第十九話 ハンカチ一枚分の宿
頼むから宿の手配をこちらでさせてくれ、とギルド長に頼み込まれた。
盗まれた品の奪還と、犯人の割り出し、そして処分についても約束された。
もはや目立たないという当初の目的は跡形もないが、それでもこれ以上深く関わられるのは困る。泊まる宿を把握されたり、盗まれた品を通じて接点が生まれるのも、正直あまり良くはない。つまりギルド長の申し出は、こちらにとってはメリットがないものだった。
彼には悪いが、クエイクから「話を大きくしたくない」と丁重に断りを入れてもらう。さすがに納得してくれたらしく、渋々ながら引き下がってくれた。……ただし最後の頼みとして、ハンカチの買取を打診された。
なかなか粘る男だな。だがこれは受け入れた。その辺で売却するよりは、正しい値段をつけてくれると判断したためだ。
その結果。
ハンカチは、小袋いっぱいの金貨になった。
ギルド長の話によると、アラクネの糸だけでも貴重品だが、クイーンアラクネとなると市場にはほとんど出回らないらしい。ちなみにさらに上があり、キングコクーンと呼ばれる芋虫が吐き出す糸になると、一玉で城が建つと言われていた。……キングコクーンって、あれか。アグニラードの礼装用の生地を作ってくれてる、蚕の魔物たちか。いい仕事をするなぁと思ってはいたが、人間領ではそんな高級素材だったとは……。
色々と新しい発見がありつつ、宿を探した。泊まるのは一晩だけだが、こういう時に出し惜しみするのはよくない。値段の高さは安全性に比例する。この目立つ面子で平和に過ごしたかったら、ここはハンカチの売却費をすべて充てるべし。俺のその一言により、最高級宿の最高級の部屋が無事確保されたのだった。
「シルヴェウス〜!会いたかった〜!!」
いわゆるキングスイートに当たる部屋に通された後、アグニラードは速攻で千里くんを袋から出して俺の居場所を聞いていた。
〈隣にいただろ。というか、牢屋でも話してただろ……〉
優秀な千里くんは、もちろん同時通訳をしてくれている。
「でも一分一秒でも早く話をしたくて……」
最強魔王がモジモジしながら身を捩らせている。俺から見るとかわいいが、客観的に見るとどうかな?と冷静に思う自分がいたりもした。
俺があちこち見ている間も、千里くんに居場所を聞いて俺の後をチョロチョロと付いてくる。部屋は主寝室が一つと、予備の寝室が二つ。それとリビングに浴室も備え付けられていた。主寝室には、ちゃんと姿見もある。鏡があるのは素直にすごい。
「人間の宿にしては、そこそこ良い部屋ですね。浴室は、デモネリアでは蛇口から湯が出ますが、こちらは使用人を呼んで湯を張らないといけないようです。まぁ、人間領の限界でしょう」
〈言っておくが、給湯システムを構築してデモネリア中に整備したの、俺だからな?〉
「そ、そうだったのですか!?」
「クエイク、お風呂だけじゃなくて、前のデモネリアになくて今のデモネリアにある便利なものは、ほとんどシルヴェウスが作ってくれたんだよ?魔王城もそうだし、南西にある湖も、今はリゾート地になっちゃってるけど、元は魚の養殖場としてシルヴェウスが作ったもので、農業地帯の灌漑設備なんかもシルヴェウスの考案なんだから」
「……ぞ、存じ上げず……」
「いまだに魔族の中にはシルヴェウスのことを、魔王の育ての親っていう立場を笠に着て権力を握ってる新参だと思っている者がいるみたいだけどね。……シルヴェウスが気にしてないって言うから、俺もそのままにしてるけど」
「…………」
クエイクが気まずそうに黙った。こいつも思ってたクチか。
だから俺にちょっかいをかけてきた、というのもあるんだろうな。半分興味、半分探り、くらいの感覚で。
俺としては、侮られることはマイナス面ばかりではないと考えている。優劣で相手を見る者は、立場が下だと認識した相手には本性を見せるようになる。そしてそれはアグニラードへの叛意がないかを見極めるのに、役に立つ。
そんなことを千里くんから伝えてもらうと、なぜかクエイクは顔色を変えて「数々のご無礼、申し訳ございませんでした」と俺がいる場所に向かって頭を下げた。
ベンゼルは、そんなクエイクを見て「シルヴェウスちゃんの凄さ、今頃知っても遅いっつの」と笑っていた。
油を燃料とする街灯が、通りをぼんやりと照らしていた。デモネリアでは、夜になると『ヒカリゴケ』と呼ばれる苔を灯りとして用いているが、人間領では松明や蝋燭が主流らしい。異世界から人を召喚できるだけの魔法技術がありながら、不思議なものである。
それとも故意に、不便を強いているのだろうか。俺にはわからないが、過ごしにくいのは確かだ。宿の窓から通りを見下ろしても、賑わいはない。日が暮れると、歩く者もほとんどいなくなっていた。時折、カンテラを提げた者が行き交う程度だ。
俺たちの部屋にも使用人が蝋燭を灯しにやってきたが、自前のものがあると断った。ついでに食事も風呂もこちらでやるので、世話をしなくていいと伝えてある。
変に明るいと不審がられてしまうので、まずは窓のカーテンを閉める。ガラスの質が良くないのか、少し隙間がある。そこから隙間風が入ってくるのか、カーテンが揺れた。仮にも王国の最高級宿なんだが、大丈夫か人間領。
俺の心配をよそに、アグニラードが魔力による炎を出して、空中に浮かべた。
炎獄のアグニラードは、火に関するものを自由に操る。酸素を消費せず、代わりに魔力を使うので、水中でも燃え方は変わらない。
明るさはそのままで、熱だけ出力しないこともできる。すると今のように、部屋を照らすだけの熱くない火球ができあがる。夜は灯りを付け、寝る時は消す。多少暗くても人間よりは視界が確保できるが、こういうのは習慣である。
それなりに魔力を消費するが魔王の魔力はほぼ無尽蔵なので心配もいらない。充電器になったり、ルームライトになったり。便利な魔王様である。
「言っとくけど。陛下を雑用に使えんの、シルヴェウスちゃんだけだかんね」
呆れたように言うベンゼルに、俺は肩をすくめた。
〈仕方ないだろ、便利なんだから。洞窟に住んでた頃は、俺が出した氷をアグニラードが溶かして風呂を沸かしてたりしてたしな〉
昔は、亀に似た魔物の甲羅を浴槽代わりにして、毎日一緒にお風呂に入っていた。最初は湯加減の調整が難しく、蒸発したり、逆に水のままだったりした。何回も繰り返すうちにアグニラードの火加減も上手になってきて、そのうち俺が食事を用意している間にアグニラードが湯を沸かす、というのが日課になっていた。
懐かしい思い出だ。
「うわ〜懐かしい〜!ねぇ、シルヴェウス。身体が元に戻ったらさ、昔みたいに一緒にお風呂に入ろうよ!」
かわいい提案だ。
俺は深くは考えずに頷いた。
〈あぁ、いいぞ〉
「……言質、取ったからね?」
一瞬だけキラリと光った金色の目が、昔のアグニラードと重なった気がした。
胸の鼓動が一つ跳ねる。
ひょっとして俺は、危険な約束をしてしまったのでは。
〈ま、待て、アグニラード。やっぱり——〉
「できない約束はしない。一度した約束は守る、って教えてくれたの、シルヴェウスだよね?」
「陛下、こんな時だけ策士なのウケる。入浴剤いる?ストロベリーの匂いの」
「絶対いる」
「湯上がりのボディオイルも色々あるけど」
「吟味したいから、一回見せて」
「りょ」
連携に阻まれて、断る隙がない。そこにクエイクが手を上げた。
「邪魔はしませんから、覗いてもいいですか?」
いいわけないだろ。
「いいわけなくて草。てゆーか、死ね」
俺の代わりに、ベンゼルが変態を殴ってくれる。
なんでこんなに脱線したんだ。俺が風呂の話をしたせいか。千里くんに頼んで「マジメナ、オハナシ、スルヨー」と声をかけてもらうことにする。
アグニラード特製の灯りの下で、各々がソファに腰を下ろす。俺もアグニラードの隣に座った。
〈大聖堂の門は、ミサの時間だけ住民にも解放される。当然ながら、王国を覆っているものよりも強い魔除けの結界が張られているが、これについては持参した魔除け封じがあれば問題ない。……気になるのは、王国側の動きだが〉
「聖女と妖精は、まだ王国には戻ってきてないのかな?」
〈……問題はそこだな。千里くんも、まだ聖女たちを見つけることができていない。大聖堂に動きがあった様子もない〉
時間的には、俺が死んでから丸二日経っている。妖精がワームちゃんと同じように複数人の輸送ができるタイプだとして、そのスピード次第では光の王国に到着している可能性は考えられた。
〈勇者がいない以上、聖女たちは必ず光の王国に戻ってくる。俺の予測が正しければ、次の勇者を召喚しようとするはずだ。世界を越える力を持つ、『青の結晶』を使って〉
召喚魔法が頻繁には使用できないことは、歴史が証明している。俺の魔物ボディも、崩壊がかなり進んでいたとはいえ、帰還魔法一発で立てなくなるくらいのダメージを受けた。……とどめを刺したのは本体の聖女だが、どちらにしても死は間近だった。
〈青の結晶については、未知の部分も多い。だが聖女が『やっと見つけた』というくらいだから、替えが効くものでもないんだろう。ただの魔物だった俺を、高位魔族と同程度の強さにまでしてくれたしな〉
これは推論だが、もしかすると俺は氷の魔物ですらなかったのかもしれない。異世界に来て死んだ元人間が、何らかの作用で小さな魔物に生まれ変わって。その時に、たまたま青の結晶を持っていた。
なぜ持っていたのかはわからないが、色んな偶然が積み重なってシルヴェウスになったんだろう。思い返してみると、自分に名前を付けた辺りから、魔族のような身体に変化していったように思う。あれも分岐の一つだったのかもしれない。
〈青の結晶が現在どこにあるのかについてだが。これも千里くんの目には映っていない。……つまり、本体の聖女が持っている可能性が極めて高い〉
「聖女たちが秘密裏に王国に戻って来ていれば、明日のミサで何か動きがあり、青の結晶を取り戻すチャンスもあるかもしれない。逆に戻ってきていなければ、我々は安全に大聖堂の中を調べることができる。……ということで、よろしいでしょうか」
す、と手を挙げてクエイクが問いかけてきた。
〈そういうことだ。こちらの情報は本体の聖女により、ある程度抜かれてはいるが、それでも『俺がここにいる』ことを知らない。だから、魔王がこっそり忍び込んでいるだなんて、夢にも思わないだろうな〉
「なぜですか?」
「シルヴェウスちゃん、なんで?」
今度は同時に問われた。これについては、逆に聞いた方が早い。
〈二人とも、人間領への潜入を聞いた時、忌避感を抱かなかったか?〉
問いかけると、二人がこれまた同時に口ごもった。
俺には見えて、彼らには見えていない、魔族の特性。自分の力のみを信じる超個人主義の価値観が、ここでも顔を出す。
〈自分たちよりも弱く、劣った人間に擬態して忍び込むなんて……、と思ったんじゃないのか?〉
案の定、図星だったようだ。
ベンゼルが肩を揺らし、クエイクは言い当てられたことに眉を寄せていた。
〈別に嫌味で言ったわけじゃない。それが魔族としての価値観だと、俺も理解している。ただ俺は元人間だから、魔族が本能的に避ける作戦も普通に思いついた。だからこそ本体の聖女も、俺たちがここにいるとは考えない。それだけだ〉
「……人間と、魔族の違い……」
クエイクの驚き方を見るに、本気で気付いていなかったらしい。今まで人間と交流することもなかっただろうしな。むしろどっちの気持ちもわかる俺が、イレギュラーなだけで。
〈魔族に比べたら、人間は弱いし寿命も短い。その代わり、彼らは勇者を呼べる。俺には、始めから対立が用意されていたかのように見える〉
「……ねぇ、シルヴェウス。それって、魔族と人間の争いを望んでる誰かがいるってこと?」
〈多分な。そして、そいつがお前を苦しめている原因だと、俺は考えている〉
もしそれが『神』と呼ばれる存在なら、勝ち目はないかもしれない。けれど同時に、俺の元人間としての感性が、それを否定してもいた。
『勇者ヤマトの冒険』の世界。
その小さな箱庭で繰り返される争いを見て楽しめる者は、……ただの俗物だ。
正体を暴いてみせる。
そう考える俺の視界で、ふわりとカーテンが揺れた。
さっきも突っ込んだんだが、一番良い部屋なのに窓に隙間があるのは、いかがなものかと——……。
甘い、匂いがした。
なんだこれ、と思った。
思った時には、身体が壁をすり抜けて、外に出ていた。
「シルリーン!?」
部屋の中から千里くんの叫び声が聞こえた。そういえば千里くんには俺が見えているが、千里眼で投影した映像には映るのだろう。
いや、今はそんなこと考えている場合じゃなくて。
駄目だ。
匂いが、甘くて。
思考がまとまらない。
今はこの香りをもっと嗅ぎたいと。
それしか考えられなかった。
次回第二十話は11月4日17時更新です。




