番外編 赤い瞳と嫉妬心
昨夜から、レイの瞳に僅かに赤い色が滲んでいることに、神崎は気が付いていた。
だが以前と異なり、呼べば視線も重なるし、会話も変わりがない。
口を開きかけては閉じる。それを何度か繰り返して、ようやく神崎の問いは形になった。
「お前、何か怒ってるのか?」
「え?」
ソファに座っていたレイは目を丸めて神崎へと視線を向けた。
その瞳に赤い色はない。
「怒っているわけじゃないのか」
神崎は探るように両目を細める。
レイはそこでようやく気が付いたように自分の瞼へと触れ、短く溜息を吐いた。
「面倒臭い反応ですね、これ。……他の吸血鬼達は、自分の意志で隠せるみたいですが」
「毎回そんなことになってたら社会に溶け込めないだろうからな」
「訓練します」
レイはそう言って視線を外す。
神崎は眉根を寄せて椅子から立ち上がり、レイの前へと立った。
「勝手に話を終わらせるな。俺はそうなってる理由を聞いてんだよ」
レイは一度神崎を見上げ、そしてまた視線を逸らした。
「黙り込むな。言え」
片手を伸ばし、指先を顎に掛けて強引に顔を上げさせる。
渋々といった様子で神崎を映した瞳には、また赤の色が滲んでいた。
「……あなたが」
「何だ」
言葉に詰まったレイが神崎の手を引く。
咄嗟にソファの背凭れに手をついて支えると、真下から伸びたレイの手が神崎の肩を掴んだ。
強い力ではなかったが、そこから鋭い痛みが走り、思わず眉根を寄せる。
「痛……ッ」
「この傷」
そこは先日の吸血鬼狩りの際、傷を負った場所だった。
深い傷ではないが、治るにはまだ時間が要る。
レイはシャツ越しにその傷を睨むように見上げていた。
「早く治してください」
「は?」
顔を顰めたまま、神崎は問い返した。
レイの指先が神崎のシャツの襟の内へと滑りこむ。
その指は傷口に触れる寸前で止まった。
神崎が上体を起こそうとしても、身体を支えている腕まで掴まれて身動きが取れなくなる。
「ほら。ここから、ずっと血の匂いがしていて不快です」
「お前、俺の匂いを気に入ってると言ってなかったか?」
「他の吸血鬼に付けられた傷の匂いを、どうして喜べるんです」
神崎の表情が固まる。
傷口に直接触れられているわけでもないのに、その場所が少しだけ痛んだ気がした。
「お前、それ」
「…………」
「嫉妬?」
そう問えば、また気まずそうに視線が逸らされる。
だがその瞳には先程よりも鮮明な赤色が混ざっていた。
少しの間の後、開き直ったようにレイが口を開く。
「そうです」
そして神崎のシャツの襟を掴んで引いた。
「言ったでしょう。吸血鬼は嫉妬深いと」
不安定な姿勢のまま重心が傾き、ソファに片膝をつく。
そのままレイの足を跨ぐようにして、もう片方の膝もソファの上に落として身体を支えた。
「おい、危ねえな」
「踏んでも構いませんよ」
「俺が構うんだよ」
レイに腕を引かれ、上体が更に傾く。
そうして近付けた肩口にレイは鼻先を寄せた。
知らず知らずの内に、神崎の身体が強張る。
「……別に、わざと傷を付けたわけじゃない」
「分かっています」
「機嫌を直せ」
傷のある場所を避けて、レイの額が肩に触れた。
行き場のない手を置く先に迷い、神崎の手はレイの肩へと置かれる。
「じゃあ、噛んでもいいですか」
「何を」
「ここ」
シャツ越しに、レイの唇が傷へ寄る。
ほんの触れる程度の接触だったため、痛みはない。
だが、神崎の目は僅かに見開かれた。
「傷口だぞ」
「分かっています」
「……三日前、血もやっただろ」
「はい」
顔を上げたレイと視線が重なった。
レイは自分の感情の扱いに困ったように、眉尻を下げていた。
「……だめですか?」
言葉に詰まったように、そして返す言葉に迷うように、神崎の目が細められた。
「吸血鬼は、どいつもそんな面倒臭い嫉妬をするのか?」
「分かりません。ですが、他の吸血鬼に付けられた傷は誰でも怒ると思いますよ」
「じゃあ、全員面倒臭いな」
神崎はそう言いながら、自分でシャツのボタンを外していく。
その分襟も大きく開かれ、肩にある裂傷が部屋の空気に晒された。
「傷を開くなよ」
「善処はします」
「血も取りすぎるな」
「それは、ちゃんと注意します」
そう言いながら、レイの唇が傷に触れた。
再び、じわりと痛みが熱を伴って広がる。
レイの牙が傷の傍に浅く刺さり、反射で肩が跳ねた。
首に牙を突き刺されるよりも骨が近い気がして、背が強張る。
「痛いですか?」
「っ、……別に」
「無理をさせていますね」
レイはそう言って、新たに作られたほんの小さな傷から滲んだ血を舌先で舐め取った。
そして、すぐに唇を離す。
再び顔を上げたレイと、神崎の視線が重なった。
「……それだけか?」
神崎の口から零れ出た言葉に、レイが僅かに首を傾げる。
すぐに言葉選びを間違えたと気付き、神崎はすぐに襟を引いて傷を隠す。
「もう終わったのかと聞いたんだ」
「ええ、匂いは上書きしました」
「人の身体にマーキングみたいなことすんなよ」
「みたい、ではなく、正真正銘マーキングですよ。そういう生き物ですから」
シャツのボタンを留めながら、神崎はレイを見下ろす。
そこにあった瞳は黒一色で、もう赤色はどこにも見当たらなかった。
それどころか、その瞳がいつもより少しだけ機嫌が良さそうなことに、神崎はすぐに気付いた。
「なので、あまり怪我はしないでください」
「無茶言うな」
ボタンを留め終え、レイの膝から降りる。
不自然な姿勢を取っていたせいで、僅かに痛んだ背を伸ばして解す。
「俺もちゃんと訓練します」
自分の瞼に指を添えながら、レイは言った。
神崎はそれを見下ろし、僅かに眉を上げる。
「隠す必要はない。……お前はただでさえ表情に出ないんだから、それくらいでちょうど良い」
レイが神崎を見上げた気配がした。
けれどそれより先に顔を背けたせいで、表情までは分からなかった。
襟の乱れを直しながら、神崎は誤魔化すようにキッチンへ向かう。
その後ろをついてくる、もう一つの足音を聞きながら。
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