第十四話 前を向け
「待って、シルヴェウス。……今後の話をする前に、伝えておきたいことがある」
千里くんに伝言を頼み、俺もどこか空いてるところに座ろうかと思っていた矢先。身を屈め、床を見つめていたアグニラードが、ぽつりと呟いた。
伝えておきたいこと?
首を傾げる俺の視界に、「あ……」と零したベンゼルが慌てて口を噤むのが見えた。クエイクと、部屋の隅に控えていた女悪魔は、俺と同じように表情に疑問を浮かべている。
「ベンゼル、みんなを外に出してくれ」
「かしこまりました」
りょ、じゃないパターンのベンゼルを初めて見た。女悪魔に「部屋から出て」と告げ、隣にいたクエイクをソファから蹴り落としている。序列二位への扱いが雑すぎる。
「もっと優しく扱ってくれ。ボクが何したって言うんだ」
「うっさい。シルヴェウスちゃんへのセクハラ、まだ許してないかんね」
さらに蹴り飛ばそうとしたベンゼルに、「わかったよ」とクエイクが急いで部屋から出た。
段々良いキャラに見えてきたな、あいつ。聖女がアレすぎたせいで、ちゃんと味方としてここにいるクエイクが、相対的に善人に見える。男も女も食い散らかして、常時痴情のもつれで周囲に血が絶えないようなやつなのに。
「それでは、陛下。御前失礼いたします」
そしてベンゼルは、言葉遣いが丁寧だ。知ってたんだな、敬語。
ベンゼルたちがいなくなると、室内は物音もなくなって痛いほどの静寂に包まれた。
アグニラードは、まだ俯いたままだ。
「……シルヴェウス。俺の前に座って話を聞いてほしい」
お、おぅ。いいぞ。
改まった様子に、俺はテーブルを挟んで対面のソファに座った。
こんな状況であえて話す必要があることって、なんだ……?死んでまで傍にいるなんてキモいとか言われたら、どうしよう。それとも、勇者ヤマトに、アグニラードが王としての仕事をサボってるところを隠し撮りして見せたことだろうか。後者は、うん、まぁ、俺が悪いな。
かなりドキドキしながら、アグニラードの言葉を待つ。
長い沈黙の後、ようやく小さな呟きが耳に届いた。
「……百年前、この城を造ってくれた時。力を使いすぎて、しばらく昏睡してたことがあっただろ?」
そういえば、そんなこともあった。目が覚めた時に、アグニラードが泣きながら俺の顔を覗き込んでいたから、よく憶えている。
見えてはいないだろうが、「それがどうかしたのか?」と首を傾げると、アグニラードは「ごめん……」と謝罪の言葉を口にした。
「その時に……。多分だけど、シルヴェウスが倒れたショックで……戻ってたんだ、記憶……」
——……ん?
……えっ?
俺が千里くんに伝言を頼む前に、アグニラードが髪を掴むようにして自身の頭を抱えて、さらに項垂れた。
「……唐突に、でも当たり前に。俺は自分が残酷で、非道で、暴虐の限りを尽くしてきた魔王だったことを思い出した。……人間領に侵略もした。村も町も焼いたし、大人も子どもも関係なく、たくさん殺した。人間だけじゃない、魔族も悪魔も、数える意味なんてないくらい、血の河を作った」
それは、思いがけず、俺の精神を深く抉った。
アグニラードの記憶が百年も前に戻っていたからじゃない。
彼の口から、かつての悪逆がはっきりと語られたからだ。
「人間が、嫌いだった。憎かった。だって彼らは、何度も俺を殺しにくるんだ。俺は、ただ魔王として生まれただけなのに。何度も、何度も、何度も、何度もッ……!」
〈落ち着け、アグニラード〉
俺は千里くんに、俺の声をすべて伝えてもらうように頼んだ。
少しきつい言い方だったかもしれないが、混乱を加速させつつあったアグニラードが、ハッとしたように顔を上げる。
〈お前の前にいる。ちゃんと、聞いてる。だから、一つ一つ、話をしていこう〉
「……シルヴェウス」
状況を考えれば、悠長に話をしている場合じゃない。だが今ここで解決しなければいけないことだと感じていた。
千里くんの通訳越しではあるが、話ができる環境なのはありがたい。今更ながら千里くんがいなければ、色々詰んでた可能性に気付く。作った俺、よくやった。
〈……まず、記憶が戻っていたのは、正直驚いた。全然気付かなかった〉
これは、少し嘘だった。
正確にはヴェンデッタの姿をした聖女との会話で、その可能性に気付いていた。ワームちゃんによって勇者が連れて来られるまでの、あの空いた時間での会話だ。けれど、隠そうとしていた本人にそれを伝えてもプラスにはならない。だから黙っていた。
代わりに、質問をした。
アグニラードの正確な年齢は知らないが、少なくとも人間だった頃の俺の年齢に百六十年を足した時間よりも多く生きているのは確かだろう。「記憶が戻る前ならともかく、戻った後は子ども扱いされて気まずかったのではないか」といった内容を問うた。
するとアグニラードは、ゆるゆると首を横に振った。
「……逆なんだ、シルヴェウス。俺は……、子どもの振りをしていれば……シルヴェウスに愛されたままでいられると思ってた……」
それは意外な、けれどもどこか納得できる答えでもあった。
「人間も、魔族も悪魔も、俺を恐れた。それだけのことをしてきた。でも、……でもシルヴェウスは」
声が詰まり、視線が再び下を向く。
「……っ、俺を守り、育ててくれた。夜は一緒に寝てくれたし、物語の読み聞かせもしてくれた。本当に、ただの小さな子どもとして。俺を大事にしてくれた。——長い時の中で、俺はようやく見つけたんだ……」
長い時の中で。その言葉は、以前にも聞いたことがあった。
魔王城を造った俺がしばらく寝込んで、目を覚ました後、アグニラードに
強く抱きしめられながら聞いた言葉だ。
「シルヴェウスがいてくれるのなら、俺はもう何もいらない。人間を憎く思うこともない。……だから、言えなかった。昔の残酷な魔王の記憶が戻ったなんて知られたら、嫌われると思った」
でも、と、アグニラードが喉から声を絞り出すように続けた。
「俺が、シルヴェウスを……、こ、殺してたなんて……っ」
大きな声ではない。けれども俺には、心からの慟哭に聞こえた。
アグニラードの噛み締めた唇から、血がぷつりと零れる。
「……今でも、はっきりと憶えてる。勇者と同じ、黒い髪に黒い目の人間だった。でも勇者にしては弱そうだから、侵入してきた人間だろうと思って殺そうとした」
最初の一太刀でほとんど死んでいた、とアグニラードは語った。肋骨は斜めに叩き斬られ、腹部からは内臓が出ていた、と。
それでもその人間は、「兄ちゃんが守ってやるからな」と叫び、排除した障害物の側を通り過ぎようとしたアグニラードの首に噛みついた。
「……怖かった。怒りでも憎しみでもなく、初めて俺は誰かを『怖い』と思った。その首を斬り飛ばして、焼いた。ただの人間の肉は、あっという間に灰になった。形が崩れて消えて、やっと俺は安心した」
アグニラードの手が、俺を探して宙を彷徨った。シルヴェウス、と名を呼ばれる。
「ごめん……、ごめん……!ごめんなさい……っ」
俺はテーブルなんて何も関係なく、アグニラードの真正面に膝をついた。下から覗き込むように、その後悔と苦痛に満ちた顔を両手で包み込む。
「オーサマ。シルリーンハ、オーサマノ、スグメノマエニ、イルヨー」
千里くんの声に、表情を歪めたアグニラードが続けた。
「……俺は、ずっと知ろうとも思わなかった。でも、今になって気が付いた。あの人間がシルヴェウスだって知って、その死をもたらした者が自分だって知って。……俺が奪った命の中にも……たくさん、たくさん、いたはずなんだ。誰かの大切な人が……っ」
どうして俺は、こんな時に限って死んでるんだろう。
直接言葉も届けられず、触れられず。
「今の俺と同じ痛みを持つ人を、ずっと、……ずっと俺は生み出してきた。笑いながら、憎みながら」
泣きながら自身の過去と向き合うアグニラードを、見つめることしかできない。
「人間が俺を滅ぼそうとするのも、当然だ。俺は存在しちゃいけない。……だけど、何回死んでも、気付いたらまた魔族領にいるんだ……。見た目は違うのに、中身は勇者に滅ぼされた俺なんだ。他の魔族は、そんなことにはならないのに。俺だけ、痛みも憎しみも、全部持ってるままなんだよ……」
その言葉に、俺は光の王国には歴代の勇者がいたことを思い出していた。
彼らは、魔王を倒した後に早逝していた。そしてその魂は、次の勇者の光の剣となった。
繰り返される、勇者の英雄譚。それには、定期的に現れる魔王の存在が不可欠だ。そしてその役目を、アグニラードが担っていた。
「勇者に滅ぼされる度に、憎しみが積み重なっていった。光の王国を滅ぼせば助かるかもしれないと思って、侵攻した時もあった。でも結局、あの光の剣には勝てなかった。……ねえ、……俺はどうしたらいい?シルヴェウスは、もう死んじゃってるんだよね?だったら、俺も連れて行ってよ!お願いだから……っ!」
〈——……わかった〉
千里くん越しに伝えた言葉に、アグニラードが呆然と、目を見開いた。
「……ほ、本当に……?連れて行ってくれるの?過去のシルヴェウスだけじゃなく、命を奪い続けてきた俺を……」
〈連れていく。もしまたお前が魔王として生まれたとしても、俺がすぐに殺してやる。何度でも、殺してやる〉
「シルヴェウス……」
〈アグニラード〉
俺は、アグニラードの涙に濡れた頬を繰り返し撫でた。たとえアグニラードがそれに気付くことがなかったとしても。
繰り返し。
繰り返し。
〈理由がなんであれ、お前はたくさんの命を奪ってきた。普通なら、その報いは、同じ死によって贖われるべきなんだろう。だけどそれは、お前にとっては唯一の救いなんだな〉
「……うん……っ、そうだよ、シルヴェウス……、だから早く俺を……」
〈だったら、今は駄目だ〉
俺は、アグニラードの瞳が絶望に染まるのをわかっていて、それを告げた。
「な、なんで……?」
光の剣さえなければ最強であるはずの魔王が、おろおろと視線を彷徨わせる。
自分でもかなり酷なことを言っている自覚はあった。アグニラードの話から察するに、彼は何度も勇者によって滅ぼされ、そこから生まれた憎しみによって人間たちの命を奪ってきた。最初がどちらからだったのかを探る行為に、もう意味はない。光の王国の歴史の長さを考えれば、それはこの世界の始まりにまで遡りそうだったからだ。
でもだからこそ、俺は断ち切るべきだと考える。
〈聖女は、光の剣の正体が前の代の勇者だと知っていた。元の世界に戻れた勇者の名前は『ヤマト』。先代の勇者、俺の弟の名前も『ヤマト』だ。二人とも、光の剣を手に魔王を倒す旅に出る勇者ヤマトということになる。偶然にしては、おかしい〉
「それは……そうだけど……」
だから何?とでも言いたげな魔王様の頭を、俺はペシっと叩き、千里くんに「今、頭を叩いた」と伝えるように頼んだ。
「な、なんで?」
〈お前、ムカつかないのか?〉
「……えっ?」
感触もないくせに頭をさする真似をしたアグニラードが、目を丸くする。
〈俺はめちゃくちゃムカついてるぞ。この際、お前の過去の魔王っぷりは置いといて、だ〉
「そこ置いたら駄目だと思うんだけど。あいた!……感触ないけど、今絶対叩いたよね?」
おぉ、よくわかったな。魔王の勘、侮れない。でも、そこはまぁ、スルーしておこう。
〈お前の人生……じゃなかった、魔王生を無理やり作ってるやつがいるってことだろ?だって、お前がいないと勇者ヤマトの冒険が始まらないからな〉
「確かに、一理あるかも……」
〈だろ?だったら、まずはお前を好き勝手してる元凶を探して殴りに行くぞ。俺のかわいいアグニラードを泣かせるやつは、俺が許さん〉
俺は、さっきポコンと叩いた箇所を優しく撫でた。
〈自分が奪ってきた命の重さを知ったのなら、つらいだろうが、お前はその輪を自分で断ち切るべきだ。……安心しろ、俺がついてる〉
「……シルヴェウス」
アグニラードの瞳から、また涙が溢れた。
ただし、先ほどとは違う、キラキラとした温かい涙に見えた。
長い間、残酷に命を奪ってきたんだろう。
アグニラードを一生の仇だと恨む者も大勢いるに違いない。今更、償えるものでもない。かといって、本人が望むように今すぐ死ぬなんて、もってのほかだ。
〈前を向け、炎獄のアグニラード。人間にとってもお前にとっても悲劇でしかない連鎖を、断ち切る時だ〉
「…………うん」
頷いたアグニラードが、千里くんに教えてもらって俺がいる辺りを腕で囲んだ。
「一緒にいてよ……」
〈いるよ、大丈夫だ〉
「どこにも行かないで」
〈行かない。約束する〉
「……全部終わったら、連れて行って」
他の誰かが聞けば悲しい未来を選んだように聞こえたのかもしれない。
だけど、その願いを口にしたアグニラードがあまりに幸福そうで。
俺は返事の代わりに、彼を抱きしめ返した。
次回第十五話は10月30日17時更新です。




