第6話 『炎獅子の反逆者』
半ば無理やり着せられた、白いワイシャツと、黒いスラックス。大学生の普段着とは、まるで縁のない格好に僕はそわそわしていた。
襟が、首に慣れない。鏡があったら、きっと、七五三みたいな顔で突っ立っている自分が映っているに違いない。就活すら、まだしたことがないのに。まさか、死んだ先で初めてスーツに袖を通すことになるなんて思ってもみなかった。
「サイズ、ぴったりでよかった。うちはね、この通りスーツを制服にしてるんだ」
シュンさんは、僕の格好に加えて、細い黒ネクタイに、黒いジャケットまで羽織って、ぴしっと決めている。
「うちのボスの意向でね。礼節を重んじる人だから、失礼のないように。えっと——そういえば、まだ、名前を聞いてなかったね」
「あ。優馬です。武羅優馬っていいます」
「優馬くん、か。うちはね、みんな、愛称で呼び合うんだ。僕みたいに本名で呼ばれる人もいれば、シルビィみたいに、あだ名の人もいる。優馬くんは、なんか、あだ名とかあった?」
「い、いや。特に、そういうのは……。ふ、普通に、ユウマでいいです」
「そっか。じゃあ、改めて。よろしくね、ユウマくん」
爽やかな笑顔に、僕は思わず気圧された。
そんな話をしながら、シュンさんについて、歩いていく。
建物は、白を基調にした、新築みたいな綺麗さだった。壁も床も、陶器みたいに、つるりとしていて、金属製の似たような扉が、いくつも並んでいる。もう二度と、さっきの病室には自力で戻れそうにない。
「あの、ここって……どれくらい、広いんですか」
歩いても歩いても、同じような白い廊下が続くので、思わず尋ねてしまう。
「けっこう広いよ。この基地、五階層あるんだ。詳しくは、あとで案内するね」
五階層。ますます、現実味が遠のいていく。生と死の狭間に、こんな立派な建物があるなんて、いったい、誰が想像できるだろう。
そして、一つの扉の前で、シュンさんが、足を止めた。
コン、コン、コン。
「シュンです」
「入いれ!」
中から、腹に響くような、図太い声。
扉が開くと、そこには——筋肉が、いた。
いや。訂正しよう。
筋肉の塊みたいな、男が、いた。
膨れ上がった筋肉を、スーツで無理やり押さえつけているんじゃないか、と思わせる、パツパツの体。ジェルで、きっちり上げた黒髪。やり手のビジネスマンを、そのまま凶悪にしたみたいな雰囲気で、それはもう、僕がいちばん苦手なタイプだった。
声も、体も、存在感も、何もかもが、大きい。この人の前に立っているだけで、部屋の酸素が半分くらいに減った気がした。
「やぁやぁ!君が!お嬢が拾ってきたと言っていた、少年か!」
(……お嬢?)
聞き慣れない呼び名に引っかかる。もしかして——あの、黒髪の人のことだろうか。
「ふむ、元気そうだな!!!君、名前は?」
「は、はい。ユウマ、といいます」
「ユウマか!良い名だな!シュンから、この世界の説明は、聞いたな?色々、混乱しているだろうが——大事なことを、一つ!教えておこう!」
ボスと呼ばれた男が、ぐっと、身を乗り出す。
「ここでは、“全て、自分で決断し、行動すること”だ!一度死んだのに、誰かの言いなりになってる場合じゃないからなァ!ハッハッハ!」
豪快な笑い声が、部屋に反響する。
その言葉が——なぜだろう。すとん、と、妙に胸に落ちた。初めて聞いたはずなのに、まるで、ずっと昔から、自分が大事にしてきた言葉みたいに。
苦手なタイプの、はずなのに。この人の言葉には、不思議と、嘘がない。そんな気がした。
「それで。君は、どうしたいと思っている?」
さっきまでの豪快さが、嘘みたいに。ボスの目が、すっと、鋭くなった。射抜くような視線に、僕は思わず、たじろぐ。
戦うのか、逃げるのか。生きるのか、消えるのか。この人はきっと、そういう次元のことを、僕に訊いている。
「ボス、すみません。まだ、入団するかどうかの話はしてないんです」
シュンさんが、横から、助け舟を出してくれる。
「お、そうだったか!なら——我々、《炎獅子の反逆者》に加わるかどうかは、君次第だ。さぁ!どうする!!」
炎獅子の、反逆者。
その、大層な名前に僕は、また気圧される。反逆者って、いったい誰に反逆しているんだろう。
「い、いや……あの、すみません。まだ、その、どういうグループなのかも、わかっていなくて……」
「そうか!では、今日一日、我々の基地を、ぐるっと回って、団員に話を聞いてみるといい!我々は、君を歓迎するからな!!!」
ボスは、からりと笑って、続けた。
「どちらにせよ——そのスーツと、耳の“プルセ”は、我々からの、餞別だ!貰ってけ!」
「耳の……?」
言われて、左耳に、触れる。耳たぶに、小さな、ピアスが、付いていた。
「えっ、えっ!?これ、いつのまに!?」
「あ、ごめんね。言い忘れてた」
シュンさんが、苦笑する。
「それが、“プルセ”。タイランを、制御してくれる、アクセサリーだよ。それがないと、タイランが体の外に流れ出てしまってね。体温がどんどん下がって——最終的には、消滅してしまうんだ」
体温が、下がる。
その言葉で、僕は思い出した。あの時間の止まった街で。あんなに歩き回っていたのに、どんどん、体が冷えていった、あの訳のわからない寒さを。
「……だからあの時。僕、あんなに寒かったんですね」
「そういうこと。プルセがなかったからね。……もし、あのまま誰にも会えなかったら。君は、あの街で、静かに凍えて、消えていたかもしれない」
ぞっと、する。あの寒さは、ただの寒さじゃなかったんだ。僕の“命”そのものが、指の先からこぼれ落ちていく——その音だったのかもしれない。そう思うと、今も背筋が冷たくなった。
それにしても、ピアス、か。
一生、縁がないと思っていた。不良か、イケてる奴が付けるものだ、っていう勝手な偏見が僕にはある。なんなら、ちょっと、女々しいとすら思っていた。
一度気づいてしまうと、もう気になってしょうがない。僕は意味もなく、何度も、耳たぶを触ってしまう。
(……なんか、恥ずかしいな)
それにしても、"お嬢"。
ボスの、あの言い方。やっぱり、あの黒髪の人のことだと思う。僕を助けて、ここまで運んでくれた、あの人。せめて、一言、お礼が言いたい。……できれば、もう一度、会いたい。
その気持ちは、恥ずかしいピアスのことなんかより、ずっと胸の奥で静かに疼いていた。
「じゃあ、ユウマくん。ちょっと、まわってみようか。案内するよ」
シュンさんが、扉のほうへ促す。
正直、まだ何もかもが飲み込めていない。
頭も、心も、ぐちゃぐちゃだ。でも——ここで、うずくまっていたって、何も始まらない。それだけは、なんとなくわかる気がした。
「では、ボス。失礼します」
「おう! ——ユウマ」
部屋を出ようとしたその背中に、ボスの低い声が、かかった。
「よく、見て回れよ。君が、これから、どこで、どう生きるのか。それを決めるのは、他の誰でもない、君自身だ」
その言葉はやけに僕の、胸の奥に、深く、残った。
どこで、どう生きるのか。そんなこと、考えたことも、なかった。現世にいた頃の僕は、ただ、流されるまま、レールの上を、転がっていただけだったから。
でも——ここでは自分で決めなきゃいけないらしい。
軽く、会釈をして。僕はボスの部屋を後にした。




