第5話 『余命二年』
「——まずは。リミトロフについて、かな」
シュンさんは、ベッドの脇の丸椅子に腰かけると、ゆっくりと、話し始めた。
「あ、あの金髪のやつも、僕のことを“リミトロフ”って呼んでました。あれ、なんなんですか?」
「金髪……ああ。あのね、きみ、かれこれ一週間くらい眠ってたんだよ」
「一週間!?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。無断欠席どころの話じゃない。母さんは、大学は、どうなってるんだ。
「シルビィの治療のおかげでもあるし、まぁ、それだけ、重症だったってこと」
さらりと言われて、僕は、言葉に詰まる。重症。そうだ。僕は、腹を、貫かれたんだった。
「リミトロフっていうのは、《境界に住まう者》っていう意味なんだ」
シュンさんが、指を一本、立てる。
「きみが今まで生きてきた世界を〈現世〉、死んだあとに行く世界を〈常世〉って呼ぶ。その二つの、ちょうど狭間——〈リミト〉に落ちてしまった人たちを、リミトロフっていうんだよ」
「狭間……」
「そう。生きても、死にきってもいない。宙ぶらりんの、境界。今きみがいるのが、そこ」
窓の外に、目をやる。さっき、ちらりと見えた景色は、見慣れた街並みなんかじゃなかった。白い、のっぺりとした建物が、どこまでも続いている。ここが、生と死の、狭間。
現実味なんて、これっぽっちもない。ないのに、腹の傷だけが、それを、否応なく、裏づけていた。
「じゃあ、その……なんで、僕は、そんなところに」
理由は、たぶん、心のどこかで、わかってしまっていた。だから、口にするのが、怖かった。
シュンさんは、僕の目を、まっすぐに見て、静かに、言った。
「きみは、一度——死んだんだ」
「……」
「本来、人は死ぬと、常世へ行く。でも、ごく稀に、リミトへ送られることがある。……心当たり、あるんじゃないかな」
車。時間の止まった街。腹を、貫いた、腕。
「……はい。車に、轢かれる、直前で。周りの時間が、止まって……」
言葉にした瞬間、ぞわりと、鳥肌が立った。今、こうして息をしているせいで、実感なんて、まるでないのに——僕は、一度、死んだ。その事実が、喉の奥を、ぎゅっと、締めつける。
「大丈夫だよ。かく言う僕も、リミトに送られた人間だからね」
シュンさんが、ふっと、表情を和らげた。
「送られる基準は、まだ、はっきりとは、わかっていない。ただ——“現世に、強烈な心残りがある人”なんじゃないか、って、言われている」
心残り。
僕は、自分の胸の内を、探ってみる。……でも、わからない。やり残したこと、未練。そりゃあ、あるにはある。でも、命がけでしがみつくほどの、強烈な何か、なんて。凡庸な僕の人生に、そんなもの、あっただろうか。
(……なんだ、これ)
心残りを探ろうとすると、胸の奥の、いちばん深いところに、名前のつかない“何か”が、うずくまっている気がした。手を伸ばしても、届かない。輪郭も、掴めない。まるで、鍵のかかった、開かずの部屋みたいに。
「さて。今のきみには、酷なことを言うようだけど」
シュンさんの声が、少し、真剣味を帯びる。
「また死にたくなければ——きみは、戦うしかない」
「……戦う?」
「うん。リミトに来た人間には、“タイムランク”、略して“タイラン”っていうものが、与えられるんだ」
「あ。それ、さっきシルビィさんも、言ってました」
「そう。このタイランはね——リミトロフの、寿命であり、生命力であり、強さそのもの。文字どおり、“全部”なんだ」
シュンさんが、僕の左手を、指さす。
「手を、握ってくれるかな。ぎゅっと、握り拳を作って」
言われるがまま、点滴のついていない左手で、拳を作る。
「そのまま、心の中で“タイムランク”って、念じてみて」
(……タイムランク)
半信半疑で、念じた、その時。
手の甲に、ぼう、と淡い光が浮かんで、〈G2〉という文字が、刻まれるように、浮かび上がった。
「うわっ!?」
思わず、手を振る。でも、文字は、消えない。
——なんだ、これ。ゲームか。ゲームなのか。……いや、笑えない。だって、この感覚。初めてのはずなのに、身体がこの“やり方”を、最初から知っていた気がする。
「それが、きみのランク。Gランクの、クラス2だね」
シュンさんが、少しだけ、気まずそうに、笑った。
「ランクは、上からS、A、B……と続いて、いちばん下が、G。クラスは、各ランクの中で、1から10まで。10がいちばん上で、1がいちばん下」
つまり。僕のG2っていうのは——。
「はっきり言うと、下から数えたほうが、圧倒的に、早い」
「……ですよね」
薄々、そんな気は、していた。
「そして、これがいちばん大事なこと」
シュンさんが、まっすぐに、僕を見た。
「タイランは、ただの強さの指標じゃない。きみの、“残り時間”そのものなんだ。1クラスで、だいたい一年ぶんの寿命。……そして、何もしなくても、タイランは、日々少しずつ、減っていく」
「へ……。えっと、それって、つまり」
嫌な、予感が、する。
「今のきみは、G2。何もしなければ——きみの残りの寿命は、あと二年ってことになる」
——二年。
頭が、真っ白に、なった。
さっき死んだばかりで、実感もないのに。今度は、余命宣告。しかも、たったの、二年。
「そして、Gの、さらに下まで落ちると、“H行き”だ」
「H……?」
「Heaven。つまり、成仏。……今度こそ、本当の、おしまいってこと」
にっこりと微笑むシュンさんの、その爽やかさの奥に、僕は、ぞくりとするほどの、闇を見た気がした。
*
「じゃあ……その、タイランを、増やすには」
「方法は、二つ。一つは、地道に、鍛錬を積むこと」
「もう、一つは?」
シュンさんの表情が、わずかに、翳った。
「——他のリミトロフを、殺して、奪うこと」
心臓が、嫌な音を立てる。
「昨日きみを襲った、あの男。あれは、“選民派”っていう連中の、一人だ。リミトロフは選ばれた特別な存在だ、なんていう、危険な思想を掲げていてね。タイランを奪うために、片っ端から、リミトロフを、狩ってる」
生きるため、弱肉強食。あの男の言葉が、耳の奥でよみがえる。あれは、比喩でも、脅しでもなかったんだ。
「あの……一つ、いいですか」
僕は、ずっと引っかかっていたことを、口にした。
「シルビィさんが、僕を治すのに“タイランを使った”って。……能力を使うと、寿命が、減るんですか?」
「お。いい質問だね」
シュンさんが、感心したように頷く。
「普通の能力を使うぶんには、タイランは、減らない。減るのは、その場の“活力”——まぁ、スタミナみたいなものだけだよ。大技を使えば、疲れる。でも、寿命が縮むわけじゃ、ない」
「じゃあ、シルビィさんのは……」
「治癒は、特別なんだ。あれは、自分の“寿命そのもの”を、相手に分け与える力でね。……シルビィは、自分の時間を削って、きみを、助けてくれたんだよ」
言葉が、出なかった。
小学生だなんて失礼なことを、と思った。根に持たれて当然だ。あの子は——自分の命を削って、名前も知らない僕なんかのために。
「……お礼、ちゃんと、言わないと」
「うん。あとで、たっぷり、ね」
シュンさんが、優しく笑った。
そして、ふと、僕の肩に手を置く。
「一度にたくさん、抱えきれないよね。でも、これだけは覚えておいて。——ここでは、立ち止まった者から消えていく。だから、きみにも決めてもらわなきゃいけない」
「決める……?」
「うん。きみが、これからどうやって生きるのか。……その話をするために会わせたい人がいるんだ」
シュンさんが、立ち上がり、扉のほうへ歩き出す。
その背中を、追いかけながら——僕は、まだ知らなかった。
この選択が、僕の“二度目の人生”を、大きく変えることになるなんて、まだ想像もできていなかった。




