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やり直すほど、弱くなる ~死に戻りの代償は寿命。無能の僕が『英雄の再来』と囁かれる理由を、僕だけが知らない~  作者: ふゆう
第一章 無能の始まり

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第34話『裏返らない札』

食堂の入口に、木の板が掛かっている。


そこに、隊ごとの札がぶら下がっていた。下に出ている隊は表。戻ってきたら、誰かが裏に返す。それだけの仕組みだ。


今まで、一度も気にしたことがなかった。


札は四枚あって、三枚は裏返っていた。


一枚だけが、表のままだった。



「先輩! こっちこっち」


背の低い子が、奥の席から手を振っていた。


行くと、その子は自分の皿を半分こっちに押し出してきた。


「明日も、先輩と行けるんですよね」


「……どうかな。隊は朝に決まるから」


「えー。バルガさんに頼んでくださいよ」


「僕が頼んだら、たぶん逆効果だよ」


その子は、けらけら笑った。


僕は、笑い返しながら、入口の板を見ていた。



刻限まで、あと一時間。


飯は、味がしなかった。


隣の子はよく喋った。今日の階段が怖かったこと、白い石が思ったより軽かったこと、上りで一回だけ足を滑らせたこと。


「先輩、聞いてます?」


「聞いてる」


「絶対聞いてないですよ」


「聞いてるって」


嘘だった。


僕は、頭の中で、今朝の裏口を何度も再生していた。


シュンさんが手を振っていた。荷物は下で増えるから、上りのぶんも考えて背負って、と言っていた。


(……訊けばいい)


誰かに、あの隊に誰が入っているのか、訊けばいい。


それだけのことが、どうしてもできなかった。


訊いてしまったら、そこで確定してしまう気がして。



刻限は、何の音もしないまま過ぎた。


鐘が鳴るわけでも、誰かが叫ぶわけでもない。ただ、食堂の時計の針が、ある位置を越えただけだった。


それでも、分かった。


喋り声が、一段下がった。


何人かが、入口の板を見た。見て、すぐに目を逸らした。


札は、表のままだった。



十五分ほどして、古参が三人、装備を担いで食堂を横切っていった。


「見てくるだけだ。騒ぐな」


そのうちの一人が、誰にともなく言った。


「入口まで行って、確かめてくる。……どうせ、そこで座り込んでるんだろうさ」


軽い口調だった。


でも、その人は、荷物を三つ余分に持っていた。



僕は、食堂を出た。


やることがなかった。部屋に戻っても、たぶん天井を見ているだけになる。


気づいたら、医務室の前に立っていた。


扉が開いていて、中で誰かが動いている。


「……あの」


「突っ立ってるな。手を貸せ」


シルビィだった。


白衣の袖をまくって、ベッドを引きずっている。


「そっち持て。壁際に寄せる」


僕は、慌てて反対側を持った。



ベッドを八つ、並べた。


普段は四つしか出ていない部屋に、詰めて八つ。それだけで、床が見えなくなった。


それから、湯を沸かした。布を裂いた。棚の薬瓶を、届く場所に並べ替えた。


シルビィは、その間ずっと喋らなかった。


僕も、喋らなかった。


「おい」


布を裂き終えたところで、彼女が言った。


「中層の傷ってのがどういうものか、聞いたことあるか」


「……塞がらない、って」


「そうだ。で、その先を考えたことは」


僕は、首を振った。


「傷が治るってのはな。順番があるんだよ」


シルビィは、指を三本立てた。


「一つ。血が止まる。二つ。体が、傷の中に入った汚れを片付ける。三つ。肉が盛って、皮が張る。……中層じゃ、一つ目から起きない」


「一つ目って」


「血が、止まらないんだ」


湯の鍋を睨んだまま、彼女は続けた。


「上でなら五分で止まるような切り傷が、下じゃ何時間でも止まらん。指の一本でも、押さえてないと流れっぱなしだ。……深い傷なら、そもそも上まで保たない」


僕は、自分の手のひらを見ていた。今日、階段で擦りむいた場所が、もう乾きかけている。


「二つ目も起きない。傷に入った砂も、菌も、誰も片付けてくれない。入ったぶんが、入った時のまま、中に居座る」


「……」


「だから、上げてきた奴を最初に診る時な。僕が見るのは、傷の大きさじゃない」


彼女は、そこで一度だけ手を止めた。


「どれだけの時間、開いてたかだ」



「でも、シルビィの能力なら」


「効くよ。下でもな」


彼女は、あっさり頷いた。


「あれは自然に治してるんじゃない。僕のタイランを、無理やり押し込んでるだけだ。……だから、世界がどうだろうと関係なく効く」


「じゃあ」


「八人ぶん押し込んだら、僕が空になる」


言い方が、あまりに普通だった。


「順番をつけるってことだよ。誰から押し込むか、僕がその場で決める。……それを何回もやりたくないから、早く上げろって話なんだ。全部」


「今、シルビィの残りって」


「余計なことを訊くな」


布を投げつけられた。



「八人だ」


彼女が、ベッドのほうを顎で示した。


「八人を、中層から担いで上げる。何人要ると思う」


「……分かりません」


「僕にも分からん。ただ、足りないことだけは分かる」


彼女は、そこで初めてこっちを見た。


「うちで中層に降りられるのは、そんなに多くない。降りられる連中は、全員、戦える側に回される。……担ぐ手が、どこにも余ってないんだ」



廊下に出ると、明かりが全部ついていた。


夜中なのに、誰も寝ていない。


食堂には人が残っていて、卓を囲んで札遊びをしている人たちがいた。でも、誰も点数を数えていない。三回に一回、誰かが入口の板のほうを見る。そのたびに手が止まって、それから、また配り直す。



「先輩」


振り返ると、背の低い子が立っていた。


さっき皿を押し出してきた時とは、まるで別の顔をしていた。


「あの。……上がってこないって、どういうことですか」


僕は、答えを持っていなかった。


「明日、隊、出るんですよね。僕、行きます」


「駄目だよ」


「なんでですか」


「……僕だって、行けないから」


言ってから、自分の言葉に殴られたような気がした。



偵察が戻ってきたのは、それから二時間ほど後だった。


僕は、医務室の入口で、その報告を聞いた。


「入口には、いなかった」


装備を担いだままの古参が、そう言った。


「代わりに、荷物袋が三つ、置きっぱなしになってた。……中身は、そのままだ」


「そのまま」


「掘った石が、詰まったまんまだ」


その意味は、今日一日で嫌というほど分かるようになっていた。


あれは、自分で担いで上がるものだ。捨てるということは、担いでいる余裕がなかったということだ。


「血は」


「……あった」


その先は、誰も訊かなかった。



報告を聞いた帰り、階段の踊り場で、僕はお嬢を見つけた。


そこにも板が掛かっている。食堂のは隊ごとの札だけど、こっちは一人ずつの名札だった。下に出ている人間の名前が、隊ごとにまとめて並んでいる。


彼女は、中層の列の前に立っていた。


装備は、とっくに身につけている。それなのに、動かない。


指を、いちばん上の名札に当てていた。


そのまま、二枚目へ滑らせる。三枚目。四枚目。


一枚ずつ、上から下へ、順になぞっていく。


八枚目まで行くと、指はまた、いちばん上に戻った。


同じことを、何度も繰り返していた。


僕は、声をかけられなかった。



その夜、大部屋に人が集められた。


壁に、紙が貼り出されていた。


中層に降りた隊の名簿だった。


僕は、人の肩の隙間から、それを見た。


八つの名前が、上から順に並んでいる。


一番上に、隊長の名前があった。


シュン。



見た瞬間、何も思わなかった。


本当に、何も。


ただ、指先の感覚が、すっと遠くなった。


分かっていたはずだった。今朝から、ずっと分かっていた。


それなのに、紙に書かれた四文字を見ただけで、こんなに違うものなのかと思った。



その隣に、もう一枚、新しい紙が貼られた。


捜索隊の編成表だった。


上から読んだ。


お嬢の名前。バルガさんの名前。メルドさんの名前。シルビィの名前。知っている名前も、知らない名前もあった。


十四人。


僕は、二度読み返した。


三度目も読んだ。


そこに、僕の名前は無かった。


当たり前だった。


僕はGだ。武器も持てない。中層では、掠り傷ひとつが致命傷になる。


それでも。


気づいた時には、僕は人の背中を掻き分けて、逆のほうへ歩き出していた。

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