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【BL】誰ソ彼の吸血鬼  作者: 酒麩
番外編
22/25

番外編 癒しの香り


 それはもう夜になろうという頃だった。

 女性に連れられて公園から出てきた大型犬が、前脚を上げてレイに飛び掛かった。


「……っと」


「すみません!」


 レイは犬を受け止めるものの、一歩後退する。

 飼い主の女性は慌ててリードを引きながら謝罪した。


「普段、こんな飛び掛かることはないんですが……!」


「構いませんよ、別に」


 レイが腰を落として屈むと、犬も前脚を地面につけて激しく尻尾を振った。


「撫でてやったらどうだ?」


 神崎がそう言うと、レイは目を丸くして神崎を見上げた。

 その傍らで、犬は引きちぎれんばかりに尻尾を左右に振り続けている。


「明らかに、お前に構って欲しそうにしてるだろ」


「そうなんですか?」


「犬に聞くな」


 確かめるようにレイが顔を上げると、その先で女性は困ったように笑いながら頷いていた。

 リードを引っ張っても犬が動こうとしないため、どこか諦めて頼み込むような表情だった。

 レイの手がそっと伸び、少し硬い毛に指先を埋める。

 しかし、動きはそれで終わった。神崎の眉間に僅かな皺が寄る。


「もっと真面目に撫でてやれよ」


「どのくらいですか」


「こう、両手でわしゃわしゃっとするんだよ」


「……犬を触ったのは初めてなので、勝手が分かりません」


 そう言いながら、レイの手が毛並みに沿って犬の毛を撫でる。

 壊れ物に触れるような手付きではあったが、犬は心地良さそうに目を細めた。

 そして、レイの手に自ら身体を押し付ける。

 応えるように撫でる手が強まると、犬も気分良さそうに体重を預けていた。


「——あれ?」


 そう呟いて、レイが突然犬の首に顔を埋めた。

 大きく肩を上下させ、深く毛に埋まりながら深呼吸を繰り返す。

 一瞬で神崎の背筋が冷え、息が詰まった。

 まさかこんな時に犬を相手に吸血を始めたりはしないだろうが、それ以外の理由も思い付かなかった。

 慌ててレイの襟元を掴んで引く。


「おい! 人様の犬を吸うな!」


「良いんですよ。うちの子、人とそうするのが好きなので」


 飼い主の女性は朗らかに笑う。

 服を引かれた後、少しだけ抵抗を見せたレイが犬から顔を離した。

 犬はようやく満足したようにレイから離れ、女性は何度か頭を下げながらその場を去って散歩の続きに戻った。


 レイと神崎も反対方向へと歩き出す。

 女性と十分に距離が離れたのを確認して、神崎が小声で口を開いた。


「お前が犬の血を飲み始めるんじゃないかって、肝が冷えたぞ!」


「そんなことするわけないでしょう」


「じゃあ、なんでいきなり犬に顔を埋めたんだよ!」


「吸血鬼の匂いがしました」


 神崎の足がその場で止まる。


「……何だと?」


「あの女性の匂いではありませんでした。恐らく一緒に住んでいるか、あの犬が頻繁に会う誰かの中に、吸血鬼が潜んでいるんでしょうね」


「じゃあ、あの犬がお前に飛び掛かったのは」


「その吸血鬼と似た匂いがしたからでしょう」


 神崎が後ろを振り返る。

 犬を連れた女性の背は、もう遠くなってしまっているが、走って追い付けない距離ではない。


「尾行して狩りますか?」


 神崎が双眸を細める。だが、すぐに女性に背を向けた。


「……今日はいい。同居しているとも限らない。今からでは吸血鬼に辿り着けない可能性もある」


「そうですか」


「明日、あの女性を探す。どうせ似たような場所を散歩するだろう」


「分かりました」


 そうして、二人はマンションへの帰路を辿った。

 


 *



 玄関の扉を閉めるなり、鍵を掛ける。

 部屋の中は外より暑く感じた。神崎はすぐにエアコンのリモコンを手に取り、クーラーを稼働させる。


「あれが、ペットセラピーってやつなんですね」


 この暑さの中でコートまで羽織っているというのに、汗ひとつかいていない顔でレイは言った。

 一方、神崎はシャツの襟を摘まんで汗で張り付いた服を肌から剥がしながら、レイへと振り返る。


「そういえば、前にもそれを気にしてたな。どうだった?」


「獣臭さと、唾液臭さがあって、少しあったかい匂いがしました」


「それは良い匂いなのか?」


「分かりません」


「そうか」


 背を向けて歩き出そうとした神崎の背後から抱え込むようにしてレイの腕が伸び、すぐに身体が触れた。


「やめろ、暑苦しい」


「すぐに涼しくなりますよ。クーラーがついています」


「今この瞬間、暑いって話をしてるんだ」


 聞く耳も持たずに、レイの鼻先が神崎の首元に埋まる。

 犬にしたのと同じように、深い呼吸の音が聞こえた。


「やっぱり、俺はこっちの方がペットセラピーをしてる感じがします」


「殺すぞ。誰がペットだ」


「良い匂いがするってことです」


 レイの腕が腹部に回っているせいで、歩くことも出来ない。

 代わりに片膝を曲げて、レイの足を小突くように蹴った。

 強引に振り解くことも出来るだろうが、そこまでする気にもなれずに神崎は立ち尽くす。

 耳元では、まだレイの呼吸音が聞こえていた。

 

「おい、いつまでやってる」


「もう少し」


「腹が減った。さっさと用意させろ」


「俺もです」


 レイの腕に掛かった神崎の手が僅かに固まった。

 振り返るようにして神崎がレイへ視線を向けると、同じように向けられていた黒い瞳と目が合った。


「……それは、どっちの空腹だ」


 そう問うと、レイは一度瞼を落とした後、神崎の身体に回していた腕を解いた。


「今日は、お米が食べたいですね」


「そっちの食欲か」


「もちろん、血を飲みたい気持ちもありますが——」


 神崎の視線がレイを追いかけるが、その背中は振り返りもせずにキッチンへと向かっていく。


「今日は我慢します」


 そう言って、キッチンへと消えた。


「そうか」


 短く答え、神崎もレイの背を追うようにしてキッチンへと向かった。

 空腹を訴える腹部を片手で擦り、そして『食事』の痕跡を残した自身の首筋へと反対の手で触れながら。

 

お読みいただきありがとうございます。

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