが、手を振りながらこちらにやってくる。
まるで、飼い主に呼ばれた大型犬のようだ。生えていない尻尾が見える気がした。
肩より少し長いくらいの髪は、後ろで無造作に結ばれている。俺もそこそこガタイは良い方だが、身長も体格も三十年ほど前に抜かれてしまった。
内包する魔力も、身を包む覇気も、全てが他の魔族と一線を画している。
まさに、魔王だ。
かっこいい〜。
俺のアグニラードが、かわいかっこいい〜。
「勇者ヤマトが現れたって聞いたから、ベンゼルに相手をしてもらってたんだ」
「そうでしたか」
よしよしと頭を撫でると、アグニラードは嬉しそうに笑った。
はぁ、かわいい。癒される。
分体魔王アグニラード。
俺が手塩にかけて育てた、かわい子ちゃんである。
本体が消滅し分体となったアグニラードは、今までの記憶をすべて失ってしまっていた。
自分がかつて暴と力で世界を蹂躙していた魔王であることも、長い長い間、魔族領を治めてきたことも、なに一つ覚えていない。
おまけに、強さも未だ回復しきってはおらず、全盛期からは程遠い。
とは言えそうした事情を踏まえたとしても、人間側から見れば、百六十年前の俺がやったことは悪の所業だった。
滅びかけていた魔王から分体を救い上げ、城から逃げ出し、成長するまで匿った。アグニラードを倒した勇者と仲間たちが知れば、絶望さえ感じたかもしれない。
だがその勇者たちも、もういない。人間の寿命は短く、魔族の成長さえ見ることなく尽きてしまう。
だから王国は、何度でも勇者を召喚するのだろう。
「ヤホヤホ、シルヴェウスちゃん、顔色悪くない?お疲れちゃん」
アグニラードに少し遅れて、桃色のゴージャスな巻き毛を持つ女魔族がやってくる。人間でいうところの「美しい顔立ち」を持つ彼女の中身は、完全にギャルである。剣にも鎧にも、キラキラした飾りが付いている。絶対邪魔だろ。
それでも彼女は、デモネリア屈指の実力者だ。
魔王親衛隊隊長、ベンゼル。昔は魔族領から離れて暮らしていたが、俺がスカウトして連れてきた。魔族の中でも、一、二を争う剣の使い手で、通称『雷撃のベンゼル』と呼ばれている。
今時二つ名って……、などと言ってはいけない。アグニラードは『炎獄のアグニラード』だし、俺だって知らない間に『氷結のシルヴェウス』と呼ばれるようになっていた。魔族には名字がないから、これらが実質名字みたいなものだ。
こういう名前って、いつ誰が最初につけるんだろうな。正直、身に余るので、俺の二つ名は『雑魚氷のシルヴェウス』とかがよかった。
「シルヴェウス、具合良くないの!?駄目だよ!」
俺のかわいいアグニラードが、ベンゼルの一言で顔色を変える。
ひょい、と肩に担ぎ上げられた。
……いやいや、待て待て。
「陛下、おやめください」
「勇者の話をしにきたんでしょ?俺の部屋で休みながらしよう。ベンゼル、後は頼むね」
「オッケ〜」
ベンゼルは城にいる者の中で一番長寿なのに、一番態度が軽い。
そんなことを思っていると、アグニラードが地を蹴った。
あっという間に地面が遠ざかる。
「……アグニラード、下ろせ」
俺は配下たち前では改めていた言葉遣いを、二人きりの時のものに戻した。
「やだ。シルヴェウス、放っておくと無茶ばかりするんだもん。俺だってもう、大人だ。少しは頼ってよ」
百六十歳は、魔族基準だとまだまだ少年と青年の間だ。だが人間の時間を知っている俺としては、大人という言葉に「それはそう」という感覚もある。
確かに最近、勇者召喚の気配を感じて、様子を探るのに忙しかった。
アグニラードの部屋に休ませてもらいながら、今後の話をするのは悪い選択ではないだろう。
肩に担がれた状態で、了承するようにアグニラードの背中を叩くと、魔王らしからぬほんわかした気配を感じた。




