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やり直すほど、弱くなる ~死に戻りの代償は寿命。無能の僕が『英雄の再来』と囁かれる理由を、僕だけが知らない~  作者: ふゆう
第一章 無能の始まり

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第1話 『車は手では止められない』

見覚えのある街並みだ。


いつもは人で溢れ、夜も眠らないその街が、今は奇妙な静けさの中で、ぴりぴりと張り詰めている。煌々と夜を照らすはずのネオンは、こちらを窺うように、不規則に明滅していた。人影はない。耳障りなはずの喧騒も、完全に鳴りを潜めている。


空気が、焦げたような匂いを孕んでいる。雷雨の前の、あの鉄くさい匂いに似ていた。


けれど、そんな違和感すら些細に思えるほど、目の前の“現象”は、現実離れしていた。


電気——いや、雷と呼ぶべきその光が、一人の男めがけて奔る。

初老とは思えないほど鍛え上げられた体を持つ、白い長髪の男。雷に照らされたその顔は、興奮と狂気に満ちていて、まるでこの一撃を、心待ちにしていたかのように嗤っていた。


逃げろ、と本能が叫ぶ。なのに、体は、まるで逆のことをしていた。もう何度もこの男と対峙してきたかのような、奇妙な確信とともに、僕は一歩も退かずに、そこに立っている。


この男を、知っている。憎んでいるような、焦がれているような、名前のつかない激情が、腹の底で渦を巻いていた。それが、誰に向けたものなのかも、わからないまま。


ふと、目を落として気づく。


その雷は間違いなく、この手の先から放たれていた。


——現象を生み出したのは、僕だった。


白髪の男の口が、ゆっくりと動く。何かを言っている。轟音にかき消されて、聞こえない。ただ、どうしてだろう。その唇の形に、ひどく懐かしいような、泣きたいような感覚だけが、後に残って——



ジリリリリ、ジリリリ、バンッ。


「うぅ、あぁ〜っ」


何度目かもわからないスヌーズを、手のひらで引っぱたく。虚ろな目に映った時計は、7時53分。7時半にセットしたことを思えば、もう完全に、手遅れの領域だ。


「……さようなら、一限目……」


欲求に身を任せ、僕は再び、布団という名の沼へ沈もうとした。二度寝ほど甘美なものは、この世に存在しない。


「ほら、今日も一限でしょ! 早く起きて大学行きなさい!」


襖の向こうから飛んできた母さんの声が、僕の甘い企みを、一刀両断にする。


「……今日は……三限からなんだよぉ……」


寝起きにしては、上出来の嘘だと自負している。滑舌さえ、それっぽく崩してみせた。


「嘘おっしゃい! あんた一年も二年も、ほとんど学校行ってないんだから、毎日一限みたいなもんでしょ!」


ダメだった。歯が立たないどころの話ではない。そもそも、歯すら生えていなかった。


しぶしぶ、体を起こす。最寄り駅からのダッシュは、もう確定済み。今日という一日が、始まる前から憂鬱だった。


洗面所で顔を洗いながら、さっきの夢を思い出す。


(また、あの夢か……)


毎晩のように、同じ夢を見る。雷。白髪の男。そして、それを放つ、自分の手。内容はどう考えてもファンタジーで、僕の平凡な人生には一ミリもかすらない代物のはずなのに——おかしいのは、見るたびに“懐かしい”と感じてしまうことだ。


初めて見る光景のはずなのに、なぜか胸の奥が軋む。まるで、本当にあった記憶を、なぞらされているみたいに。あの男の顔も、焦げた空気の匂いも、回を重ねるごとに、少しずつ輪郭がはっきりしてくる。


(……いや。ただの寝ぼけだろ)


考えるのを、やめた。凡人の朝に、そんな大層な意味があるわけもない。


トーストを一枚くわえて、玄関を飛び出す。背中に「いってらっしゃい、ちゃんと授業出るのよ!」という母さんの声が刺さった。返事の代わりに、僕は片手だけ、ひらりと上げる。


案の定、最寄り駅までは全力疾走だった。運動不足の足に鞭を打って、閉まりかけたドアへ滑り込む。息を切らしながら、僕はぼんやり思った。……こんな朝を、あと何回、繰り返すんだろう、と。



勉強は嫌いだ。学校も好きじゃない。運動神経も人並み——いや、中学の野球部でずっとベンチを温めていたことを思えば、人並み以下かもしれない。取り柄と呼べるものは、たぶん、何ひとつ持っていない。


一限に滑り込んだ講義室には、当然、知った顔なんて一人もいなかった。落とした単位を拾い直すための、一年生向けの授業。周りは、僕より二つも年下の、きらきらした新入生ばかりだ。


「おはよ」


なんて声をかけてくれる相手は、いない。


先生の、抑揚のない声が、右の耳から入って、左の耳へ素通りしていく。ノートを取る気にもなれず、僕は窓の外の、間延びした空を眺めていた。


こうして、なんとなく大学に来て、なんとなく単位を拾って、なんとなく卒業して、たぶん、なんとなく就職するんだろう。レールの上を、ただ転がっていくだけの小石みたいに。僕の人生に、あの夢みたいな劇的なことなんて、きっと一生、起こらない。


——そう思っていたのは、この日の、夕方までだった。


そんなことを、ぼんやり考えているうちに、都合のいい耳だけが、その言葉をしっかり拾った。


「——はい、じゃあ、今日はここまで」


その後、三限目しっかり出席し(一限は、当然のように落とした)、僕は放課後を迎えた。


いつもなら、疲れた体を引きずって、まっすぐ帰る。でも今日は、なんとなく——本当に、なんとなく、あの街へ足が向いていた。


夢に、出てくる、あの街へ。



乗り継ぎを、二回。手間のかかるその街は、大学生になってから時々来るようになった、僕のお気に入りの場所だ。


人、人、人、車、ビル。「都会」という言葉が、これ以上なく似合う雑踏。大通りから一本入ったところのハンバーグ屋は絶品だし、菊坂という長い坂を登りきった先の焦がし味噌ラーメンは、味気ない大学生活に、ささやかな彩りをくれる。


でも、何より好きなのは——このビル群だ。


天を突くように連なる、硝子とコンクリートの塔。その足元を、僕みたいなちっぽけな人間が、蟻みたいに這っている。見上げるたび、自分がひどく小さく思えて、それがなぜだか、嫌いじゃなかった。


何もない僕の毎日で、この街を歩く時間だけは、少しだけ胸が高鳴る。理由なんて、自分でもよくわからないけれど。


(あそこから見る景色は、きっと違うんだろうな)


見上げながら歩くのが、いつからか癖になっていた。


……いつから、だろう。


ふと、足が止まる。この街に初めて来たのは、たしか一年生のとき。それなのに僕は、この路地を曲がった先に何があるか、なぜか、全部知っている気がした。


次の角を右に折れれば、色褪せた煙草屋の看板。その脇の、狭い階段。踊り場から見上げる、切り取られた空の形まで。


まるで、初めてのはずの場所を、“帰ってきた”みたいに、歩いている自分がいる。


(……気のせい、だよな)


そう、自分に言い聞かせて、また空を見上げた。


歩道にいるんだから、と、油断していた。


だから、気づくのが、遅れた。


凄まじい勢いで、車が、こちらへ突っ込んでくる。


認識できたのは、もう三メートル手前。ブレーキ音も、クラクションもない。ただ、黒い車体が、牙みたいに迫ってくる。


恐怖で、足がすくむ。腰が抜けて、動けない。とっさに、両腕を前へ突き出した。


それしか、できなかった。


目をつぶる。来るはずの衝撃を、待つ。


一秒。二秒。三秒——


……こない。


痛みも、衝撃も、いつまで経っても、やってこない。


そっと、目を開ける。




——止まっていた。


車が、目の前三十センチで、静止している。いや、車だけじゃない。人も、風も、音も。あれだけ騒がしかった街が、まるで時間ごと切り取られたみたいに、しんと凍りついていた。


僕の呼吸と、心臓の音だけが、やけに大きく響く。


指先が、震えていた。恐怖なのか、武者震いなのか、自分でも区別がつかない。ただ、これが“日常”の側で起きた出来事ではないことだけは、否応なく理解できてしまった。


「……は?」


何が起きているのか、まるで、わからない。


わからないまま——僕の“二度目”は、ここから静かに、始まった。

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