第十一話 雑魚氷の終わり
勇者を元の世界に戻す方法。
術の構築以外に必要なものは、莫大な魔力と、勇者本人の「帰りたい」という強い意思。
儀式の間と銘打ってはいるが、この部屋に何か特別な力があったりするわけではない。単純に色々と都合が良かったから、この部屋にした。それだけだ。
「光の王国が君を取り戻しに来る前に、君を日本に帰そう」
「よろしくお願いします」
丸テーブルを少し脇に寄せて、勇者ヤマトに部屋の真ん中に立ってもらう。
術の構築、よし。
魔力残量、よし。
仕事の引き継ぎ、よし。
千里くんの充電、よし。
「シルリーン……」
「千里くん、後の段取りは任せたぞ」
「ウエーン」
涙腺のない千里くんが、ぼろぼろと泣き始める。こらこら、勇者ヤマトが不審がるからやめてくれ。
「あ、あの……シルヴェウスさん」
「千里くんのことは、気にしないでくれ。ちょっと面倒な仕事を頼んでるだけだ」
さて、と。邪魔が入る前に、済ませてしまおう。
この場合の邪魔とは、……ヴェンデッタである。
「君は自分にとって身近な場所や人を強く思い浮かべながら、とにかく帰りたい、と念じ続けてくれ」
「はい……!」
床にはあらかじめ魔法陣を描いてある。
魔力を流し込むと、複雑な紋様が青く光り始めた。
「……っ……」
自分の中からごっそりと、力が吸い上げられていく。想定よりかなりキツイ。
元々召喚魔法自体、人間側が莫大なコストと労力を割いて成功させるものだ。それを反転させて、ひとりでやろうとしているのだから、消費魔力と反動が大きいのは当然のことでしかない。
俺が魔法を発動させたことに気付いたのか、凍りついていた扉が一度ガタリと揺れた。
生半可な力では、開かないようにしてある。
せめて、術が完成するまでは。
——眩い光が、部屋を染めた。
「……元気で、……ヤマト」
「ありがとうございました、シルヴェウスさん」
光の向こうで、勇者ヤマトが笑ったようだ。だが俺はもう、彼の顔を見ることはできなかった。
少しずつ、光がおさまっていく。
背中の感触で、自分が仰向けに倒れているのだと知った。
扉を凍らせていた氷が溶けていく。静かに扉が開き、ヴェンデッタが入ってきた。……いや、彼女はヴェンデッタなのだろうか。
「……勇者は……帰った」
「そのようね。話は扉越しに聞いていたから、詳しく話す必要はないわよ」
その声は、先程千里くんが映す映像越しに聞いた声と、よく似ていた。
「聖女と……随分声が、似ているな……。風魔法を……使っていた時に、気付くべきだった……」
ヴェンデッタが近づいてくる気配がした。少しだけ視界が暗くなる。膝をつき、顔を覗き込んでいるらしい。
「最期に教えてあげるわ、氷結のシルヴェウス。本物の暴風のヴェンデッタは、百六十年前、勇者の仲間である聖女と戦って死んでいるの」
激しい痛みと、物理的な衝撃が胸を貫いた。
「がっ……、アッ……」
ヴェンデッタの身体を持つ何者かの腕が、俺の胸に突き刺さっていく。
「でも、聖女も無事では済まなかった。肉体を失った彼女は、目の前の、死んだばかりの女魔族を奪うことにした。……それが、わたくし」
ぐるぐる、ぐちゃぐちゃと、胸が掻き回される。
「魔族の身体って便利ね。分体を生み出して別のわたくしを作れるだなんて。あなたが声で気付いた通り、白装束の聖女は、分体のわたくしよ」
俺の胸の中をまさぐっていた動きが止まった。
「あぁ、これね。やっと見つけた。まさか、こんなところに隠してたなんて」
細い手が、何かを掴み引き抜く。まるで穴の空いた風船のように、身体中の力が抜けていった。
「百六十年前。光の王国は、一人の勇者を召喚したの。光の剣を持つにふさわしい子どもを。でもそれに、いらない男がくっついていた」
「……いら、ない……男……」
「召喚に耐えられたってことは、まだかろうじて大人ではなかったのね。勇者の兄だ、って言ってたわ。自分が戦うから、弟を家に帰せって。笑えるわよね。必要ないのは、兄の方なのに。……だから、お望み通り魔族領に放り込んであげた。すぐ死んだわよ、あなた。アグニラードに、首を斬り飛ばされて」
鈴を転がしたような、笑い声が聞こえた。
「でも、わたくしにも一つだけ誤算があった。魔族領で死んだ召喚者が、どうなるかを知らなかったの。まさか、召喚時の力をそのまま取り込んで、魔物に生まれ変わるだなんて」
ほとんど見えなくなった俺の視界の中で、何か青いものが見えた。
「あなたを形作っていたもの。それは神の御力によって生まれた、世界をも超える力。この、『青の結晶』なのよ」
俺にはもう、シルヴェウスになる前の自分に関する記憶なんて『勇者ヤマトの冒険』以外ほとんど残っていない。
それでも今、一つだけ、思い出した。
弟の名前も、『ヤマト』だったことを。
光の王国に呼ばれて旅に出て、魔王を倒す、勇者ヤマト。
なら百六十年前、魔王アグニラードを倒した勇者は。
あの時、魔物になった俺が見ていた勇者は。
——弟の、ヤマトだったのか。
微かな呟きが口から零れていたのか。ヴェンデッタの顔をした聖女が、「安心して」と笑いながら言った。
「あなたの弟は役目を果たした後、無事に次の勇者のための光の剣になったわ。と言っても、当代のヤマトがいなくなったから、次代用に使い回しするしかなくて。帰還魔法が完全に消える前に慌てて回収したの。……見る?百六十年ぶりの再会よ。会えて良かったわね」
青い氷の横に、小さな光が浮かんでいた。
「ヤ、……マ……ト……」
「永劫の時を暴虐の中で生きてきた炎獄のアグニラードを変えたのが、異世界から来てアグニラード本人に殺された人間だったなんて。なんて悲劇的な喜劇なのかしら。拍手してあげる」
パチパチと耳に届く、小さな拍手の音。
「さて、もう行かないと。そろそろアグニラードが城に戻ってくる頃だわ。彼が慌てふためく様子を見たかったけど、命は惜しいものね」
立ち上がったヴェンデッタ、……いや、聖女が、冷たい気配を纏わせて俺を見下ろしてくる。
「さようなら、氷結のシルヴェウス。かつての、名もなき異世界人」
風が舞い上がる。魔族にはない、神の力を感じた。
聖女の姿が、かき消える。
同時に、この部屋へと通じる長い階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
「……シルヴェウスッ!!」
あぁ、なんてことだ。
せっかく千里くんに色々録画してもらったのに。
勇者ヤマトも無事に帰せたと思ったのに。
デモネリアは、これからもっと発展して、アグニラードに平和を満喫してもらって。
『すぐ死んだわよ、あなた。アグニラードに、首を斬り飛ばされて』
『あなたの弟の魂は無事、当代の勇者の光の剣になったわ』
アグニラードが、崩れかけている俺の身体を抱き上げたのがわかった。
「シルヴェウス……!シルヴェウス!!なんで、こんな……!!」
伝えなければ、と思った。
聖女は、光の王国は、アグニラードを滅ぼすことを諦めていない。
それを、彼に伝えなければ。
——けれど。
もう、顔も崩れて、話す口がなくなってしまっていた。
最期の力で、腕を持ち上げる。肘から先がないから、アグニラードまで届かない。
「シルヴェウス、……、いやだよ……シルヴェウスッ……」
泣くな、アグニラード。
大丈夫。
俺は、お前から離れ——。
「シルヴェウスッ!!」
世界から。
音も、色も。
すべて、消えていった。
次回第十二話は10月27日17時更新です。




