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やり直すほど、弱くなる ~死に戻りの代償は寿命。無能の僕が『英雄の再来』と囁かれる理由を、僕だけが知らない~  作者: ふゆう
第一章 無能の始まり

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第31話『常白』

「炎獅子はね。……あそこへ降りると、時々、誰かが帰ってこない。それを分かっていて、それでも降り続けてる。……そういう組織なんだよ」


いつもの優しい声のまま、シュンさんはとんでもないことを言った。


「……え」


「あ、そんな顔しないで」


シュンさんが慌てて手を振る。


「悲壮な話じゃないんだ。……歩きながら話そうか。見せたほうが早い」



チューブに乗って、下の階へ降りる。


「まずね。層っていうのは、この基地の階のことじゃないよ」


シュンさんが、足元を指さした。


「もっと下。街のあちこちに、でかい裂け目が空いてるだろう。あの下に、世界が続いてる」


「下、ですか」


「うん。層は縦だ。降りていくものだと思ってくれればいい」


足の裏を意識した。この床のそのまた下に、まだ世界がある。そう言われても、像を結ばない。


「浅いほうから、表層、中層、深層。……この三つだけ覚えて帰って。他は忘れていいから」


「表層、中層、深層」


「そう。よくできました」


「あれ。じゃあ、今いるここは」


「表層だよ。ここも」


「街も基地も、表層のいちばん浅いところ。裂け目を降りていくと、同じ表層でもだんだん危なくなる。もっと降りれば中層」


「……ずっと表層にいたんですね」


「そういうこと」


シュンさんが、指を三本立てた。


「表層は、プルセさえ付けてれば、現世にいるのと変わらない。寿命の減り方も、傷の治り方も、そのまんま」


「はい」


「中層は、傷が塞がらない」


……え、と僕は聞き返した。


「塞がらない、って」


「そのままの意味。切ったら、切れっぱなし。三日いても、朝の傷が朝のまま残ってる」


「なんで、そんな」


「傷が塞がるのって、生命力が働いてる証拠なんだ。……中層じゃ、それが止まる」


「だから中層で怪我をしても、その場じゃどうにもならない。表層まで上がってこないと、治療も始まらないんだよ」


「上がってくるまで、そのままなんですか」


「うん。血も止まりにくいしね。……だからみんな、いつもの三倍は慎重になる。指一本だって安くないから」


「深層は」


「居るだけで寿命が減る。プルセを付けててもね」


「え」


「ゆっくりだよ。一日いて、数日ぶんってところ。……でも、確実に減る」


「なんで、そんな」


「この世界が、生と死の間だからだね」


シュンさんは、あっさり言った。


「上が生の側で、下が死の側。それだけの話だよ。……深く潜るっていうのは、死のほうへ歩いてくってこと」


背中が、ひやりとした。


言っている中身と、その声の軽さが、まるで釣り合っていない。



まだ入ったことのない区画の、いちばん奥に、その部屋はあった。


扉を開けた瞬間、細かい粉の匂いがした。


十人ほどが、それぞれの机に向かっている。誰も喋らない。聞こえるのは、しゃり、しゃり、という音だけだった。


机の上に、白い石が並んでいる。


「触ってごらん」


促されて、一つつまみ上げた。


親指の先ほどの白い欠片。ざらついていて、見た目より軽い。


常白とこじろっていうんだ」


「とこじろ」


「層で採れる石だよ。この世界で、たった一つだけ、生命力を留めておける物質」


「留める」


「リミトじゃ、生き物からも物からも、生命力が絶えず漏れてく。外を見れば分かるだろう。建物も道も草も、みんなぼろぼろだ。あれは壊れたんじゃなくて、抜けきった残骸なんだよ」


「常白の傍だけは、それが止まる。だから朽ちない。……で、これを人の体に付けられる形にしたのが」


言われて、僕は自分の左耳に触れた。


小さな、ピアス。


この世界で初めて目を覚ました日に、団長から「餞別だ、貰ってけ」と放られたものだ。


「……プルセ」


「はい、正解」



いちばん奥の机に、ずいぶん歳をとった人が座っていた。


背中は丸まって、腕は枝みたいに細い。とてもじゃないが、戦えるようには見えない。


その人は、豆粒ほどの石を万力に挟んで、髪の毛みたいに細いヤスリで撫でていた。


削るというより、撫でる。それくらい弱い力だった。


十回ほど動かしては手を止め、水を一滴落として粉を流し、明かりに透かす。その繰り返し。


「あの人、朝からあれ一つだよ」


シュンさんが、小声で言った。


「掘ってきただけじゃ、ただの石なんだ。体に馴染む形まで持っていくのに、とんでもない手間がいる。削りすぎたら、そこから漏れる。やり直しはきかない」


「一つで、一日かかるんですか」


「早いほうだよ」


僕は、つい身を乗り出した。


「おい、新入り」


老人が、顔も上げずに言った。


「息、止めろ」


「え」


「息だ。かかっただけで粉が飛ぶ。……三時間ぶん、お前が飛ばす気か」


僕は、両手で口を押さえた。


隣で、シュンさんが噴き出していた。


「ごめんね、爺さん。連れてきたの僕なんだ」


「知っとる。次から、入口で息の根を止めてから入れろ」


「止めたら出てこられないよ、爺さん」


「静かでいいだろうが」


僕は口を押さえたまま、首を全力で横に振った。


「あ。ユウマ君、もう息していいよ」


言われて、勢いよく吐き出す。


爺さんが、初めて顔を上げた。


「……よそを向け」


「す、すみません!」



「あの人、戦えないですよね」


廊下に出てから、僕は言った。


「まったく戦えないね。要るのは、目と、指と、根気だけだから」


歩きながら、僕は間引 芽生のことを考えていた。


力なき者は土へ還るべきだ、と、あの人は言った。摘まれるべき芽だと。


でも、あの人の耳にもプルセは付いていたはずだ。作ったのは、たぶんさっきの部屋にいる人たちだ。


摘めと言った相手に命を繋いでもらいながら、あの人は僕らを狩っていたことになる。



シュンさんが、廊下の壁を軽く叩いた。


こん、と乾いた音がする。


「ちなみにこの基地、何でできてると思う?」


「え……まさか」


「常白。全部ね」


僕は、口を開けたまま壁を見上げた。


崩れた街の真ん中で、この建物だけが傷ひとつなく白い。ずっと不思議だった。


朽ちないんじゃない。朽ちる理由を、この壁が押さえてるんだ。


「じゃあこれ、削ったら」


「怒られるよ」


シュンさんは、真顔で言った。


「前にいたんだ。壁を削って売ろうとした人。……三日、飯抜きだったかな」


「団長がね。殴るより腹を空かせたほうが覚える、って。……そういう人なんだよ、あの人は」



「シュンさん。さっきの、帰ってこない人がいるって話」


「うん」


「あれ、どういう意味ですか」


シュンさんは、少しだけ間を置いた。


「表層で採れる常白はね。力が弱いんだ」


「弱い」


「プルセにはならない。砕いて、壁材にしたり、畑に撒いたりする」


「畑に、撒く」


「うん。この世界の土は、放っておくと生命力が抜けてく。撒いてやらないと、種を蒔いても何も出てこない」


「……肥料、みたいな」


「そうそう。それ」


「食堂の飯、あれ全部そうだよ。白い粉を撒いた畑で採れたやつ」


僕は、今朝のスープを思い出した。あの豆も、この石が育てたのか。


「で、プルセにできるのは、中層から下で採れたものだけ。深いほど、いい」


「じゃあ、ちゃんとしたプルセを作ろうと思ったら」


「そう。深層まで降りるしかない」


深層。


居るだけで、寿命が減る場所。


「……自分の寿命を削って、石を採ってくるってことですか」


「うん」


シュンさんは、あっさり頷いた。


「誰かが命を張って持ち帰ったもので、別の誰かが今日を生きてる。……まあ、どこの世界でも同じだけどね」


返す言葉に詰まった。


確かに、そうだった。現世でもきっと同じだったんだ。僕が、何も見ていなかっただけで。



「深層に潜る人は、減った寿命をどうしてるんですか」


「どうもしないよ」


シュンさんは、首を振った。


「減ったぶんは戻らない。休んでも、寝ても、戻らないんだ」


「うん。だから時間を決めて降りる。今日は何時間、って。……それを守れなかった人が、帰ってこない人になる」


「あとは。……常黒でも見つければ、話は別だけどね」


「とこくろ?」


「あ、いや。忘れて。子供の寝物語みたいなものだから」


「気になります」


シュンさんが、苦笑した。


「真っ黒な常白があるって話。持っていると、どこにいても生命力が漏れないんだって」


「つまり、どこででも、いつまででも生きていられるってこと」


その意味が、少し遅れて頭に届いた。


「……死な、なくなるってことですか」


「理屈の上ではね」


シュンさんは、なんでもないことのように言った。


「ただ、誰も見たことがない。見たって言う人はいるけど、話が全部食い違うんだ。……本当にあるなら、とっくに誰かが持ってるよ。たぶんね」



「そうだ。ユウマ君、そのピアス、ちょっと見せて」


差し出した左耳を、シュンさんが覗き込む。


そのまま、しばらく黙った。


「……ああ。これ、深層のだね」


「え」


「上物だよ。……新入りが最初に付けるようなものじゃない」


耳の奥で、心臓の音が大きくなった。


深層で掘り出された石だ。誰かが寿命を削って掘って、誰かが机に張りついて一日かけて削って、形になったもの。


そうやって回ってきたものを、団長は、会ったばかりの僕の手に、ぽんと放ったのだ。


餞別だ、貰ってけ、と。



「一週間後だよ」


歩き出しながら、シュンさんが言った。


「君も降りる。……表層の範囲だけどね」


「はい」


僕は背中を追いかけながら、一つだけ訊いた。


「シュンさんは、どこまで潜ったことがあるんですか」


「深層。三回ね」


え、と僕は足を止めた。


「行けるんですか、あそこ」


「行けるよ。うちだとC帯から上、って決まってるけどね」


「特別な場所じゃないんだ。時間を決めて、決めたぶんだけ掘って、上がってくる。それだけの仕事だよ」


「じゃあ、帰ってこない人っていうのは」


シュンさんの足が、止まった。


「時間を破る人も、いる。……あと、あそこには選民派もよく来るんだ。深いところの石は、向こうも欲しいからね」


「鉢合わせたら」


「どっちかだけが上がってくる」


「だから僕は、三回でやめたんだよ」


シュンさんが、初めて振り返った。


「ユウマ君。表層はきれいだよ。……そう思えるうちに、ちゃんと見ておいて」

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