表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やり直すほど、弱くなる ~死に戻りの代償は寿命。無能の僕が『英雄の再来』と囁かれる理由を、僕だけが知らない~  作者: ふゆう
第一章 無能の始まり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/36

第32話『表層』

一週間は、あっという間に過ぎた。


当日の朝。基地の裏口に集まった僕たちの前に、その人は立っていた。


「プルセ。出せ」


僕は、左耳のピアスをつまんで見せた。周りの三人も、それぞれ首や手首や耳のものを引っ張り出す。


その人は、一人ずつ顔を近づけて、目を細めて確かめていった。


丸く刈り上げた頭。潰れた左耳。首から鎖骨にかけて、引き攣れた古い火傷。


バルガさん、というらしい。先週の会議で、僕に「甘ぇよ、新人」と言い放った、あの人だった。


「……お前か」


目が合った瞬間、そう言われた。


「はい」


それきりだった。


「欠けはない。行く」



僕以外の三人は、全員、僕より後に来た子たちだった。


いちばん背の低い子なんて、まだ十四か十五くらいに見える。さっきからずっと落ち着かなくて、荷物の紐を意味もなく結び直していた。


「ユウマ君」


裏口まで見送りに来たシュンさんが、手を振っていた。今日は別の隊で、中層まで降りるらしい。


「気をつけてね。……あと、荷物は下で増えるから、上りのぶんも考えて背負って」


「上りのぶん」


「掘った石、自分で持って帰るんだよ」


そういえば、そうだった。



門を出ると、まず、匂いがした。


何かを焼いている匂い。それから、金物を叩く音。誰かが誰かを大声で呼んでいる。


基地の外壁に貼りつくようにして、店とも小屋ともつかないものが並んでいた。布を張っただけの屋根。積んだ箱の上に果物を広げただけの台。子供が二人、僕たちの足元をすり抜けて走っていく。


色が、あった。


赤い布。黄色い果物。誰かの着ている緑の上着。


「この辺までだ」


バルガさんが、顎で先を示した。


「壁から離れると、何も無い」



その意味は、五分も歩かないうちに分かった。


静かになった。


人の声も、金物を叩く音も、少しずつ遠くなって、やがて聞こえなくなる。残ったのは、僕たちの足音と、荷物の擦れる音だけだった。


道の両側に、建物が並んでいる。崩れてはいない。窓も、扉も、看板も、全部ちゃんとある。


ただ、白かった。


塗られた白じゃない。色が抜けきったあとの白だ。看板の文字も、扉の木目も、形だけ残して、全部同じ色に固まっている。硝子の中に閉じ込めた絵みたいに、そこで止まっていた。


僕は、この道を知っていた。


この世界に落ちた日、僕はここを、たった一人で三十分以上歩いた。閉まった店の扉に片っ端から手をかけて、どれも開かなくて。歩いているのに、指先から順に体温が抜けていって。


(……あの時と、同じ道だ)


でも、今は寒くない。


左耳に、小さな石が一つ、ぶら下がっているから。


「あの、先輩」


背の低い子が、僕の袖を引いた。


「せ、先輩?」


「だって、僕らより前からいるじゃないですか」


先輩。


生まれて初めて言われた気がする。


「……ここ、静かすぎませんか」


「うん。……最初は、めちゃくちゃ怖いよ」


そう答えたら、その子は僕の一歩後ろから離れなくなった。



三十分ほど歩いた先で、道が途切れていた。


裂け目。


白く固まった街路が、ある地点からぱっくりと割れて、そこから先が無い。幅は、建物三つぶんくらい。覗き込んでも、底は見えなかった。


その内壁に沿って、足場と階段が、ジグザグに下へ続いている。


そこだけ、白が違った。


街の白がくすんで乾いているのに対して、その足場の白は、うっすらと光っている。


「常白で組んである」


バルガさんが言った。


「他の材なら一年で腐る。足元はケチらん」



降り始めて、すぐに気づいた。


暗くならない。


見上げれば、空はどんどん細くなっていく。なのに、足元は明るくなっていく。


「壁」


言われて、僕は横を向いた。


岩肌に、白い筋が走っていた。


太いものは腕くらい、細いものは糸みたいに。それが何本も、下へ下へと伸びている。全部、うっすらと光っていた。


「常白の脈だ。地表近くはもう無い。ここからが生きてる」


さらに降りると、白い筋の周りに、緑が見えはじめた。


苔だった。それから、細い草。


僕は、指で触ってみた。


湿っていた。


上の街にも草はある。でも、あれは触ると指のあいだで粉になる。ここのは、指に緑がついた。


「止まるな」


「あ、すみません」


慌てて足を動かしながら、僕はシュンさんの言葉を思い出していた。


表層はきれいだよ、と、あの人は言った。


本当だった。



底は、思っていたよりずっと広かった。


左右に岩の壁が立っていて、その間の平らな地面が、奥までずっと続いている。見上げると、空はもう細い線でしかない。


その壁の中に、白い筋が埋まっていた。


表に出ているのは、ほんの一部だ。指くらいの幅で顔を出して、あとは岩の奥へ入り込んでいる。


「岩を落として、白いところを出せ」


バルガさんが、壁の一点を鏨で示した。


「出たら、根元に刃を入れろ。そこから剥がれる」


「どのくらい掘ればいいんですか」


「白が出るまで」


説明は、それで終わりだった。


そういえば、と思う。


この人は、朝から一度も僕の名前を呼んでいない。「おい」か「新入り」だけだ。


メルドさんは、初日から僕を「坊主」と呼んで、会うたびに頭をがしがし撫でてくる。


同じ古参でも、ずいぶん違うものだと思った。



やってみると、これが難しかった。


力を入れれば砕けるし、抜けば刃が滑る。角度も深さも、全部間違えている自覚だけがある。


隣で背の低い子が、僕より先に一つ剥がして、小さくガッツポーズをしていた。


(……くそう)


一時間ほど格闘して、ようやく一つ、僕の手のひらに白い欠片が転がった。


親指の先より、少しだけ大きい。ざらついていて、見た目より軽い。


工房で触ったものと、同じだった。


(これが、誰かのプルセになるのか)


そう思ったら、手の中のものが、急にずしりと重くなった気がした。


「おい」


背後から、声。


「割れてはいない」


それだけ言って、バルガさんは別の壁へ歩いていった。



途中、岩の隙間から、灰色のものが二匹ばかり出てきた。


犬より少し小さい。四つ足なのか、そうでないのかも、よく分からない形をしていた。目らしいものは、無い。


それが、まっすぐこっちへ来た。


速くはない。歩くくらいの速さだ。ただ、止まらなかった。僕が一歩下がると、そのぶんきっちり寄ってくる。


「下がれ。耳を押さえろ」


「え」


「プルセだ。持っていかれるぞ」


慌てて左耳を手で覆った瞬間、バルガさんが前に出た。


鏨の柄で、一匹目の胴を横に払う。二匹目も同じように払う。


二匹とも岩壁に当たって転がって、しばらく地面をもぞもぞと動いてから、また隙間へ戻っていった。


死んではいなかった。


「あれ、なんですか」


「湧く」


「湧く?」


「常白のあるところに寄る。人にも寄る。……表層のは弱い。気にするな」


彼はもう、別のことを考えている顔だった。


僕は、しばらく耳から手を離せなかった。



昼過ぎに、袋が半分ほど埋まった。


「上がるには早い。もう一本、見る」


バルガさんに続いて、僕たちは壁沿いに歩き出した。


「あの、バルガさん」


僕は、思い切って背中に声をかけた。


「この前の会議のことなんですけど」


「済んだ話だ」


「え」


「団長が決めた」


彼は、前を向いたまま歩き続けた。


「俺の隊が半分寝込んだ。それだけだ。……お前の言ったことが間違いだとは、言っていない」


それきり、彼は黙った。



三十分ほど歩いて、角を曲がった。


そこで、バルガさんの足が止まった。


僕は、その背中越しに壁を見て――何が起きているのか、最初は分からなかった。


白い筋が、無い。


正確には、あった痕跡だけがあった。脈が走っていた形の溝が、深くえぐれて残っている。


根こそぎ、削り取られていた。


一本や二本じゃない。見渡すかぎり、この壁一面が、全部そうだった。


「……バルガさん」


返事はなかった。


彼は溝に手を当て、指先で縁をなぞっている。


「新しい」


低い声だった。


「削り口が尖ってる。風で丸まってない。……二日と経っていない」


「え」


「先月まで、ここは手つかずだった」


彼が、ゆっくりと立ち上がった。


そして、僕たち四人のほうを振り返って、初めて――少しだけ、声を落とした。


「集まれ。列を崩すな」


その顔から、朝のふてぶてしさが、綺麗に消えていた。


背の低い子が、明らかに怯えていた。荷物を握る手が、小さく震えている。


バルガさんは、その子の顔を見なかった。


「荷物は前に抱えろ。走るときに落とす」


それだけだった。


メルドさんなら、頭をがしがし撫でて、くだらない冗談の一つも言っていたと思う。


でも、その子の足は、さっきより、しっかり地面を踏んでいた。


「上がる。今すぐだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ