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やり直すほど、弱くなる ~死に戻りの代償は寿命。無能の僕が『英雄の再来』と囁かれる理由を、僕だけが知らない~  作者: ふゆう
第一章 無能の始まり

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第16話『人は見た目で判断しない』

「――下がってろ、坊主」


メルドさんが、僕の前に腕を突き出した。


その背中が、みるみる膨れ上がる。骨が軋み、筋肉が盛り上がり、腕の毛が逆立っていく。爪が伸び、口から覗く牙が、いっそう鋭さを増した。


獣化。メルドさんの能力だ。


「爺さん。悪ぃが、手加減はしねぇぞ」

「結構」


老人は、答えながら、腰を落とした。


刀を正面に構えるのでもなく、だらりと下げるのでもない。柄に手を添えたまま、体をわずかに半身に開く。ただ、それだけ。なのに、その構えを見た瞬間、僕の全身に鳥肌が立った。


隙がない。素人の僕にすら、それがわかった。この人は、強い。


(なんで、こんな人が。集積所の管理者なんて、やってるんだ)


疑問が、恐怖と一緒にせり上がってくる。あの穏やかな老人は、最初から最後まで、演技だったのだ。


僕は路地の壁際まで下がった。G1の僕には、この戦いに割り込む力なんて、欠片もない。できるのは、目を逸らさずに見ていることだけだ。それでも――今度こそ、この目に焼きつけておく。次に活かすために。


「――っ」


先に動いたのは、メルドさんだった。


砂利を蹴散らし、獣の脚力で一息に距離を詰める。豪腕が横薙ぎに振るわれ、風が唸った。当たれば、老人の体など軽々と吹き飛ぶ。そう思った。


老人は、退かなかった。


半歩。ほんの半歩、体を沈める。それだけで、爪はその頭上を空しく通り過ぎた。


そして、白刃が閃く。


「ぐっ……!」


メルドさんの脇腹に、赤い線が走った。獣の毛皮を裂き、肉に食い込む。反射的に飛び退るその動きの内側へ、老人はすでに踏み込んでいる。


速い。いや――速さじゃない。動きに、無駄が一つもないのだ。


「速さは若い方が上。ですが、剣は、そういう競技ではありませんのでな」


老人の刃が、蛇のように角度を変えて、下から跳ね上がった。


メルドさんが咄嗟に腕で受ける。骨に当たる鈍い音。血が飛んだ。それでもメルドさんは怯まず、その腕ごと、老人を掴みにかかった。


だが、掴めない。老人は掴まれる直前に、必ず半歩だけ退がっている。まるで、メルドさんの手が届く距離を、正確に測り切っているみたいに。


獣化は、体を強引に作り変える力だ。使えば使うほど、活力は削られていく。メルドさんの息が、少しずつ荒くなっていくのが、離れた場所からでもわかった。対して老人は、ほとんど息を乱していない。動きが小さいぶん、消耗も小さいのだ。


まずい。長引けば、押し切られる。素人の僕にすら、その流れが見えてしまった。


「威勢がいいのは結構ですが。……あなた、力任せに掴む癖がありますな」


「うるせぇ」


「その癖、直しておくべきでした」


老人の刃が、メルドさんの伸ばした腕を、下から掬い上げるように斬りつける。血飛沫。それでもメルドさんは腕を引かなかった。


「捕まえた、っつってんだよ!」


老人の刃が、掴まれる寸前で翻る。柄頭が、メルドさんの顎を撥ね上げた。


一瞬、視界が飛んだのだろう。メルドさんの巨体が、大きくよろめく。


その隙へ、白刃が、まっすぐに、喉を狙って伸びた。


「メルドさん――!」


叫んだ。何もできない自分の無力さごと、喉が裂けそうなほど叫んだ。


けれど。


刃が届く、その寸前。


――メルドさんは、笑った。


「かかったな、爺さん」


伸びきった老人の腕を、獣の手が、掴んだ。


そのまま、力任せに引き寄せる。老人の体が、初めて泳いだ。技も、間合いも、そこにはない。ただ、圧倒的な膂力だけがあった。


「がっ……!」


老人の体が、倉庫の壁に叩きつけられた。びしり、と壁が割れる。落ちてくる小柄な体を、メルドさんは容赦なく地面へねじ伏せた。刀が、乾いた音を立てて転がる。


「はぁ、はぁ……。悪ぃが爺さん、俺は避けるのは苦手でな。……代わりに、殴られながら掴むのは、得意なんだよ」


脇腹から血を滴らせ、荒い息を吐きながら。それでも、メルドさんは老人を離さなかった。


戦いは、終わった。


そのはずだった。



駆けつけたお嬢が、油断なく刀を蹴り遠ざけ、ツグミさんが老人の身柄を押さえにかかる。


「誰の指示。何のために、毒を盛った」


お嬢の問いに、老人は答えなかった。


ただ――ふっと、笑った。


その静かな笑みに、僕の背筋が、ぞわりと粟立つ。何かがおかしい。追い詰められた人間の顔じゃない。


「……いけない。あなた方は、思っていたより、ずっと厄介だ」


押さえられた手が、懐へ滑り込む。


「ここまでですな」


「――離れて!!」


お嬢の絶叫と、老人が握りしめた小さな何かが砕ける音は、ほとんど同時だった。



轟音。


視界が白く飛んだ。爆風が、路地の空気ごと僕を殴りつける。体が浮き、背中から地面に叩きつけられた。耳の奥が、きぃんと鳴っている。


「げほっ……メルドさん……!」


粉塵の中を這うようにして探すと、メルドさんは、頭から血を流しながらも、なんとか身を起こしていた。爆発の瞬間、獣の反射で跳び退っていたらしい。


「……くそ。あの野郎。自分ごと、吹っ飛びやがった」


砂煙が晴れていく。


老人が倒れていた場所には――もう、原形をとどめたものは、何も残っていなかった。


血の匂いと、焦げた臭い。そして、爆心のごく狭い一角だけが、まるで丸く抉り取られたように、崩れている。


「……妙ね」


お嬢が、目を細めた。


「これだけの威力なのに、範囲が狭すぎる。まるで、自分の周りだけを狙って、爆ぜたみたい」


「――これ、見て」


しゃがみ込んだツグミさんが、瓦礫の中から、何かを摘まみ上げた。


指先にあったのは、砕けた小さな筒。透明な殻の欠片には、赤黒い液体がこびりついている。


その残骸を見た瞬間、シュンさんの顔から、血の気が引いた。


「……能力カプセル」


「知ってるんですか」


「使い捨ての道具だよ。一度だけ、他人の能力を、自分の能力みたいに使える」


シュンさんの声が、いつになく硬い。


「でも、これは――禁忌なんだ。中に入っているのは、その能力を持っていた人間の、血と肉だ。人ひとりを材料にして、その力を封じ込めてある」


背中に、冷たいものが走った。


「材料に、される人がいるんだ」


シュンさんは、吐き捨てるように続けた。


「身売りされた子ども。攫われて、人体実験みたいなことをやってる連中に、売られた人たち。……そういう人たちの、行き着く先の一つが、これだよ」


胃の底が、ぐっと冷たくなった。


手のひらに乗る、こんな小さな筒。その中身が、誰かの一生だったなんて。名前も、顔も、これまで生きてきた時間も。全部、この赤黒い液体に変えられて、たった一度きりの力として、使い捨てられる。


そんなことが、この世界では、商いとして成立している。


「作る連中がいて、買う連中がいる。……僕らも、何度か根元を掴もうとしたよ。でも、そのたびに逃げられてきた。あまりにも根が深すぎるんだ」


シュンさんが、いつになく苦い顔で、砕けた殻を見つめる。


その横でお嬢が、砕けた殻の欠片を静かに見下ろしていた。その横顔には、はっきりと怒りが滲んでいる。


「口を割らせる前に、消された。……手がかりを、一つ潰されたわね」


つまり、あの老人は。誰かの命を材料にした力を握りしめて、自分の体ごと、証拠を消したのだ。


僕は、崩れた爆心を、呆然と見つめた。


丸く抉れた地面。狭い範囲。ごく近くのものだけを、確実に巻き込む爆発。


……ああ。


――そうか。


あの日。


天井が崩れ落ちて、僕がみんなの囲みから引き剥がされた、あの爆発。あれも、これだったんだ。仕掛けられた罠なんかじゃない。誰かが、こうして自分ごと、あるいは僕ごと、吹き飛ばすために使った――同じ、力。


僕の一度目の死は。この、小さな筒から始まっていた。


背筋が凍りつく。


けれど、それ以上に、僕の頭を占めたのは。まるで違う、たった一つの疑問だった。


(……なんで、この人たちは。ここまでするんだ)


内通者を仕込み、毒を流し、証拠を消すために、命ごと自分を捨てる。


低ランクを狙った、ただの狩り。そんな言葉では、まるで説明がつかない。


この毒の朝の裏側には――僕が思っているよりずっと大きくて、ずっと執拗な、何かが潜んでいる。


粉塵の舞う路地で。僕は初めて、その底知れなさに、震えた。

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