第15話『内通者』
三度目の道のりは、これまででいちばん、足が重かった。
体そのものが重い。二度の死で削られたぶん、僕の体は確実に鈍くなっている。それでも、行かないという選択肢はなかった。
前の二回、僕は“避けよう”とした。危ないと訴え、身構え、身を縮めて。それで何が変わった。何ひとつ、変わらなかった。
だったら、今度は逆だ。避けるんじゃない。掴みにいく。
死ぬのは怖い。けれど、どうせ死ぬなら――何も掴まないまま死ぬほうが、ずっと怖い。
「なんだいユウマ、辛気くさい顔して。腹でも下したかい」
先を歩くツグミさんが、気だるげに振り返る。
「……いえ。ちょっと、考え事を」
「考えすぎると寿命が縮むよ。ま、あたしらもう縮んでるけどさ」
軽口に、団員たちが小さく笑う。この人たちは、まだ何も知らない。この先で何が起きるのかも、僕が二度死んだことも。だからこそ、僕がやるしかなかった。
*
昼過ぎ、集積所に着いた。
三度目の光景。閑散とした構内。応対に出てくる初老の管理者。炎獅子の名を出した瞬間の、一瞬の強張り。それでいて、記録を見せることには驚くほど抵抗がない。すれ違う作業員たちは、僕らと目を合わせず、そそくさと奥へ消えていく。
前の二回、僕はこれを「田舎の集積所なんてこんなものか」と流した。
でも、もう流さない。
引っかかることには、意味がある。二度も死んで、僕が学んだのはそれだ。
「あの……一つ、いいですか」
僕が声を上げると、みんなが振り向いた。G2――いや、今はG1の新人が口を挟んだことに、団員の何人かが怪訝な顔をする。それでも、僕は続けた。
「もし毒が、この経路のどこかで盛られたんだとしたら。……その経路の中に、協力してる人がいる、ってことになりませんか」
言葉にした瞬間、場の空気が、すっと硬くなった。
内通者。誰も口にしなかったその可能性を、僕は名指しした。
「だから、記録を調べるのは、炎獅子の人だけでやったほうがいいと思います。ここの人に手伝ってもらったり、そばで見られたりしないほうが……」
しん、とした間があって。
「――ふん。坊主にしちゃ、まともなこと言うじゃねぇか」
メルドさんが、にやりと牙を覗かせた。
「たしかに、今の僕らは、誰が敵か分からない」シュンさんも頷く。「毒を盛れる立場の人間が、この経路のどこかにいる。それは確かだ」
お嬢の切れ長の目が、すっと細くなった。僕を値踏みするような、短い沈黙。それから、彼女は淡々と指示を出した。
「台帳はこちらで運び出す。空いている天幕を借りて、そこで検める。管理人と作業員は、近づけさせない。ツグミ、周囲の見張りを」
「はいはい」
指示を出し終えたお嬢が、ふと足を止め、僕を一瞥した。
「……今のは、悪くない発想ね」
それだけ言って、彼女はさっさと背を向ける。ぶっきらぼうな、たった一言。それでも、二度死んで削れた体に、ほんの少しだけ熱が戻った気がした。
てきぱきと動き出すみんなを見ながら、僕は密かに息を吐いた。
前の二回、僕たちは管理者の目の前で、堂々と台帳をめくっていた。何に気づいたかも、どこを調べているかも、全部その場で口に出していた。あれではまるで――こちらの手の内を、進んで見せていたようなものだ。
言えないことは、山ほどある。この先で爆発が起きることも、僕がそこで死ぬことも。だから僕にできるのは、“今この場で気づけるはずのこと”だけを口にして、少しずつ、流れをずらしていくことだけだった。もどかしい。でも、それが今の僕にできる、精いっぱいの戦い方だった。
*
天幕の中は、炎獅子の人間だけになった。
埃をかぶった台帳を広げながら、僕はシュンさんに尋ねた。
「シュンさん。中継地点って、そもそも何をする場所なんですか」
「うん、そこからだよね」
シュンさんは嫌な顔ひとつせず、丁寧に説明してくれた。
リミトのあちこちに点在する生産地で採れたものが、まずこうした集積所に集まる。そこから中継地点へ運ばれ、仕分けと積み替えをして、各組織へ配られていく。中継地点は、荷を組み替えるための、いわば結び目だ。
「経路ごとに、どの中継地点を通るかは決まっているんだ。荷を受け取る側も、渡す側も、その前提で人と時間を用意している。だから、そう簡単には変えられない」
「変わることも、あるんですか」
「あるとしたら、事故か、道の封鎖か。よほどの理由がある時だけだね。……その場合は、記録に理由が残るはずだ」
僕は、頷いた。そして、あらかじめ知っていたその場所へ、台帳の頁をめくっていく。前の二回で、僕はここに辿り着いた。今度は、その意味まで手に入れる。
「……ありました。この日の荷だけ、中継地点が違います」
シュンさんが覗き込む。
「理由の記載は……ない、ですね」
その瞬間、シュンさんの穏やかな顔から、笑みが消えた。
「……これは、事務的な間違いじゃない。誰かが意図的に、荷の流れを変えたんだ。しかも、記録に理由を残さずに」
「そこで毒を仕込んだ、と考えるのが自然ね」
お嬢の声は静かだったが、その底には冷たい怒りが滲んでいた。
胸の奥が、熱くなる。掴んだ。前の二回では届かなかった場所に、今度こそ手が届いている。この糸を手繰れば、倒れたみんなを助けられるかもしれない。
「中継地点の場所は、この地図の……ここね。ここから、そう遠くない」
お嬢が指した一点を、全員が覗き込む。天幕の中に、確かな手応えの空気が満ちた。
――そう思った、その時だった。
「……おい」
メルドさんの、獣の耳が、ぴくりと動いた。
低く、押し殺した声。
「誰か、聞いてやがる。天幕のすぐ外だ」
さっ、と全員の顔色が変わった。
がさり、と外で布の擦れる音。続いて、砂利を蹴って走り去る足音。
「――逃がすかよ!」
メルドさんが天幕を跳ね上げ、飛び出していく。僕も、考えるより先に後を追っていた。
「待ちなさい、ユウマ!」
お嬢の鋭い声が背中に刺さる。でも、止まれなかった。ここで逃がしたら、また何も分からないまま、あの結末が来る。それだけは、嫌だった。
「あっち。倉庫の裏に回ったよ」
ツグミさんが、鼻先を空へ向けて言う。
探知――匂いと気配を辿る、彼女の能力だ。その示す先へ、メルドさんが一気に加速した。
倉庫と倉庫の間の、狭い路地。行き止まり。
追い詰められた影が、ゆっくりとこちらを向いた。
僕は、息を呑む。
そこにいたのは――あの、初老の管理者だった。
さっきまでの、腰の低い、穏やかな老人の面影はどこにもない。背筋はまっすぐに伸び、その目は、静かに凪いだ刃のようだった。
先ほどまで震えていたはずの指も、今は微塵も揺れていない。あの弱々しさは、すべて作られたものだったのだ。ぞくり、と背筋が冷える。……この人は、いったい何者なんだ。
「……惜しいですなあ」
しわがれた声が、路地に響く。
「あと少し、余計なことに気づかずにいてくれれば。……穏便に、済ませてあげられましたものを」
老人が、手にした杖を、ゆるりと構えた。
すらり、と。
鞘走る音とともに、細い白刃が引き抜かれる。杖に仕込まれた、刀。
その刃を見た瞬間。
僕の首筋が、ぞわりと冷たくなった。
冷たい、と思った。あの日、最後に感じたのは、それだけだった。痛みも、恐怖も、間に合わないうちに。
――あれだ。
僕の首を断ったのは。あの、細く白い、刃だ。




