第30話『反逆者』
「――殺すべきだ」
その一言が落ちて、部屋の温度が下がった。
*
基地の三階。普段は閉め切られている大部屋に、長机がロの字に並べられていた。
座っているのは二十人ほど。古参の団員と、隊を預かっている人たち。壁際には、立ったままの人も何人かいる。
そのいちばん端の席に、なぜか僕がいた。
(……なんで、僕が)
朝、シュンさんに「団長が呼んでる」とだけ言われて、そのまま連れてこられた。理由は聞いていない。ぼろぼろのGランクが座っていい場所じゃないことだけは、空気で分かった。
「あの、シュンさん。僕、ここにいて大丈夫なんですか」
隣に腰を下ろした彼に、小声で訊く。
「大丈夫だよ。団長が名指しした」
「名指し」
「うん。……ここに呼ばれるのはね、団の数を預かってる人だけなんだ」
数を、預かる。
この前メルドさんに言われたばかりの言葉が、耳の奥で重なった。
――もう、数えられる側じゃねぇ。
シュンさんは、それだけ言って前を向いてしまった。
議題は、一つだけだった。
間引 芽生を、どうするか。
*
「あいつはA帯だぞ」
声を上げたのは、ロの字のいちばん向こうに座る古株だった。
丸く刈り上げた頭に、潰れた左耳。首から鎖骨にかけて、古い火傷の痕が引き攣れている。腕は、僕の腿より太い。あの毒で倒れた団員の半分近くが、この人の隊の人間だったと、あとで聞いた。
指の関節で、こつ、と机を叩く。
「A帯を一人殺れば、殺った奴のタイランが丸ごと跳ね上がる。……うちの一番上を、もう一段上げることもできんだ。この団の天井が変わるんだぞ」
「気持ちは分かる」
向かいから、落ち着いた声が返った。
「だが、あれは選民派の内側を知る唯一の駒だ。殺せばそこで終わる。生かしておけば、いつか口を割るかもしれん。取り返しに来れば、それも餌になる」
「何ヶ月待つ気だ。あの男が喋ると、本気で思うか」
「では訊くが、誰が殺る」
沈黙が落ちた。
奪えるのは、手を下した一人だけだ。分けてやることはできない。誰かのタイランが跳ね上がって、他の全員は、昨日と同じところに立っている。
「……誰にくれてやるかを決めた瞬間、この団は割れるぞ」
寿命というのは、それだけの価値があるのだということを示していた。
僕は、口を開くことのできないまま、机の下で拳を握っていた。
*
議論は、何周もした。
殺すべきだという声のほうが、少しだけ多かった。無理もないと思う。大勢が倒れて、何人かは本当に危なかった。その毒を仕込んだ男が、いま同じ屋根の下で息をしている。それが許せない気持ちは、僕にだって分かる。
そのあいだ、お嬢はずっと黙っていた。
いちばん怒っていいはずの人だった。読まれて、利用されて、守ろうとしたものを罠に変えられた人だ。みんなが、ちらちらと彼女を窺っている。彼女が「殺せ」と言えばそれで決まる。そういう空気だった。
誰が殺るか。この部屋で、答えはたぶん最初から一つしかない。
やがて、彼女が口を開いた。
「私は、要らないわ」
それだけだった。
言い終えると、彼女はもう、誰の顔も見なかった。
以前の彼女なら、たぶん違ったと思う。自分が読まれた失態を、自分の手で刈り取って帳消しにしようとしたはずだ。全部、一人で。
その彼女が、決めなかった。
たったそれだけのことが、なぜだか胸に残った。
*
「ユウマ」
不意に名前を呼ばれて、僕は椅子から飛び上がりそうになった。
上座で、団長がまっすぐにこちらを見ていた。
「あの男を生きたまま押さえたのは、お前だそうだな。……お前は、どう思う」
二十人ぶんの視線が、一斉に集まった。
喉が、からからに乾く。
(僕が。この場で)
言えることなんて、何も持っていない。それでも黙っていたら、たぶん一生後悔する気がした。
「……あの人は」
声が震えた。一度、息を吸い直す。
「あの人は、弱いから摘んでいいんだって言ってました。何も知らないうちに摘むのが慈悲だって。本気でそう信じてる人でした」
誰も、口を挟まなかった。
「もし僕らが、強くなるためにあの人を殺すなら。……その理屈は、あの人のと、どこが違うんでしょうか」
*
「甘ぇよ、新人」
すぐに、太い声が飛んできた。潰れた耳の人だった。
「じゃあ何か。倒れた連中は泣き寝入りか」
「甘いと思います」
僕は、素直に頷いた。
「僕、自分でもそう思います。……でも、僕はあの人に勝ったわけじゃないんです。みんなで勝ったんです。奪って強くなるやり方で挑んでたら、たぶん、まだ誰か死んでました」
それ以上は、言葉が続かなかった。
俯いて、僕は自分の膝を見ていた。
*
「――よし!」
団長が、両手で机を叩いた。
「生かす。私が決めた」
ざわ、と部屋が揺れる。
「異論は聞く。何度でも聞こう。だが、決まったことには従ってもらう。責は、全部この私が負う」
上がりかけた声が、いくつか、そのまま引っ込んだ。
……かっこいいな、と思った。
背負う、というのは、ああいうことを言うんだろう。
そこまで思って、ふと、引っかかった。
僕はあの倉庫で、正反対のことを言ったはずだ。
(……あれ)
うまく形にならないまま、その違和感は、すぐにどこかへ行ってしまった。
すぐ隣で、メルドさんが小さく息を吐いたのが聞こえた。
「……相変わらずだな、あの人は」
その呟きに、褒めている響きは、あまり無かった。
*
「ユウマ。一つ、教えておいてやろう」
団長が、僕へ顎をしゃくった。
「我々の名は、炎獅子の反逆者だ。……何に反逆していると思う」
答えられなかった。
この団に来た日から、ずっと引っかかっていたことだった。反逆者。いったい誰に逆らっているのか、僕はまだ、誰からも聞いていない。
「この世界の理にだ」
低い声だった。
「強い者が奪い、弱い者が土へ還る。この境界は、そういうふうにできている。あの男は、それを正しいと言った。……我々は、それが気に入らん。ただ、それだけの集まりだ」
団長が、椅子の背にどしりと体を預けた。
「奪ってタイランを稼ぐなら、我々は選民派の同類だ。わざわざ名前を分ける必要がない」
「……はい」
そこで、ようやく気づいた。
団長は、僕に話しているんじゃない。僕の名前を使って、この部屋に話している。
殺せと言っていた人たちは、もう誰も、口を開かなかった。
「では、我々はどうやって食っている?」
え、と僕は顔を上げた。
「知らんだろう。誰も教えていないからな」
団長が、にやりと歯を見せた。
「一週間後、隊が層へ降りる。お前も来い」
「……層?」
*
会議が終わって、みんなが部屋を出ていく。
僕も立ち上がろうとしたところで、後ろから声がかかった。
「ユウマ」
団長だった。
さっきまでの豪快さが、嘘みたいに消えていた。
「一つ、訊いていいか」
「は、はい」
「お前は、何のために強くなる」
「……生き延びるためです」
「それは"どこまで"の話だ。"何のために"ではない」
言葉に、詰まった。
強くなりたいと思ったのは本当だ。でも、その先に何を置いているのか。僕は、考えたことがなかった。
「今すぐ答えろとは言わん。……ただ、それを持たん奴から先に落ちる。覚えておけ」
団長は、そう言って背を向けた。
そこで、足が止まる。
「もう一つ」
「はい」
「あの倉庫で言ったそうだな。――一人で背負うな、と」
背中が、ぞくりとした。
同じことを、あの人にも訊かれた。
「……誰に教わった」
「いえ」
僕は、首を振った。
「自分で、思ったことです」
長い、沈黙があった。
団長は、振り返らなかった。ただ、その広い背中が、ほんの一瞬だけ、呼吸を忘れたみたいに止まって見えた。
「……そうか」
それだけ言って、彼は歩き出した。
*
廊下に一人残されて、僕はしばらく突っ立っていた。
なんだったんだろう、今のは。
お嬢も、団長も。どうして揃って、あの言葉のことばかり訊くんだろう。
考えたって、分かるはずがない。だから僕は、分かりそうなほうを訊きに行くことにした。
角を曲がると、シュンさんが壁にもたれて立っていた。まるで、僕がそう言い出すのを、最初から知っていたみたいに。
「シュンさん」
「うん」
「……層って、なんですか」
シュンさんは、少しだけ困ったように笑った。
そして、いつもの優しい声で、とんでもないことを言った。
「炎獅子はね。……あそこへ降りると、時々、誰かが帰ってこない。それを分かっていて、それでも降り続けてる。……そういう組織なんだよ」




