第33話『採掘』
上りは、ひどく長かった。
バルガさんが先頭で、その後ろに背の低い子。真ん中に残りの二人。しんがりが僕だった。
「詰めろ。前の踵が見える位置を歩け」
言われた通りにする。誰も、口をきかなかった。
理由は、教えてもらえなかった。ただ、朝の下りではこんなことを言われなかった、ということだけは分かっていた。
*
階段を半分ほど登ったところで、バルガさんの足が止まった。
足場に、白い粉が散っていた。誰かがそこで、担いだ石を置き直したような跡だ。
その粉の上に、靴の跡がいくつも残っていた。
爪先は、全部、下を向いていた。
「……バルガさん」
「見るな。歩け」
*
さらに登って、二度目に折り返した時。
音が、聞こえた。
かん、かん、と、硬いものを打つ音。ずいぶん遠い。けれど、確かに下から上がってくる。
僕たちが掘っていた場所とは、方向が違った。
バルガさんが、足を止めた。
三秒くらい、そのまま動かなかった。
それから、何も言わずに歩き出した。
「あの」
「歩け」
その一言に、朝までの不機嫌とは違う何かが混じっていて、僕はそれ以上訊けなかった。
背の低い子が、僕のすぐ前で、荷物を抱え直したのが見えた。
その手が、少し震えていた。
僕は何か言おうとして、やめた。大丈夫だと言えるだけの根拠が、何一つ無かったからだ。
*
地上に出た時、僕は思わず両手を膝についた。
「休むな。歩きながら息を整えろ」
バルガさんは、振り返りもしなかった。
白く固まった街を、誰も喋らずに戻る。朝は三十分に感じた道が、今日は倍に感じた。
そして、角を曲がった。
基地の白い壁が、見えた。
その途端、肩から力が抜けた。
壁の下に、赤い布がある。黄色い果物がある。子供が二人、走り回っている。
色が、戻ってきた。
*
掘った石は、工房へ運ぶように言われた。
扉を開けると、しゃり、しゃり、という音がした。
「息」
顔も上げずに言われて、僕は反射的に口を押さえた。
「……冗談だ。袋のままなら飛ばん」
僕は、押さえた手をそろそろと下ろした。
爺さんが袋の口を開け、指で二つ三つつまみ上げて、明かりに透かす。
「……ふん」
それから、初めて僕の顔を見た。
「割れてはおらんな」
なんだか、無性に嬉しかった。
工房を出たところで、背の低い子が待っていた。
「先輩。あの、明日も行くんですか」
「……たぶん」
「よかった」
その子は、心底ほっとした顔をした。
「一人だと、僕、たぶん降りられないので」
*
夕方、僕は三階の大部屋に呼ばれた。
先月、間引 芽生の処遇を決めた、あの部屋だった。
今日は人が少ない。団長と、バルガさんと、古参が二人。それから、なぜかメルドさんもいた。
「新入り。見たままを言え」
バルガさんに促されて、僕はしどろもどろに話した。白い筋が無かったこと。溝だけが残っていたこと。壁一面がそうだったこと。
「削り口は」
「……尖ってました。丸くなってなかったです」
「よし」
それだけで、僕の役目は終わった。
*
「壁一面か」
団長が、地図に指を置いた。
「バルガ。あの規模だと、何日ぶんの仕事だ」
「うちの隊なら、十日」
「人数は」
「足跡は四人ぶんでした。……ですが、四人で十日ぶんの石は、運べません」
古参の一人が、腕を組んだ。
「担ぎ手が別にいるってことか」
「上に、荷受けがいる。……でなきゃ、あの量は動かん」
(……ああ)
そこでようやく、僕にも意味が分かってきた。
四人がこそこそ掘っていったんじゃない。掘る係と、運ぶ係と、受け取る側がいる。
つまり、組織だ。
*
「どこの連中だ」
「決めつけるのは早い」
団長が、指で机を叩いた。
「まず、野良の掘り子の線がある。どこにも属さん連中は、いつだって食い詰めている」
「四人ぶんの足跡で十日ぶんの穴を掘る野良が、どこにいます」
「では他所の団だ。表層の脈は、うちの持ち物ではない。取ったもの勝ちだ」
「うちの持ち場を、一面まるごとですか。……喧嘩を売ってるのと同じだ」
「うちの人間、って線は」
メルドさんが、低い声で言った。
部屋の空気が、少しだけ止まった。
「……場所を知ってるのは、うちの人間だ。全部が全部、外の仕業と決まったわけじゃねぇだろ」
誰も、すぐには言い返さなかった。
*
「一つ、確かなことがある」
長い沈黙のあとで、団長が言った。
「あの量の常白が、まだどこにも出回っていない」
「……市場にですか」
「そうだ。十日ぶんだぞ。粉一つ流れていない」
団長は、そこで初めて僕のほうを見た。
「売るために掘ったんじゃない、ということだ。……誰かが、溜め込んでいる」
溜め込む。
その言葉が、なぜか耳に引っかかった。
常白は、プルセになる石だ。掘られた量が減れば、その分だけ、誰かのプルセが作られない。
困るのは、たぶん潜る側じゃない。上で暮らしている人たちだ。
今日、門の外で果物を並べていたおばさんとか。足元をすり抜けて走っていった、あの子供たちとか。
*
「明日、二隊出す。同じ深さを、東と西に分けて見てこい」
団長が立ち上がった。
「今日のところは、それだけだ」
椅子を引く音が、いくつも重なる。
その中で、古参の一人が名簿を捲りながら、独り言みたいに言った。
「……そういや、中層の隊、まだ上がってねぇな」
「刻限は」
「あと二時間ある。誰かがへばって、休み休み来てんだろ」
「中層で長居はしたくねぇだろうに」
「あそこの隊長、慎重だからな。焦って怪我するよりましだろ」
そう言って、二人は笑いながら部屋を出ていった。
誰も、深刻な顔はしていなかった。
僕も、そうだった。
*
廊下に出て、階段を降りながら、僕はぼんやりと考えていた。
明日はどの隊に入るんだろう。バルガさんの隊だといいな。あの人は褒めないけど、たぶん、いちばん死ににくい。
そんなことを考えていて。
踊り場で、ふと足が止まった。
中層の隊。
今朝、裏口で。
シュンさんが、手を振っていた。
――今日は別の隊で、中層まで降りるんだ。
――気をつけてね。あと、荷物は下で増えるから、上りのぶんも考えて背負って。
僕は、窓の外を見た。
白く固まった街の向こうに、日はもう、ほとんど落ちていた。
あと二時間。
たぶん、なんでもない。
誰も深刻な顔をしていなかった。笑いながら、部屋を出ていった。
――それでも僕は、その場から、しばらく動けなかった。




