侯爵令嬢と子爵令嬢
入学してから約1か月が経った頃、学園内で『アリサ・フィール子爵令嬢は聖女である』という噂がまことしやかに囁かれ始めた。
エレオノーラ・バスティア侯爵令嬢はその噂に眉を顰める。
「一体どこからそんな話が出てきたのかしら?場合によっては不敬罪に問われるわ。フィール嬢は大丈夫かしら?」
「まぁ、エレオノーラ様はなんてお優しいんでしょう。あんな女のことまで心配なさるなんて」
「何処からだなんて、そんなのあの女がそう偽って王太子殿下や生徒会の皆さまにすり寄ったに決まっているじゃありませんか、皆、そう言ってますよ」
「貴女達、真相がはっきり分かっていないのだから、そんな風に悪し様に言ってはいけませんよ」
エレオノーラが歩みを進めながら両隣を歩くルシェル・メイリール伯爵令嬢とインリエッタ・ドールディオン伯爵令嬢を嗜める。
窘められたことでルシェルは少ししょんぼりした表情を見せ、インリエッタは納得がいかないという表情を見せた。
「二人とも感情を表に出しては淑女として失格ですよ。社交界でうまくやっていくには淑女の微笑みをいつも顔に貼り付けること、よろしいわね」
「はい、エレオノーラ様」
「…」
元気に返事を返したルシェルとは反対に、まだ納得がいっていない表情を見せるインリエッタを横目に見ながらエレオノーラはアリサに思いを馳せる。
『本当に皆が言う様にあの子が偽って殿下方に言い寄ったのかしら?』
先日見かけたリノリー、ビンセント、サミュエルに囲まれ、アレクサンドルに肩を抱かれて廊下を歩いていたアリサの姿を思い出す。
『かなり青ざめた顔で、寧ろ困っている様に見えたのよね…噂の出所を少し調べた方が良いかしら?』
ポーカーフェイスを保ちながらエレオノーラは心の中で『うん、よし、調べよう!』と拳をぐっと握りしめたのだった
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「あの噂の大元はベルモンヌ子爵令息様なんだそうです」
噂が流れだしてから2ヶ月程が経ち、そろそろ中間試験という頃、定例となってきた『お昼ご飯後の学園中庭にある東屋で開かれる小さなお茶会』で少し遅れてやって来た令嬢がそう話始めた。
「リノリー様が?」
「何でも、ベルモンヌ子爵令息様がフィール嬢が聖女であると断定できる行いを目撃したんだとか」
「何をご覧になったのかしら?」
「私の婚約者も何を見たのか尋ねたらしいのですが、それは話せないと仰ったそうで何があったのかまでは…」
「何ですの、それ?」
「とにかく、本日にでも生徒会から正式に『アリサ・フィール子爵令嬢が聖女である』という発表をなさる予定なんだそうです」
「そう、教えてくださってありがとうリッチモン子爵令嬢」
「いえ、お役にたてて光栄です」
エレオノーラが頭の中で殿下の思惑を推察する。
『聖女かどうかは教会だけでしか判定できない。だけど、リノリー様が何かしらの力を見て、彼女を聖女だと判断した?それとも、生徒会の皆様も彼女が聖女だと思える力を見たと言うことなのかしら?そうであるという確信がなければ、こんな風にはなさらないとは思うのだけど…』
「…オノーラ様、エレオノーラ様、聞いてらっしゃいます?」
「ごめんなさい。どうかなさった?」
「もうすぐ午後の授業の時間ですわ」
「ああ、もうそんなお時間なのね。では、今日のお昼のお茶会はこれで終わりましょう。次回は試験勉強をなさりたい方もおありでしょうから明日ではなく試験明けということで…よろしいかしら?」
「「「「はい」」」」
東屋を後にし、教室へ向かう途中、掲示板の前に人だかりが出来ている事に気がつき、エレオノーラ達は足を止めた。
「何でしょう?私、見てまいります」
ルシェルが小走りで人だかりに向かって駆けていく。
「ルシェル様、廊下を走っては!」
ルシェルの背中にインリエッタが声をかけるが、聞こえていない様でそのまま人だかりの中に突入して行った。
「もう、あの子ったら」
インリエッタがふぅっと溜息をつく隣でエレオノーラがふふふと笑う。
暫くして人の群れを掻き分けてルシェルが姿を現す。
こちらにバッと顔を向けると先ほどの小走りよりも早い速度でバタバタと駆け戻ってくる。
「ルシー、だから廊下は走っちゃダメだと…」
「そんなことより!」
「そんな事ではないわよ、ルシェル」
「エレオノーラ様それどころじゃ…アレです、さっき話していたアレが!!」
「何よ、アレって?」
「もしかして、フィール嬢が聖女であるという?」
「そうです、そうです、そのアレです。聖女さまの保護の為、臨時で生徒会入りするとか言うお触れが貼り出されています」
「そう…そういう事…」
「え?そういう事って、どういう事ですか?」
「いいえ、良いのよ、気にしないで。さあ、教室に戻りましょう」
掲示板には見向きもせずエレオノーラが前を通りすぎる。
置いて行かれないようにとその後ろをルシェルとインリエッタが駆け足で追い掛けた。
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掲示板の告知以降、アレクサンドル殿下達生徒会役員の面々がアリサを侍らせて廊下を闊歩する姿が毎日、毎休憩時間、見られるようになった。
ソレを見た沢山の生徒たちがひそひそとアリサの陰口を叩く。
アレクサンドル達の耳に届いていないのか、届いていても敢えて無視しているのかは分からないが、彼らが行動を変えることはなく、引き連れられているアリサだけが、どんどんやつれていっている様にエレオノーラには思えた。
「大丈夫なのかしら、あの子」
そう、ひとりごちる。
通り過ぎていった一行の背中を見送るとエレオノーラはお茶を飲みながら試験勉強を行う為にサロンへと足を向けた。
この時期の放課後は殆どの人間が試験勉強の為、図書室か自習室へ行くので、サロンは比較的人が少なく席が見つけやすい上に、ここでなら軽食をつまみながらやお茶を飲みながら勉強ができるので狙い目だとすでに学園を卒業した兄から聞いていた。
中に入って見渡してみると兄の言っていたように人がまばらにしかいない。
何処に座ろうかと思いながら歩いていると、4人掛けの席に座りうんうん頭を抱えているルシェルの姿に気がつき声をかけた。
「ルシェルもこちらでお勉強していたのね、ご一緒しても?」
「エレオノーラさま、もちろんです!」
ルシェルが救世主を見る様なパァッと明るい笑顔をみせる。
その顔を見てエレオノーラはふふっと笑うと、横に腰掛けて
「で?どこで引っ掛かってらっしゃるのかしら?」
とルシェルのノートを覗き込んだ。
「これです、この2問目が」
「ああ、エッダ教授の魔法薬学ね。その薬草、実は引っ掛け問題なのよ」
「えっ?引っ掛けですか?」
「そう、よく葉っぱの形を眺めてごらんなさい」
「うええ?細かい…細かすぎて見づらい…うううう」
「ルシェル、心の声が全部お口からまろび出てるわよ」
「お勉強中に失礼致します」
か細い声で話し掛けられてエレオノーラとルシェルが顔を上げると真っ青な顔色のアリサが俯きがちでそこに立っていた。
「あっ、貴女!よく平気な顔でエレオノーラ様に話し掛けられるわね!」
「ルシェル、おやめなさい」
ルシェルが声を荒げるのをエレオノーラが窘める。
「格下の者からお声かけしてはいけないことは重々承知しておりますが、どうしてもお話させて頂きたく、ご無礼お許しくださいませ」
「安心して、ここは学校よ。上も下も関係なく皆が平等の立場ですもの」
エレオノーラがアリサに微笑みかける。
その笑顔を見返しながらアリサが悲痛な面持ちで言葉を続けた。
「バスティア侯爵令嬢様、少々お時間を頂戴することは可能でございましょうか?」
「ええ、大丈夫よ。…何処か別の場所に移動しましょうか?」
アリサを気遣って場所の移動を提案してみるが、その問いにアリサは首を横に振った。
「貴重なお時間を頂戴致しますのに、ご足労までおかけする訳には…」
「そう、では此処で。どうぞ、お向かいにお座りなさいな」
「失礼致します」
アリサが着席したと同時にルシェルが立ち上がる。
「エレオノーラ様、私、お花を摘みに行ってまいりますね」
「ええ、わかったわ、行ってらっしゃい」
「メイリール伯爵令嬢様、お気遣いありがとう存じます」
「私はただお花を摘みに行くだけよ、貴女にお礼を言われる覚えはないわ」
話をしやすいようにと場を辞してくれるルシェルにアリサが礼を述べるとツンとした態度でルシェルが返事を返しテーブルを離れる。
ルシェルを見送った後、エレオノーラが手ずからカップに紅茶を注いでアリサの前に置く。
「フィール嬢、紅茶をどうぞ」
「お手数おかけいたします、ありがとう存じます」
伏し目がちにお礼を伝えるアリサを見つめていたエレオノーラがハッとした表情を見せる。向かいに座るアリサにずずいっと顔を近づけ、ビクッと身体を強張らせたアリスの顔を下から覗き込む。
「貴女、お化粧で誤魔化しているけれど酷い隈ができているわね、キチンと眠れているの?」
「え…あの…わたくし…えっと…」
「何か悩みがあるのね?良いわ、私にお話なさいな」
「い、いえ、あの、わたくしはエレオノーラ様に謝罪を…」
「あら、貴女が謝る必要なんてないわ。どうせ今回の事は全部、殿下が原因でしょうから」
「えっ?」
「貴女、殿下や生徒会の皆さんの行動に困ってらっしゃるんでしょう?」
「どうして、それを…」
驚いた顔を見せるアリサにエレオノーラが笑ってみせる。
「だって貴女、いつも全く楽しそうじゃないもの」
「……」
「自ら聖女を名乗って彼らに言い寄っているんだったら、もっと楽しそうに廊下を歩いてるだろうし、周りに見せ付けるように彼らに擦り寄りながら闊歩する筈でしょう?でも、貴女はいつも身を縮めて殿下の手から逃げるような姿勢で歩いている」
驚いた表情で見つめるアリサの手をポンポンと軽く叩いて労う。
途端にポロリとアリサの瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。
「どうして、あのボンクラ達は気がつかないのかしら?可哀相に…」
「あの、わたくし、本当にエレオノーラ様にご迷惑やご気分を害するような事をしたくはなくて…それに、せ、聖女さまではないと…なので…」
「ええ、大丈夫よ。それに、こんな時はこう言うの『助けてください』って」
「そんな、そんな恥知らずなお願いなど…」
「恥知らずなんてことあるものですか。大丈夫、口に出してごらんなさい、さあ」
「エレオノーラ様…わたくしを助けてください…」
「ええ、賜りました」




