第22話『部品』
段取りの共有は、思ったより早く終わった。
集合地点。三本の退路。はぐれた時は、誰の指示を待たずにそこへ向かうこと。お嬢が淡々と告げたそれを、団員たちは真剣な顔で頭に叩き込んでいく。
「……もし私が動けなくなったら」
最後に、彼女は付け加えた。
「シュン、あなたが判断を引き継いで。ツグミは退路の確保を優先。ユウマは、誰かの指示を待たずに、自分の足で集合地点へ走りなさい」
僕は、強く頷いた。
胸の奥が、じんと熱くなる。たったこれだけのこと。でも、前の二回には、なかったことだ。
*
進むほどに、道は狭くなっていった。
細い桟橋。迷路のような回廊。頭上を通り過ぎていく、吊り下げられた隔壁の影。
知っている道を、知らないふりをして歩くのは、想像以上に苦しかった。この先の光景も、そこで起きることも、全部僕の頭の中にある。なのに、何一つ、口に出せない。
最奥の倉庫が見えてくる。天井の高い、あの場所。
積み上げられた木箱。開いた蓋。粉末の詰まった小袋。薬品の瓶と、量りと、洗い残しのある器具。
「……ここだ」シュンさんが息を呑む。「荷に、これを混ぜていたんだ」
「待ってください!」
僕は、叫んだ。
「触らないで。……これ、置かれてるんです。隠されてもいない。見つけさせるために、わざと」
団員たちが、驚いたようにこちらを見る。お嬢の目が、鋭くなった。
「……ユウマ。あなた、どうしてそこまで」
その時だった。
ガコン、と。頭上で、乾いた金属音が鳴った。
*
轟音。
天井のレールから、分厚い鉄の隔壁が、次々と落ちてくる。触ってもいない。近づいてすらいない。
――そうか。合図なんて、最初から関係なかったんだ。
あの男は、ただ、僕たちが揃うのを待っていただけだ。毒の樽も、記録の齟齬も、全部ただの餌。僕がどれだけ先回りして叫ぼうと、この檻の口は、あの人の気分ひとつで閉じる。
「集合地点へ! 走って!」
シュンさんの声が飛ぶ。今回は、誰も戸惑わなかった。全員が、迷わず動いた。段取りを、知っていたから。
前の二回は、こうじゃなかった。指示を待って足を止め、混乱し、ばらばらに散った。たったそれだけの違い。でも、その違いを、僕は確かに見た。
でも――僕の足は、あまりに遅かった。
落下点の真ん中。動けない。G1の体は、鉛のように重い。
「ユウマ!」
背中に、強い衝撃。襟首を掴まれ、引き倒される。覆いかぶさる誰かの体温。鼻先を、鉄の塊が掠めていった。
耳をつんざく落下音。そして、静寂。
四方が、鉄の壁だった。
「……っ、無事?」
すぐ上から、掠れた声。
お嬢だった。
「はい……。すみません、僕」
「謝らなくていい。……立てる?」
僕たちの周囲は、完全に鉄で囲われていた。彼女は壁を掌で叩き、耳を澄ませ、継ぎ目を指でなぞる。数秒で、その表情が険しくなった。
「厚い。斬れない。……あちらの声も、届かないわね」
シュンさんの叫びも、ツグミさんの気配も、もう感じられない。
分かっていた。知っていたはずだ。それでも、こうして本当に切り離されると、体の芯が冷たくなった。
これから、あの人が来る。
*
「ようこそ、中継地点へ。長い道のり、お疲れさまでした」
積み上がった木箱の上から、その声が降ってきた。
黒衣。撫でつけた髪。腰に下げた、細く湾曲した刃。
三度目に見る、その姿。それでも、僕の膝は情けなく震えた。
「私、間引 芽生と申します」
*
そこから先は、僕が知っている通りに進んだ。
お嬢が斬りかかる。読まれる。躱される。次の一手を宣告される。
「あなたは怒ると、必ず初手で最短距離を取る」
「新人が視界に入ると、必ずそちらを庇う」
三度目でも、その光景は変わらなかった。彼女の刃は、一度も届かない。届かないどころか、振るうたびに、こちらの傷ばかりが増えていく。
分かっていた。分かっていたのに、僕にできることは何もなかった。庇われ、突き飛ばされ、逃げ、追いつかれ。峰打ちで転がされる。
「まず、右へ逃げますね」
――今度は、その声を無視して、左へ跳んだ。
脇腹に、衝撃。
「ふふ。……"言われた逆へ行こう"というのも、私が指した先ですよ」
床に転がる。息ができない。
(半歩。右手が内側へ返る。踏み込むのは、僕が息を吸った瞬間――)
覚えた癖を、必死に頭の中で並べる。見えている。確かに、前より見えている。それでも、体がついてこない。読めても、避けられない。G1の脚は、あまりにも遅すぎた。
全身が痛みで軋む。それでもこの人は、致命傷だけは決して与えない。
読み切ることに、恍惚としながら。
「ああ……いい。あなた、前より少しだけ、目がいい。……ですが、それだけです」
痛みで霞む頭の隅で、僕は必死に考えていた。
見えている。前より、確かに見えている。それでも届かない。ならば、足りないのは何だ。速さ? 力? ……違う。もっと、根本的な何かが足りない。
その答えに、僕はまだ、手が届いていなかった。
*
やがて、僕は動けなくなった。
床に這いつくばったまま、指一本、まともに動かせない。視界の隅で、深く斬られたお嬢が、片膝をついている。
それでも彼女は、僕と間引の間に体を割り込ませようとしていた。もう立てないはずの体で、なお、僕を背に庇う位置へ、じりじりと動こうとしている。
その姿を見て、胸が締めつけられた。この人は、こんな時でも変わらない。
間引は、そんな僕を横目に、彼女の前へゆっくりと歩み出た。
「さて。せっかくですから、種明かしを致しましょう」
「……何を」
「あなたは今、こう考えておいででしょう。なぜ経路が読まれたのか。なぜ隔壁の位置まで正確だったのか。……答えは、単純です」
彼は、微笑んだ。
「私はずっと、あなたを見ていたのですよ」
お嬢の肩が、びくりと震えた。
「新人狩りを追って、あなたは一人で動くようになった。私たちの縄張りに、何度も足を運んでくださった。そのたびに、私は学ばせていただきました。あなたの手順、あなたの癖、あなたの考え方。……ずいぶんと、実り多い時間でした」
「……何を、言って」
「消えた新人たち。あの子たちがどこで消えたか、覚えておいでですか」
間引は、指を折るように、淡々と続けた。
「あなたの巡回の、隙間です。あなたがどう守るかを知っていれば、あなたが守れない場所は、自ずと分かる。……あの子たちの居場所を、私に教えていたのは、あなたご自身なのですよ」 僕は、床の上で息を呑んだ。
お嬢の顔から、すっと血の気が引いていくのが見えた。
「そんな……はず、が」
「ございます。なにしろ、私は数えておりましたから」
間引は、懐から古びた手帳を取り出した。表紙のすり切れ方が、それを何年も持ち歩いてきたことを物語っている。
彼は、それを愛おしそうに撫でた。
指の腹で、そっと表紙をなぞる仕草。恋文でも扱うみたいだった。その手つきに、僕は言いようのない悪寒を覚えた。
「あなたのことは、ここに全部。……ああ、そんな顔をなさらないでください。まだ、始まったばかりですよ」
穏やかに微笑んで、彼は言った。
「いちばん大事なところは、これからです」




