第十三話 あの時の
執務室に用意していたお菓子は、元々すべてアグニラード用だった。
計画通りにことが進んでいれば、俺は勇者の帰還に巻き込まれて、異世界に行ったことになる予定だった。
千里くんには俺がいなくなった後で、アグニラードに「異世界に行った。一方通行にはなるが、通信できる」と伝えてもらう。その上で、執務室でみんなで菓子でもつまみながら、録画していた映像を流してもらおうと考えていた。
……聖女のせいで、全部台無しになったけどな。
現在、俺の執務室には、アグニラードと千里くん、ベンゼルとクエイク。そして執務室での待機を命じていた、女悪魔がいた。千里くんは、アグニラードの頭の上に乗っている。
「千里くん、シルヴェウスは一緒にいる?」
「イルヨー」
そして、なぜかアグニラードまで「千里くん」と呼んでいた。別に「くん」はいらないと思うんだが。まぁ、いいか。
千里くんが俺を見たので、手を振りながら「いるぞ〜。お菓子はそこの棚の引き出しだ。アグニラードが好きな、麩菓子もあるからな」と答えると、それをそのまま伝えてくれた。
アグニラード、麩菓子が好きなんだよな。俺はあれ食べると欠片がぼろぼろ落ちるから、何か敷いて欲しいんだけど。「敷くものを用意するんだぞ?」と付け加えると、アグニラードはポケットからハンカチを取り出して客用に置かれたソファに座り、膝の上にそれを置いた。良い子すぎる。
女悪魔が引き出しからお菓子を出して、ローテーブルに並べていく。アグニラードの向かい側にベンゼルとクエイクが並んで座った。
飲み物がないな。
千里くん、お茶を用意してもらうようにと、アグニラードに伝えてくれ。
「オーサマー。シルリーンガ、オチャヲヨウイシテモラエ、ッテ」
「……あ、あぁ……」
まだどこかぎこちない動きで、アグニラードが女悪魔に指示を出す。
いや、俺としても聖女については一刻も早く伝えなければとは思っている。だが、まずはアグニラードを完全に落ち着かせて冷静な判断ができる状況にしなければ、どうにもならない。
しばらく待つとお茶が来て、四人分——まさかの千里くん分があった——のカップを置いた女悪魔が部屋の隅に控えた。
最初にクエイクが、クッキーを手に取った。なんでだよ。こういう時は、アグニラードが先だろ。空気を読め。ちょっと面白かったじゃないか。
次に麩菓子を取ったアグニラードが、バリバリとこぼしながら食べる。ベンゼルはチョコレートの包み紙を開けていた。
ボリボリ、バリバリ、モグモグと食べる音が響く。
よし、そろそろ頃合いだな。
まずは勇者の帰還について、説明していこう。千里くん、長くなるが、通訳してもらえるか?
「シルリーン。サッキノ、トコロ、ロクガシテルヨー」
まじか……!
優秀すぎるぞ、千里くん!ちょっと映してくれ!
「カシコマリベリオン!」
何もない場所に向かって会話している千里くんを見ても、もうアグニラードは驚かない。むしろ少し、笑顔になっていた。
だが、壁に映像が投影され始めると、表情が次第に強張ったものへと変わっていく。
映像は、勇者ヤマトとの出会いからだった。俺がヴェンデッタに退室するように頼み、彼女が部屋を出る。
そして、日本のことを口にする。
『……日本出身かな?ヤマトというのは、名前?それとも苗字?君の学校の図書室には、『勇者ヤマトの冒険』はあった?』
『っ!?な、なんで日本のこと!?えっ?学校?勇者ヤマトの冒険!?』
驚く勇者ヤマトの顔がはっきりと見える。食事を振る舞った映像の中の俺が、自分はこの世界から見れば異世界の『日本』で生きてきた記憶がある元人間だと告げる。
皆が驚いているのが見えた。
『まさかシルヴェウスさんの前世が日本人だったなんて……』
『厳密には、まったく同じ世界の同じ時間軸というわけではないかもしれないが。『勇者ヤマトの冒険』もあるみたいだし、とても近い世界であることは確かだろうね』
会話をして、本題に入る。
千里くんが勇者ヤマトに見せた映像は、アグニラードたちも知っているものだ。聖女と妖精がグルになって魔物を誘導していた件である。
裏切りと真相を知りパニックに陥りかけた勇者ヤマトへ、俺が声をかける。
『俺なら、君を元の世界に送り帰せる。日本を知る俺なら、君が描く君の世界へのリンクを繋げられる』
『……シルヴェウスさん』
『君は充分頑張った。後の始末は大人に任せて、帰りなさい』
『帰る……帰れる、んですか?』
『今すぐにでも』
勇者ヤマトが、大声で泣いた。
涙が止まるのを待ってから、帰還の準備をする。
そこで一度、映像が止まった。
……千里くん?
「シルリーン……。ナイショデ、ロクガシテ、ゴメンネー」
スライドするように、何度か映像が切り替わる。そして、今俺たちがいる執務室が映し出された。
ただし、部屋にいるのは俺だけだ。
『シルリーン、ロクガシタヨー』
『よし。しっかり保存しておいてくれ』
『カシコマリサーチ!』
憶えている。
勇者ヤマトにも見せた、聖女たちの犯行を目の当たりにした時の、俺と千里くんの会話だ。
椅子に座った俺が千里くんに指示を出し、手袋を外す。
その手のひらは、透明な氷になっていた。
アグニラードの身体が、大きく揺れる。
『……シルリーン、ヤッパリ、シヌノカー』
『死ぬよ。魔物の寿命は変えられない』
『ウエーン』
「ま、もの……?」
信じられない言葉を聞いたように、アグニラードが呆然と呟いた。
『手のひらがすべて氷になる前に、もう一度アグニラードを撫でておけば良かったよ』
『……シルリーン……』
『死ぬのは怖くない。……俺の予想が正しければ、違う世界の魂を持つ俺は、死んだとしてもこの世界の神に召し上げられたりはしない。多分、アグニラードの側にいるはずだ。彼には、俺の姿は見えないだろうが』
アグニラードの身体が震えている。俺は彼の後ろに回ると、ソファを無視して背中から抱きしめた。透ける身体って、こういう時は便利だな。
「オウサマー、シルリーンガ、ギュッテシテクレテルカラ、アンシンシテー」
千里くんが映像を見せながら、実況してくれる。麩菓子を皿に置いたアグニラードが、大きく頷き「続きを流してくれ」と千里くんに告げた。
『俺は、アグニラードから離れない。離れるとしたら、彼が俺以外の人を好きになって、幸せになった時だろう』
『ヤダヨ、シルリーン』
『泣くな、千里くん。目玉しかないのに、どこに涙腺があるんだよ』
『ジブンデモ、フシギー』
そこでまた映像が切り替わり、勇者ヤマトとの場面に戻る。
魔法陣から溢れた光が、室内を飲み込んでいく。
『……元気で、……ヤマト』
『ありがとうございました、シルヴェウスさん』
帰還魔法が発動する。
光が収まると、映像の中の俺が床に倒れているのが見えた。
そこに、——ヴェンデッタの姿をした聖女がやってくる。
自らの正体を明かし、俺の胸に腕を突き刺す。アグニラードの気配が一瞬煮えたぎり、それでも何とか抑え込んだらしく、手を固く握りしめているのが見えた。
『……百六十年前。光の王国は、勇者を召喚した。光の剣を持つにふさわしい、一人の子ども。でもそれに、いらない男がくっついていた』
『……いら、ない……男……』
『召喚に耐えられたってことは、まだかろうじて大人ではなかったのね。勇者の兄だ、って言ってたわ。自分が戦うから、弟を家に帰せって。笑えるわよね。必要ないのは、兄の方なのに。……だから、お望み通り魔族領に放り込んであげた。すぐ死んだわよ、あなた。アグニラードに、首を斬り飛ばされて』
だが次に聖女の口から出された内容に、アグニラードの身体が力無くソファへと沈み込んだ。
「俺が……シルヴェウスを……殺した?」
……そこ気にするか。まぁ、そうだよなぁ。俺としては、気にしてないんだけどな。
どうやって慰めようかと、後ろから彼を覗き込む。すると、思いがけない言葉が聞こえた。
「……あの時の、人間……」
ん?と思った。
アグニラードの言い方が、まるで『本体のアグニラードの記憶がある』ように聞こえたからだ。
「あの時の……」
そして、ベンゼルも呟いた。えっ?知ってる?
「……血だらけになっても、陛下の首に噛みついていた人間」
クエイクも呟いた。お前も知ってるのか。
っていうか、ちょっと待て。
百六十年前って本体時代のアグニラードだよな?その首に噛みついた?血だらけで?人間だった俺が?
……こっっわ。人間の俺、こっわ。
「ニンゲンシルリーン、コッワー」
さすが千里くん、俺の代弁者。ちゃんと映像も一時停止してくれている。
だが、三人の空気が最悪すぎる。俺は慌てて、千里くんに「人間だった頃の記憶は薄れてるし、死んだ時のことも全然憶えてない。ていうか、首噛んでごめん」とアグニラードへ伝えるように頼んだ。
「……なんで、シルヴェウスが謝るんだよ……」
顔を両手で押さえたアグニラードが、肩を落として俯く。
なんでと聞かれても。
排除しようとした侵入者が、血だらけになっても首を噛んでくるとか、ホラーじゃないか?
それも伝えてもらうと、「わかる」とベンゼルがほんの少しだけ笑った。
大きく息をついたアグニラードが、顔を上げる。
それを見て、千里くんに続きを再生してもらうよう頼んだ。
『でも、わたくしにも一つだけ誤算があった。魔族領で死んだ召喚者が、どうなるかを知らなかったの。まさか、召喚時の力をそのまま取り込んで、魔物に生まれ変わるだなんて』
俺は、聖女が俺の中から取り出した物を映像を通して見ることができた。
それは想像していた通り、転生したばかりの頃の俺、四角い雑魚氷だった。聖女の話では、それは異世界召喚に使用された神の力なのだという。
俺を死に追いやった力が結果として、この世界に俺を転生させた。皮肉なものだが、聖女自身もそうなるとは予測していなかったらしい。だから、見失った神の力を探していた。利用されると困るからだ。
実際に、帰還魔法が成功したのも、その力があったからなのだろう。
知らなかったとはいえ、世界を渡る神の力が俺の中には存在していた。そして勇者ヤマトが生まれた世界を知っていた。この二つの偶然が俺に召喚魔法の理論を理解させ、帰還を成功させた。
壁に映される聖女が、「青い宝石」と呼んだ氷の横に、小さな光の球を浮かべた。
胸が、強く痛んだ。
ヤマト。
人間だった頃の俺の、大切な弟。
『あなたの弟は役目を果たした後、無事に次の勇者のための光の剣になったわ。と言っても、当代のヤマトがいなくなったから、次代用に使い回しするしかなくて。帰還魔法が消える前に回収したの。……見る?百六十年ぶりの再会よ。会えて良かったわね』
『ヤ、……マ……ト……』
『永劫の時を暴虐の中で生きてきた炎獄のアグニラードを変えたのが、異世界から来てアグニラード本人に殺された人間だったなんて。なんて悲劇的な喜劇なのかしら。拍手してあげる』
聖女が崩れていく俺を嘲笑う。
その様子を見ながら、俺はなんとかして聖女からあの光の球を取り戻せないかと考えていた。
聖女は、明確に俺の敵だ。
俺と弟を無理やり異世界に召喚し、弟を勇者に仕立て上げ、俺を魔族領に放り込んで殺した。
そしてアグニラードを勇者に倒させ、自分は序列一位のヴェンデッタを殺し肉体を奪い、魔族の中に溶け込み、内情を探っていた。
さらには弟をはじめとする、歴代の勇者の魂を使い、光の剣を作っていた。
——目的は、何だ?
暴君だったアグニラードは、もういない。仮にも、ヴェンデッタの肉体を使って百六十年もデモネリアにいたのなら、それくらいわかるだろう。王国側も、再建されたデモネリアが人間領へ侵攻していないことに気付いたはずだ。
にも関わらず、光の王国は再び勇者を召喚し、アグニラードを滅ぼそうとしていた。
一度も話し合うこともなく。
聖女が立ち去り、映像が終わる。
俺は沈黙が落ちた部屋で、千里くんに向かって「今後について話がしたい」と伝えるように、声をかけた。
次回第十四話は10月29日17時更新です。




