幼き日の抒情詩~公爵令息と子爵令嬢
サミュエルが11歳の年の夏、いつもなら公爵家所有の別荘地に避暑に行くのだが義母の妊娠が発覚し、サミュエルひとりだけ侍従長の実家であるフィール子爵領に行くことになった。
これまでは、ガブリエルだけがフィール子爵領に避暑に訪れていたが(特に特筆すべき何かがある訳ではないので子供心に父がこんな辺鄙な田舎に遊びに行く意味が分からなかった)サミュエルがこの地を訪れたのはこれが初めてだった。
ひとりだけで公爵家の別荘に行く気でいたのだがガブリエルから届けて欲しいものがあると頼まれしぶしぶやって来たのだった。
馬車から見える平凡で退屈な畑が続く景色を眺めながら、こんな所に10日間もいなければならない事を軽く呪う。
義母が安定期に入ってくれていれば今頃は公爵領で乗馬に勤しんでいた筈なのに…
せっかく最近一人で馬に乗れる様になってきたというのに…
口をへの字に結んで不満を思いっきり顔に乗せる。
公爵家嫡男らしくない表情なのは百も承知だが、今この馬車の中にいるのは自分とお付きの騎士見習いのハップス(13歳)だけなので構わない。
「馬車を降りる時には、その顔は禁止ですからね」
「解ってる」
「しかし、本当に畑しかありませんね。…う~ん、しかし何の畑なんですかね?一面ただただひたすら真緑ですけど」
「…」
「あれ?見てください、サミュエル様。あそこだけ桃色の何かが見えるんですけど?お花でも咲いてるんですかね?」
ハップスの指さす方を見ると、確かに真緑の絨毯の中に風に揺れる桃色の何かが目に入った。
「大量の…糸?」
「あっ、髪の毛ですよ、アレ」
少し背の高い畑の植物に隠されていて姿は見えないが長い桃色の髪だけが風に吹かれて靡いている。
「身長的に子供かも知れませんね」
ハップスの言葉に内心『自分だってまだ子供の癖に』と思いつつ
「そうだな」
と答えながら食い入るように見つめているとその桃色の髪の毛がどんどん自分たちの馬車が走っている路に近付いてきていることに気が付いた。
「ちょっと止めてくれ」
サミュエルが御者に命令すると馬車は静かに停止した。
ひょこっと緑の畑の中から頬を髪の色と同じ桃色に染めた小さな少女が顔を現した。
「もしかして、公爵様ですか?」
可愛い鈴のような声が止まった馬車に話しかけた。
「……」
中から何の反応もないため、少女が
「あれ?違いますか?」
と首を傾げる。
「ご主人様の知り合いなんですかね、この美少女?」
ハップスが馬車の外でじっと見上げている少女から目を離し、向かいに座るサミュエルに眼を戻すとサミュエルは頬を朱に染め呆然とその少女の事を食い入るように見下ろしていた。
「サミュエル様?大丈夫ですか?」
ハップスの呼びかけと揺さぶりに、サミュエルがハッと意識を取り戻す。
「父上の知り合いだろうか?」
「それ、僕が先にサミュエル様に訊ねたんですけど?」
外の少女に返答を返さず、ふたりでやんややんや言っていると少女はさっきまで上気させていた頬を青ざめさせ、その場に座り込んで頭を下げた。
「何方かは存じませんが、勝手にお言葉をおかけしてしまい申し訳ございません」
ふるふると小さく震えるその姿にサミュエルとハップスが慌てて馬車の扉を開いた。
「大丈夫、安心して!不敬だなんて思ってないから!!」
「公爵様は乗ってないんですけど、公爵子息様は乗ってるので強ち間違いではないですよ!!」
勢いよく飛び出した二人は慌てて、膝をつきながら小さく震えている少女の肩を掴んで抱き起した。
見下ろすサミュエルのクンツァイトの瞳と見上げた少女のピンクトルマリンの瞳がバッチリと合う
瞬間、サミュエルの身体がカチンと硬直し、少女を見つめたまま動かなくなってしまった。
「あ、あの、公爵令息さま…?」
「えっと、サミュエル様…お手を離して差し上げてください、お嬢さんが困ってらっしゃいます!」
ハップスが声をかけるがサミュエルはぴくりとも動かず、ただ目の前の少女の事を見つめ続けている。
「サミュエル様?お~い、サミュエル様~聞いてますかぁ~?」
「こ、公爵令息さま?如何なさいましたか?」
少女をみつめたまま、どんどん距離を詰めていくサミュエルの手首をハップスが慌てて掴んで引き離した。
「はい、ストーップ!これ以上はお嬢さんに失礼ですよ~」
ハップスが、ぐりんと自分の顔の方にサミュエルの身体を反転させ満面の笑顔を向ける。
急に目の前に現れたハップスの顔に驚いたサミュエルが
「近いっ!」
と怒鳴りながら顔を押し退ける。
「酷いなぁ、止めてあげたのにぃ」
「邪魔をした。の間違いだろう」
「何言ってるんですか、婚約者でもない女性にこんな引っ付いたらダメに決まっているでしょうが」
二人のやんややんやが始まり、少女がきょとんとした顔で見つめていると遠くから
「アリサ、そこで何を?……坊ちゃま?」
と声がかかり、三人が声の聞こえた方を振り返ると、畑の奥からひとりの老人が姿を現した。
「お義祖父さま」
「セバスティアン?」
「誰?」
少女の言葉にサミュエルが驚いて隣にいる少女を見下ろす。
「お義祖父様ということは、君がフィール子爵家の養女の?」
「誰ですか、あの人?」
少女が返事をするため口を開こうとした時、ハップスがサミュエルの袖を引っ張って尋ねて来たので、サミュエルは少女から目を離してハップスに向き直った。
「そうか、ハップスは公爵家に来て3年だから知らないんだな。エスモンドの父親で、元侍従長のセバスティアンだよ」
「エスモンド侍従長のお父様ですか?!って、えっ、じゃあ、お嬢さんはエスモンド侍従長の娘さんでらっしゃいますか?」
ハップスとサミュエルに顔を向けられ、少女が慌てて立ち上がりカーテーシーをしてみせる。
「ご挨拶が遅くなりました、ロンバルト・フィール子爵家が養女アリサ・フィールと申します。エスモンド様は義理の伯父になります」
花のように微笑んだ少女にサミュエルとハップスは目を奪われたのだった。




