最終話 噂の吸血鬼狩り
マンションに帰ったのは、時計の針が真上を少し過ぎた頃だった。
灰に埋もれた写真を払いはしたが、まだ灰が絡みつき、触れればざらざらとした感覚が指に残った。
それを壁に貼り直すのではなく、テーブルの上に置いたまま、神崎は自室へと戻った。
暗い部屋の電気を付ける気にもならず、ベッドに横たわる。
カーテンを開けたままの窓からは月が覗き、部屋の中を僅かに照らしていた。
不意に、部屋の扉が二回叩かれる。
顔を上げもせずに神崎は口を開いた。
「何だ」
「俺です」
「分かってる。用は何だ」
答えは返らず、その代わりに扉が開いた。
当然のように入ってきたレイが扉を閉めると、リビングの光が差し込んで明るくなった部屋が、またすぐに暗くなった。
「入っていいと言った覚えはないぞ」
「だめでしたか?」
返事をせずにいると、レイはベッドの端に腰を下ろした。
視線を上げれば神崎を見下ろしている、静かな瞳が見えた。
「後悔しているんですか?」
「何をだ」
「あの女の吸血鬼を殺したことを」
その問いに、神崎の眉根が寄る。
横を向いていた身体を仰向けに転がし、天井を見上げた。
「あの吸血鬼を生かしておくわけにはいかなかった。いずれまた人間を愛し、また殺す。ここで止める必要があった」
「では、殺せて満足しているんですか?」
「…………」
暗い部屋で何度自分に問いかけても答えの出なかった質問が頭上から降り、神崎は黙り込んだ。
レイの視線が神崎から離れ、窓の外へと向いた。
視界の端で長い脚が組まれたのが見えた。
「俺も、あの女のようになっていたかもしれませんね」
「どういう意味だ」
「もし俺が、あなたを殺していたら……」
相変わらず、感情の読めない声でレイは続ける。
「その未来を見ているようでした」
「大人しいと思ったら、また意味の分からないことを考えてたのか」
髪を掻き、溜息を吐く。
そんな神崎の姿をレイが肩越しに振り返った。
「この先だって、起こり得る話です」
月明りを背負ったレイの表情は、暗くてよく窺えなかった。
初めて会った日、同じように夕日の逆光のせいでその顔が見えなかったことを、神崎は意識の端で思い出していた。
「これからもあなたの傍にいれば、俺はまた血を求めるでしょう。あなたはその度に、俺に首を差し出す」
シーツの上に置いていた神崎の手に、レイの指先が触れた。
「いつか、止められない日が来たら、あなたは」
「止める。お前の腹に穴を開けてでも止めると言っただろ」
「そう言いながら、あなたはすぐに銃を手放します。今だって持っていないでしょう」
そう言われて気付いた。
帰ってきてすぐに銃のホルスターを外し、リビングのテーブルの上に置いたままにしてあった。
小さく笑ったような、小さな溜息のような、そんな吐息の音が聞こえた。
「少しくらい、吸血鬼と共にいる自覚をもってください」
「自覚はしてる」
「なら、武器を手放さないで」
いつだって冷たいレイの指が、ベッドの上に置かれていた神崎の指へと絡められた。
「俺が止められなくなったら、俺を殺してでも止めると約束してください」
「殺す必要はない」
「必要のある日が来るかもしれない」
絡んだ指に力が込められる。
暗い影の中に、縋るような瞳が見えた。
「その日が来ても、俺にあなたを殺させないと。誓ってください」
真剣な声だった。
神崎が黙り込んでも、いつまでも答えを待つつもりだとでもいうように、レイは何も言わなかった。
やがて、絡められた指を神崎はほんの少しの力で握り返した。
「……分かった」
小さく息を吐いて、瞼を伏せる。
「約束する」
*
立ち並ぶビルの隙間に、赤い夕日が差し込んでいた。
もう沈みかけているその光に塗り潰されて、互いの顔はよく見えない。
「先々月に一件。先月も一件。この付近で人間が殺されている。順当にいけば、そろそろ姿を現す頃だ」
「まだ周囲に吸血鬼狩りの気配もありません。吸血鬼が日没と同時に現れれば、先手を打てるでしょう」
腕を組み、背中をビルの壁に預けて日没を待つ。
すぐ近くの表通りを歩く二人組の声が、ビルの隙間に反響した。
「この辺りに、ハンターが狩る前に吸血鬼を狩っちゃう人がいるらしいよ」
「非正規の吸血鬼狩りってこと? 変なの」
夕日が沈み、見る間に周囲が闇に包まれていく。
「陰口を言われていますね」
「陰口じゃない。ただの噂話だ」
言葉を交わすごとに、ビルの隙間が暗く染まっていく。
すぐに夜が訪れた。
レイが顔を上げる。
「いました」
三階建てのビルの屋上に視線を向ける。
「吸血鬼の足音。……匂いもします」
「行くぞ。見失うな」
神崎は壁に預けていた背を起こす。
確かめるように指を伸ばした先には、銀の銃があった。
「俺が抱えてビルを登りましょうか?」
「二度と俺を担ぐなと言ったはずだぞ」
「ですが、遠回りになります」
「次は言わせるな」
レイに睨むような視線を向けて、神崎は駆け出した。
その背を追って走り出したレイは一度ビルを見上げる。
そこにある気配は油断しきっている。
夜が訪れたと同時に発見され、既に狙われているなど、思ってもいないようだった。
「目標は動いていません。急げば間に合いそうです」
「なら急げ」
二人分の足音が、ビルの合間の闇に溶けた。
十字架を首から下げた吸血鬼狩りが辿り着いた頃には、積もった灰だけが残されていた。
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