第31話『常白』
「炎獅子はね。……あそこへ降りると、時々、誰かが帰ってこない。それを分かっていて、それでも降り続けてる。……そういう組織なんだよ」
いつもの優しい声のまま、シュンさんはとんでもないことを言った。
「……え」
「あ、そんな顔しないで」
シュンさんが慌てて手を振る。
「悲壮な話じゃないんだ。……歩きながら話そうか。見せたほうが早い」
*
チューブに乗って、下の階へ降りる。
「まずね。層っていうのは、この基地の階のことじゃないよ」
シュンさんが、足元を指さした。
「もっと下。街のあちこちに、でかい裂け目が空いてるだろう。あの下に、世界が続いてる」
「下、ですか」
「うん。層は縦だ。降りていくものだと思ってくれればいい」
足の裏を意識した。この床のそのまた下に、まだ世界がある。そう言われても、像を結ばない。
「浅いほうから、表層、中層、深層。……この三つだけ覚えて帰って。他は忘れていいから」
「表層、中層、深層」
「そう。よくできました」
「あれ。じゃあ、今いるここは」
「表層だよ。ここも」
「街も基地も、表層のいちばん浅いところ。裂け目を降りていくと、同じ表層でもだんだん危なくなる。もっと降りれば中層」
「……ずっと表層にいたんですね」
「そういうこと」
シュンさんが、指を三本立てた。
「表層は、プルセさえ付けてれば、現世にいるのと変わらない。寿命の減り方も、傷の治り方も、そのまんま」
「はい」
「中層は、傷が塞がらない」
……え、と僕は聞き返した。
「塞がらない、って」
「そのままの意味。切ったら、切れっぱなし。三日いても、朝の傷が朝のまま残ってる」
「なんで、そんな」
「傷が塞がるのって、生命力が働いてる証拠なんだ。……中層じゃ、それが止まる」
「だから中層で怪我をしても、その場じゃどうにもならない。表層まで上がってこないと、治療も始まらないんだよ」
「上がってくるまで、そのままなんですか」
「うん。血も止まりにくいしね。……だからみんな、いつもの三倍は慎重になる。指一本だって安くないから」
「深層は」
「居るだけで寿命が減る。プルセを付けててもね」
「え」
「ゆっくりだよ。一日いて、数日ぶんってところ。……でも、確実に減る」
「なんで、そんな」
「この世界が、生と死の間だからだね」
シュンさんは、あっさり言った。
「上が生の側で、下が死の側。それだけの話だよ。……深く潜るっていうのは、死のほうへ歩いてくってこと」
背中が、ひやりとした。
言っている中身と、その声の軽さが、まるで釣り合っていない。
*
まだ入ったことのない区画の、いちばん奥に、その部屋はあった。
扉を開けた瞬間、細かい粉の匂いがした。
十人ほどが、それぞれの机に向かっている。誰も喋らない。聞こえるのは、しゃり、しゃり、という音だけだった。
机の上に、白い石が並んでいる。
「触ってごらん」
促されて、一つつまみ上げた。
親指の先ほどの白い欠片。ざらついていて、見た目より軽い。
「常白っていうんだ」
「とこじろ」
「層で採れる石だよ。この世界で、たった一つだけ、生命力を留めておける物質」
「留める」
「リミトじゃ、生き物からも物からも、生命力が絶えず漏れてく。外を見れば分かるだろう。建物も道も草も、みんなぼろぼろだ。あれは壊れたんじゃなくて、抜けきった残骸なんだよ」
「常白の傍だけは、それが止まる。だから朽ちない。……で、これを人の体に付けられる形にしたのが」
言われて、僕は自分の左耳に触れた。
小さな、ピアス。
この世界で初めて目を覚ました日に、団長から「餞別だ、貰ってけ」と放られたものだ。
「……プルセ」
「はい、正解」
*
いちばん奥の机に、ずいぶん歳をとった人が座っていた。
背中は丸まって、腕は枝みたいに細い。とてもじゃないが、戦えるようには見えない。
その人は、豆粒ほどの石を万力に挟んで、髪の毛みたいに細いヤスリで撫でていた。
削るというより、撫でる。それくらい弱い力だった。
十回ほど動かしては手を止め、水を一滴落として粉を流し、明かりに透かす。その繰り返し。
「あの人、朝からあれ一つだよ」
シュンさんが、小声で言った。
「掘ってきただけじゃ、ただの石なんだ。体に馴染む形まで持っていくのに、とんでもない手間がいる。削りすぎたら、そこから漏れる。やり直しはきかない」
「一つで、一日かかるんですか」
「早いほうだよ」
僕は、つい身を乗り出した。
「おい、新入り」
老人が、顔も上げずに言った。
「息、止めろ」
「え」
「息だ。かかっただけで粉が飛ぶ。……三時間ぶん、お前が飛ばす気か」
僕は、両手で口を押さえた。
隣で、シュンさんが噴き出していた。
「ごめんね、爺さん。連れてきたの僕なんだ」
「知っとる。次から、入口で息の根を止めてから入れろ」
「止めたら出てこられないよ、爺さん」
「静かでいいだろうが」
僕は口を押さえたまま、首を全力で横に振った。
「あ。ユウマ君、もう息していいよ」
言われて、勢いよく吐き出す。
爺さんが、初めて顔を上げた。
「……よそを向け」
「す、すみません!」
*
「あの人、戦えないですよね」
廊下に出てから、僕は言った。
「まったく戦えないね。要るのは、目と、指と、根気だけだから」
歩きながら、僕は間引 芽生のことを考えていた。
力なき者は土へ還るべきだ、と、あの人は言った。摘まれるべき芽だと。
でも、あの人の耳にもプルセは付いていたはずだ。作ったのは、たぶんさっきの部屋にいる人たちだ。
摘めと言った相手に命を繋いでもらいながら、あの人は僕らを狩っていたことになる。
*
シュンさんが、廊下の壁を軽く叩いた。
こん、と乾いた音がする。
「ちなみにこの基地、何でできてると思う?」
「え……まさか」
「常白。全部ね」
僕は、口を開けたまま壁を見上げた。
崩れた街の真ん中で、この建物だけが傷ひとつなく白い。ずっと不思議だった。
朽ちないんじゃない。朽ちる理由を、この壁が押さえてるんだ。
「じゃあこれ、削ったら」
「怒られるよ」
シュンさんは、真顔で言った。
「前にいたんだ。壁を削って売ろうとした人。……三日、飯抜きだったかな」
「団長がね。殴るより腹を空かせたほうが覚える、って。……そういう人なんだよ、あの人は」
*
「シュンさん。さっきの、帰ってこない人がいるって話」
「うん」
「あれ、どういう意味ですか」
シュンさんは、少しだけ間を置いた。
「表層で採れる常白はね。力が弱いんだ」
「弱い」
「プルセにはならない。砕いて、壁材にしたり、畑に撒いたりする」
「畑に、撒く」
「うん。この世界の土は、放っておくと生命力が抜けてく。撒いてやらないと、種を蒔いても何も出てこない」
「……肥料、みたいな」
「そうそう。それ」
「食堂の飯、あれ全部そうだよ。白い粉を撒いた畑で採れたやつ」
僕は、今朝のスープを思い出した。あの豆も、この石が育てたのか。
「で、プルセにできるのは、中層から下で採れたものだけ。深いほど、いい」
「じゃあ、ちゃんとしたプルセを作ろうと思ったら」
「そう。深層まで降りるしかない」
深層。
居るだけで、寿命が減る場所。
「……自分の寿命を削って、石を採ってくるってことですか」
「うん」
シュンさんは、あっさり頷いた。
「誰かが命を張って持ち帰ったもので、別の誰かが今日を生きてる。……まあ、どこの世界でも同じだけどね」
返す言葉に詰まった。
確かに、そうだった。現世でもきっと同じだったんだ。僕が、何も見ていなかっただけで。
*
「深層に潜る人は、減った寿命をどうしてるんですか」
「どうもしないよ」
シュンさんは、首を振った。
「減ったぶんは戻らない。休んでも、寝ても、戻らないんだ」
「うん。だから時間を決めて降りる。今日は何時間、って。……それを守れなかった人が、帰ってこない人になる」
「あとは。……常黒でも見つければ、話は別だけどね」
「とこくろ?」
「あ、いや。忘れて。子供の寝物語みたいなものだから」
「気になります」
シュンさんが、苦笑した。
「真っ黒な常白があるって話。持っていると、どこにいても生命力が漏れないんだって」
「つまり、どこででも、いつまででも生きていられるってこと」
その意味が、少し遅れて頭に届いた。
「……死な、なくなるってことですか」
「理屈の上ではね」
シュンさんは、なんでもないことのように言った。
「ただ、誰も見たことがない。見たって言う人はいるけど、話が全部食い違うんだ。……本当にあるなら、とっくに誰かが持ってるよ。たぶんね」
*
「そうだ。ユウマ君、そのピアス、ちょっと見せて」
差し出した左耳を、シュンさんが覗き込む。
そのまま、しばらく黙った。
「……ああ。これ、深層のだね」
「え」
「上物だよ。……新入りが最初に付けるようなものじゃない」
耳の奥で、心臓の音が大きくなった。
深層で掘り出された石だ。誰かが寿命を削って掘って、誰かが机に張りついて一日かけて削って、形になったもの。
そうやって回ってきたものを、団長は、会ったばかりの僕の手に、ぽんと放ったのだ。
餞別だ、貰ってけ、と。
*
「一週間後だよ」
歩き出しながら、シュンさんが言った。
「君も降りる。……表層の範囲だけどね」
「はい」
僕は背中を追いかけながら、一つだけ訊いた。
「シュンさんは、どこまで潜ったことがあるんですか」
「深層。三回ね」
え、と僕は足を止めた。
「行けるんですか、あそこ」
「行けるよ。うちだとC帯から上、って決まってるけどね」
「特別な場所じゃないんだ。時間を決めて、決めたぶんだけ掘って、上がってくる。それだけの仕事だよ」
「じゃあ、帰ってこない人っていうのは」
シュンさんの足が、止まった。
「時間を破る人も、いる。……あと、あそこには選民派もよく来るんだ。深いところの石は、向こうも欲しいからね」
「鉢合わせたら」
「どっちかだけが上がってくる」
「だから僕は、三回でやめたんだよ」
シュンさんが、初めて振り返った。
「ユウマ君。表層はきれいだよ。……そう思えるうちに、ちゃんと見ておいて」




