第28話『誰も決めない』
「あなた方だけは、私が、きちんと片づけましょう」
湾曲した刃が、赤黒い光を弾いた。
その切っ先が、僕とお嬢へ向く。
――今しかない。
「みんな!」
僕は、掠れた喉を振り絞って叫んだ。
「こっちに来て、一緒に戦ってください……!」
「馬鹿、坊主! 巻き込まれるぞ!」
「いいんです!」
僕は、首を横に振った。
「一人ずつじゃ、勝てない。……この人は、一対一なら誰にも負けないんです。だったら、一対一にしなければいい」
間引の眉が、ぴくりと動いた。
「……ほう」
「それと」
僕は、息を吸って、言った。
「誰も、指示を待たないでください。僕も、何も決めません」
「はぁ?」ツグミさんが素っ頓狂な声を上げる。「作戦は?」
「ないです。……好きに、やってください」
我ながら、無茶苦茶なことを言っていると思った。
こんな新人の世迷い言を、誰が聞くだろう。
でも。
「――ふん。上等じゃねぇか」
メルドさんが、真っ先に牙を剥いた。
「元々、俺は考えるのが苦手なんだよ」
「僕も、それでいい」シュンさんが静かに頷く。「君の言うことは、たぶん正しい」
「あー、はいはい。好きにやればいいんでしょ」
ツグミさんが、面倒くさそうに首を鳴らした。
胸が、詰まった。
誰も、僕を笑わなかった。G1の、無能と呼ばれた新人の言葉を、この人たちは、ちゃんと聞いてくれた。
*
これでいい、と僕は思った。
作戦を作れば、それを持った誰かが読まれる。段取りを一人が抱えれば、その一人を潰されて終わる。お嬢がそうされたみたいに。
だったら、最初から、誰の頭の中にも"全体"を置かない。
一人ひとりが、自分の見えるものだけを見て、自分の判断で動く。それなら、読むべき"計画"は、この世界のどこにも存在しない。
*
「……面白い」
間引の声から、温度が消えた。
「ですが、烏合の衆は、烏合の衆ですよ」
「そうかもね」
答えたのは、ツグミさんだった。
「けど、あんた一人でしょ。……こっちは、五人」
*
戦いが、始まった。
最初に動いたのは、メルドさんだった。何の合図もない。ただ、獣が吠えて、真正面から突っ込んでいく。
「ええ、来ますね。左の肩から入って、右で薙ぐ」
間引が読み上げる。その通りに、メルドさんの豪腕が空を薙いだ。
――でも。
その時にはもう、シュンさんの糸が、間引の足元へ走っていた。
「っ」
半歩、下がる。糸が、その爪先を掠める。
「三時の方向、跳ぶよ」
ツグミさんの声。
跳んだ先に、お嬢の刃があった。
「……っ!」
初めて。
間引の黒衣が、裂けた。
*
僕も、動いていた。
戦えるわけじゃない。殴れも、斬れもしない。それでも、あの人の視界に入るところを、ふらふらと横切り続けた。
「――邪魔です」
苛立った声。刃が僕を薙ぐ。
躱せたのは、たぶん半分。残りは、当たった。腕が裂け、肩を打たれ、床を転がる。
それでも、いい。
僕がこの人の目を一瞬でも引けば、その一瞬、誰かが自由になる。
殿は、逃げる役じゃない。時間を稼ぐ役だ。……メルドさんが、そう教えてくれた。
「――なるほど」
彼は、後ろへ大きく跳んで距離を取った。裂けた肩口を、わずらわしそうに一瞥する。
「読みが、追いつきませんか」
その声が、初めて掠れていた。
そうだ。この人の目は、一つしかない。
メルドさんを読めば、糸を見落とす。糸を読めば、声を聞き逃す。声を読めば、刃が来る。
誰かを読んでいる間、他の四人は、この人の網の外にいる。
「けれど――」
間引の視線が、ぴたりとお嬢に据えられた。
「この方だけは、別です」
*
背筋が、凍った。
そうだ。この人は、お嬢を何年も観察してきた。癖も、思考の順序も、迷った時に選ぶ道さえ、全部知っている。
刃が、迷いなくお嬢の未来の位置へ滑る。彼女がどう動くかを、この人はもう知っている。
「お嬢! 考えないで!」
叫んでいた。
「決めないで、動いてください! この人は、決めたことを読むんです!」
お嬢の目が、大きく見開かれた。
そして――彼女は、笑った。
初めて見る、その顔で。
泣き笑いみたいな、けれど、憑き物の落ちたような笑い方だった。
「……ええ。もう、一人で決めるのは、やめたわ」
彼女は、刃を投げ捨てた。
「なっ――」
間引の読みが、一瞬、空白になる。
武器を捨てる。そんな選択は、この人の手帳のどこにも書かれていなかったのだろう。何年観察しても、この人には知りようがなかったのだ。変わった後の、この人のことを。
丸腰で踏み込んだお嬢の掌が、青い光を纏って、間引の胸へ突き刺さった。
*
「ぐ、っ……!」
間引が、初めて呻いた。
体勢が崩れる。その隙へ、獣が飛び込んだ。
「おらぁッ!!」
メルドさんの拳が、間引の腹へ深々と沈む。細身の体が、く、の字に折れて宙を舞った。
床に叩きつけられ、転がる。
「――足!」
ツグミさんの声と同時に、シュンさんの糸が、跳ね起きようとした間引の両脚に絡んだ。
「動かないで。……もう、終わりだよ」
*
倒れたまま、間引は僕を見ていた。
穏やかな仮面は、もうどこにもなかった。乱れた髪、切れた口の端、荒い息。
「……理解、できません」
彼は、呻くように言った。
「無能が。何の力もない、摘まれるべき芽が。……なぜ、私の庭を、荒らすのです」
僕は、ぼろぼろの体を引きずって、その前に立った。
「僕一人じゃ、何もできませんでした」
本当に、そうだ。
僕は何度も死んで、何も変えられなかった。避けようとして、先回りしようとして、全部無駄だった。
「でも、みんななら、できたんです。……それだけです」
「そんな、ものが」
「そんなもの、ですよ」
間引の顔が、歪んだ。
彼の信じてきた世界には、たぶん、それだけがなかったんだ。強い者が残る。弱い者は摘まれる。その理屈のどこにも、"みんなで持つ"という選択肢は、なかった。
だからこの人は、ずっと一人で見ていたのだ。人を数え、癖を記し、思考をなぞって。誰の背中も預からず、誰にも背中を預けずに。
……この人と、お嬢は。
もしかしたら、よく似ていたのかもしれない。
そう思った瞬間、僕は、この人を憎みきれなくなった。
*
その時。
倒れたままの間引の手が、そっと懐へ滑り込んだ。
僕は、その動きを、知っていた。
あの日、集積所で見た。追い詰められた老人が、同じ動きをして――そして、自分ごと消えた。
「――だめだ!!」
叫ぶより早く。
しゅ、と糸が走った。
「させないよ」
シュンさんの糸が、間引の手首を、懐の手前で縛り上げていた。
指の間から、小さな筒が転がり落ちる。
「……ああ」
間引は、それを見て。
小さく、笑った。
「そうですか。……最後まで、あなた方は、繋がっているのですね」
その体から、力が抜けていく。
こうして。
僕の三度の死と、二百二十五の数と、みんなの手で。
"庭師" 間引 芽生は、生きたまま、捕らえられた。
*
膝が、笑った。
支えを失ったみたいに、僕はその場に崩れ落ちる。指一本、もう動かない。
「――ユウマ!」
誰かの声。複数の足音。
視界が、ぐるりと回った。抱き起こされる感覚。血の匂い。それから、聞き慣れた、ぶっきらぼうな怒鳴り声。
「馬鹿野郎……無茶しやがって」
ああ。
生きてる。
今度は、誰も、こぼれなかった。
そう思った瞬間、僕の意識は、静かに途切れた。




