第二十話 またお前らか
き、気合いだーー!!
広場の噴水にダイブして、何とか事なきを得た。
水の感触も冷たさもわからないが、水を被ったという事実と、被れば酔いも冷めるという思い込みでいけた。いけるのかよ、と自分でも思った。
頭の中がぼーっとして、思考が散漫になって。
それでも理性の最後の一欠片を使って、ダイブした。
噴水があってよかった。
ざぶりと水から出て、濡れてはいないが絞る真似だけする。
周囲を見渡してから、ようやく「ここはどこだ?」と考える余裕ができた。
噴水があるということは、王国の正門周辺のようだ。篝火が二つ並んでいるのが見えた。門はまだ開いているらしい。
宿から随分遠くにきてしまった。時間もどのくらい経ったのだろう。
……アグニラードが心配だ。急に俺がいなくなって、不安に思っているかもしれない。自分がこうなった理由は気になるが、アグニラードのことを思えば、まずは安心させてやりたかった。
というか、千里くんは今の状態の俺でも、千里眼で姿を追えるのだろうか。千里くんには俺が見えてはいるが、『目の前にいる』などの条件付きだったりはしないだろうか。
どちらにしても、アグニラードはすでに俺を探して宿を飛び出してしまっているかもしれない。この、まったく見知らぬ土地で。
……こっちから探した方が早そうだな。
アグニラードと接続した時に千里くんが言っていた、「アタラシイ、チカラ、メバエソー」のフラグ回収を、そろそろ期待したいところではあった。
とりあえず宿の方角を目指すかと歩き出した俺の鼻を、またあの甘い香りがくすぐった。
クラっときそうになるのを気合いで抑え、周囲に目を向ける。これはちょっと、いやかなりまずいな。俺を探してるだろうアグニラードには悪いが、先にこちらを何とかしなければならないようだ。
慎重に、香りがどこから流れてきているのかを探る。頭が痺れるような感覚がある。ぐったりと横たわって眠りたいような、あるいは逆に走り出したくなるような。マタタビを嗅いだ猫みたいだな、と考えて、とてもしっくりきた。
誰だ、人を猫にしようとしてるのは。
しっかりしろ、と頬を叩き、足に力を入れて香りが強い方へと向かう。
それは、正門近くから漂ってきていた。
「ご苦労さん。明日のミサの準備か?」
「えぇ。そちらは仕事帰りですか?」
「おう。今日は、ちょ〜っと色々あってなぁ」
脇を流れる用水路の前で、カンテラを提げた二人の男が立ち話をしていた。
片方に見覚えがある。疲れた顔をしたガタイの良い、スキンヘッド。昼間会った、冒険者ギルドのギルド長だ。
もう片方はかなり若く、人間に多い、茶色の目と髪を持っていた。首から足元まで、すっぽりと隠れる白い服を着ている。光の王国の神官服だ。
顔に見覚えはなかったが、俺の目は彼が手にしている袋に吸い寄せられていた。
「ギルド長さんともなると、抱えるトラブルも荒っぽいものばかりでしょうし、大変でしょうね」
「……まったく、その通りだ。鼻の下伸ばした馬鹿どものせいで……」
ブツブツと文句を言っていたギルド長が、「おっと、すまんすまん」と頭を掻いた。
「忙しいのに、呼び止めて悪かったな」
「いえいえ。こちらの『清めの粉』を撒く場所の確認に来ただけですので」
神官が、手にしていた袋を軽く掲げる。
「清めの粉?」
「えぇ。大神官様から、明日のミサのためにと特別に賜ったものです」
袋からは、甘い匂いがしていた。だが彼らは何も感じていないようだ。
俺にだけ、思考を乱すような効果がある。
妖精が聖女に渡していた粉を、思い出した。
〈魔物を呼ぶ、粉〉
思わず口にしていたが、今の俺は誰に見えないので気にしない。そんなことより、なぜ神官があの粉を持っているのか。その方が気になった。
神官の口ぶりでは、明日ミサのためのものらしいが。
魔物を呼ぶ粉を撒けば、光の王国が魔物に襲われることになるのではないだろうか。
「……み、御使い様……?」
持っているのはこの神官だけなのか、それとも他にもあるのか。いつ渡されたのか。すでに聖女は戻ってきているのか。多くの疑問が浮かぶが、まずは目の前の粉の使用を止める方が先だ。
しかし、姿が見えない状態でどうやって——……。
「その青みがかった宝石のような髪、尊き輝き帯びた銀色の瞳。貴方は、もしや御使い様なのでは!?」
……ん?
今すごく、自分の見た目の特徴を煌びやかな形容詞とともに言われた気がする。
俺は袋ではなく、神官に視線を向けた。
……がっっつり、目が合った。
〈み、見えてる……?〉
「あぁっ!声もお美しい!」
急に神官のテンションが上がった。怖い。
「……お、おい。何が見えてんだよ。そっちには、誰もいねぇぞ?」
ギルド長も、ちょっと怖がっていた。
だがテンションのおかしさを除けば、俺にとっては願ってもないことだった。
この神官には、俺が見えている。修行の成果かどうかは知らないが、幽霊が見える系の人だ。なら、交渉の余地はある。
俺は怪しまれないよう、控えめに微笑んでから、胸に手を当てて頭を下げた。
〈初めまして、神官殿。俺は——〉
シルヴェウス、と名乗ろうとして、勇者ヤマトが『町や村を氷漬けにしてきた魔族のシルヴェウス』と言っていたことを思い出す。
名前は言わない方が、良さそうだ。
〈俺は御使い様と呼ばれる存在ではありませんが、あなたの敵でもありません。どうか話を聞いていただけませんか?〉
できるだけ、下手に出てみる。神官は俺が『御使い』ではないと否定したことで一瞬警戒したが、タイミングよくギルド長が「説明してくれよ」と声をかけてくれたおかげで、気を逸らすことができた。
「えぇと、ですね。私の目の前に、とても美しい方がいらっしゃるんです。神書で、御使い様は人とは思えぬ透き通った美しさをお持ちだと習いましたので、てっきり……」
ちょっと待て。特徴が似てたとかじゃないのか?判定が雑すぎないか?
「まるで、清き流れのほとりに咲く、ブルースターのようなお姿。本当に御使い様ではないのですか?」
おっと、急なこっちに話が来た。だいぶ夢見がちだな。
いっそ肯定した方が話が早いのかもしれないが、バレたら面倒だ。
〈残念ながら、違います。しかし、あなたにお伝えしたいことがあります。その手にお持ちの、袋の中身について〉
「これですか?」
神官が、手にした袋を軽く掲げた。それだけで、匂いが強くなる。
「待ってくれ。オレにも説明してくれって。アンタ、幽霊とか見える系のアレか?」
ギルド長の声は、完全に困惑していた。神官と、神官の視線の先を交互に見ながら首を傾げている。何も見えない者からしたら、神官の行動は奇行でしかない。
そのことにようやく気付いたのか、コホンと咳払いした神官が、『普通の者には見えない誰か』がいることを説明してくれた。
「それって魔霊とか、そんな類の魔物じゃねぇのか?」
説明の結果、疑われた。それはまぁ、そうだろう。
「何を仰るんですか、ギルド長さん。こんなに美しい人を前にして。そもそも、魔物がここにいるわけないでしょう。王国には聖女様による結界が張られてるんですから」
そして神官の返答も、一理あった。美しい云々はさておき、光の王国には魔除けの結界が張られている。魔除け封じであっさり突破されているが、その辺りはデモネリアの技術によるものなので、イレギュラーと言っていいだろう。
ちなみに俺は、魔除け封じさえ必要なかった。
死んでいるからなのか、シルヴェウスという魔物が神の力である青の結晶から生まれたからなのか、それとも魂が異世界の人間だからなのか。突破できそうな理由がありすぎて、結界が無効化できているのなら、何でもいいかという気になっている。
「え〜?ちょっと確認してもいいか?」
パシャっと周囲に水が散った。
ギルド長が懐から取り出した小瓶の蓋を開け、中の液体を撒いたからだ。流れるような動きと、口調の割には冷静な判断に、彼が経験してきた場数の多さを感じた。
撒かれたのは、聖水だ。人間領にいる魔物になら、そこそこ効くのかもしれない。あいにく俺には、たとえ身体があったとしても、効果が弱すぎて意味はないが。
「どうだ?」と尋ねるギルド長に、神官が「まったく平気そうです。というか、失礼ですよ」と呆れていた。
「魔物じゃないなら、本物の幽霊ってやつか?」
〈幽霊が一番近い状態ですね。身体の方は、事情があって消えてしまったもので〉
「……だ、そうです。なるほど。迷える魂というわけですね。大丈夫、貴方にも神の御導きがありますよ」
神官が通訳してくれる。かなり思い込みは激しいが、ごく普通の善良な人間に見える。
とは言え、これから俺が話す内容を信じてもらえるかは、また別の話だ。
それでも伝えるしかない。
袋の中身が撒かれてしまえば、王国が魔物の群れに襲撃されてしまう。
俺は、「お伝えしたいことについてですが」と前置きをしてから、慎重に言葉を選んだ。
〈神官殿。あなたが持っているその袋の中身は、どのようなものなのでしょうか〉
まずは、神官が『袋の中身』について何を知っているのかを確認する。
俺の問いかけに神官は、誇らしげに胸を張った。
「こちらには、大神官様から賜った、魔物を封じる聖粉が入っています。明日は特別なミサになるとのことでして。王国に魔物一匹近づくことがないようにという大神官様のご配慮により、明日、ミサの前に聖粉を使用するという大役を仰せつかりました」
聖粉、という言い方で中身が『妖精の粉』であると確信した。どういう原理で魔物を呼び寄せていたのか不明だったが、結界を素通りできる俺が理性を無くしそうになるくらいの強力な誘引剤なら納得だ。
同時に、説得の難しさに直面していた。
どうやっても、信用してもらえる未来が見えない。神官の口調からは、大神官への信頼と尊敬が滲んでいる。こんな状態で「その袋に入ってる粉は魔物を封じるどころか、逆に呼び込む効果がありますよ」と説明しようものなら、果たしてどうなるか。一発で敵認定、交渉決裂だ。
かと言って、「信じられないなら、撒いてみろ」などとは絶対に言えない。だがここで止めなければ、予定通り粉が撒かれてしまう。
それとも神官が真相を知らないだけで、元々そういうパフォーマンスなのだろうか。彼は『特別なミサ』だと言っていた。大勢の人が集まるミサで魔物を呼び、結界の強固さを見せつけて、神の威光を知らしめる。勇者を戦わせていたマッチポンプと似たようなやり方だが、信仰心を高める効果はあるのかもしれない。
しかしその場合、集まった魔物はどうするつもりなのかという疑問が残る。それに、王国の外にいる者たちが危険に晒されるのではないだろうか。となると、やはり粉を撒かせるわけにはいかない。
さてどうしたものかと悩んでいると、突然「ギルド長!やっと見つけたぜ!」と怒鳴る声が聞こえてきた。
「治療費がオレら負担って、どういうことだ!」
昼間、騒ぎを起こした冒険者たちだ。ベンゼルに顎を粉砕された男もいる。顔には、包帯がぐるぐると巻かれていた。
うんざり顔のギルド長の前までくると、リーダーらしき男が唾を飛ばす勢いでまくし立てた。
「オレらは被害者なんだ!見ろよ、コイツの顔!治癒師の魔法でも完全には回復しなかった!おまけに、費用が金貨ニ枚だと!?あのスカした連中に払わせればいいだろうが!」
一気に全部説明してくれたな。
つまり彼らは、ベンゼルに負わされた怪我の治療費に不満を持ち、わざわざそれを言うためにギルド長を探していたというわけか。自分たちが揉め事の発端だと理解していないからこそ、出てくる考えだ。他責思考すぎる。
「金貨二枚で歯は元通りになったんだろ?ならそれでいいだろうが。こっちは、あの人らの荷物を漁った泥棒探しで忙しいんだよ」
「なーにが泥棒だ。あんな安い宝石、数日分の飲み代にしか——」
「今、なんつった?」
失言に気付いたリーダーの男が慌てて口を押さえるが、もう遅い。面倒くさそうな表情をしていたギルド長の雰囲気が、一変した。
〈荷物から中身抜いたの、お前らか。小悪党ムーブのフルコンプすぎるだろ〉
アグニラードが言っていた通り、無くして困るものではないが、気分が良くなかったのは確かだ。
「御使い様、彼らをご存知なのですか?」
独り言を聞きつけた神官が、問いかけてくる。名称が勝手に御使い様になっている。
俺は少し考えてから「今日この国にやってきた俺の身内と仲間に手を出した挙句、荷物を盗んでくれた連中のようだ」と答えた。それをさらに神官がギルド長に伝え、ギルド長が「幽霊さん、あの人らの知り合いなのかよ……。あの人、滅びた王国の王様とかじゃねぇよな……頼むぞ……」と天を仰いでいた。滅びた王国ではないので、そこは安心してもらいたいところだ。
夜空を見上げていたギルド長が、ふう、と大きく息を吐いてから冒険者たちを見た。
「昼間の一件の後、オマエらの評判を調べさせてもらった。ランク降格も検討せざるを得ないくらいの素行だったが、……窃盗も、となると。冒険者剥奪も視野に入れさせてもらう」
「ふざけんなよッ!」
「そりゃ、こっちの台詞だ。馬鹿どもが」
至極真っ当なギルド長の言い分に、冒険者たちがくってかかる。
「皆さん、落ち着いて」
そこに神官が争いを収めようと割って入ろうとして、リーダーに突き飛ばされた。
「あっ!」
よろめいた神官の手から、弾みでポーンと例の袋が投げ出される。
〈ちょっと待て!〉
反射的に手を伸ばしたが、今の俺では受け止めるなんてできるはずもなく。
開いた袋の口から、光る粉がぶわりと辺りに飛び散った。
次回第二十一話は11月5日17時更新です。




