第13話『繰り返す朝』
「――おい、しっかりしろ! 誰か、シルビィを呼べ!」
その怒号を、僕は、二度、聞いた。
いや。二度なんて、おかしい。おかしいに決まっている。さっきのは夢だ。ひどい悪夢を見て、寝ぼけているだけだ。……そうに、決まっている。
ついさっきまで、僕は冷たい地面に頬をつけて、死んでいくところだった。その感覚が、まだ生々しく、体に残っている。なのに、こうして僕は、何事もなかったように、この廊下に立っている。指も、足も、ちゃんと動く。……ありえない。ありえないのに。
そう思おうとした。でも。
廊下で倒れていく団員。運ばれていく、意識のない体。医務室に駆け込むシルビィ。その一つ一つが、僕の“知っている”とおりに、寸分違わず進んでいく。まるで、一度観た映画を、もう一度、座らされて観ているみたいに。違うのは――僕だけが、この後の“筋書き”を知っている、ということ。
「倒れてるのは全員――F・Gランクの、低ランク帯だ」
シルビィの、その言葉すら。僕は、口にされる前から、知っていた。
心臓が、嫌な音を立てる。まさか。まさか。
確かめずには、いられなかった。シルビィが厨房へ走るより先に、僕は震える声で呟く。
「……毒だ。食材に、毒が入ってるんだ」
その、直後。
「……毒だ」
厨房から、シルビィの絞り出すような声が、僕の言葉をなぞるように、響いた。
当てて、しまった。まぐれであってくれと願った予言は、残酷なほど正確に、的中した。
ぞわ、と全身の血が冷たくなる。夢じゃ、ない。これは現実だ。僕は本当に、この一日を――もう一度、生きている。
体が、がくがくと震え出す。どうして。どうして、こんなことに。パニックになりかけた頭を、必死に押さえつけた。落ち着け。まず、落ち着くんだ。
もし、これが本当に“もう一度”なら――この先に起きることを、僕は、全部、知っている。なら、次に何が起きるか、確かめてみればいい。震える足で、僕はその一日を、恐る恐る辿りはじめた。
*
その後も、すべては僕の記憶のとおりに進んだ。
朝食を抜いた僕だけが無事だったこと。夜、団長室に呼ばれること。メルドさん、シュンさん、ツグミさん。そして――「ユウマ、お前も連れて行け」。
わかっている。わかってしまっている。この後、僕は。あの集積所で――。
体が、震えた。行けば、死ぬ。あの爆発。あの、首筋の冷たい感触。それが、また寸分違わず、僕を待っている。
「……行きたく、ない」
思わず、口からこぼれた。
「あん?」メルドさんが、怪訝な顔をする。
喉まで、言葉が出かかった。『行ったら、僕は死ぬんです』と。でも、どう説明すればいい。死んで、時間が巻き戻って、僕だけが覚えている――そんな話、誰が信じる。信じるどころか、心配され、憐れまれて、それで終わりだ。
「……いえ。なんでも、ないです」
僕は、俯いた。
*
集積所への道は、二度目でも、少しも慣れなかった。
一歩進むごとに、恐怖が膨れ上がっていく。この道の先に、死が待っている。それを、僕だけが知っている。
隊列のみんなは、いつもどおりだ。メルドさんは軽口を叩き、ツグミさんは気だるげに欠伸をする。誰も、この先の“結末”を知らない。その、あまりに普通な横顔を見ていると、叫び出したくなった。この中の誰も、僕が死ぬことを、まだ知らないのだ。
いっそ、全部打ち明けてしまおうか。何度も、そう思った。でも、そのたびに飲み込んだ。信じてもらえないのが怖い。それ以上に――もし信じてもらえたとして、この“力”を、みんなにどう説明すればいいのか、僕自身、何もわかっていなかったから。
先頭を行くお嬢の背中を、僕は見つめた。あの人は、完璧な段取りを組んだと信じている。……その完璧さが、なぜか一つも僕を守れないことを、僕だけが知っている。
*
(今度こそ、避けるんだ)
集積所に着いてから、僕は必死にあたりを見張った。あの粉塵の向こうの、誰か。爆発。……どこから来る。いつ、来る。
「お嬢……!」
たまらず、僕は声を上げた。
「ここ、危ないです。誰かに、見られてます。……罠なんです。早く、逃げないと」
お嬢の切れ長の目が、訝しげに僕を見た。
「……根拠は」
「そ、それは……」
言えない。“死んで、戻ってきたから”なんて、言えるわけがない。
「……勘、です。でも、本当に……っ」
お嬢はしばらく僕を見つめ――それから、静かに言った。
「気を張るのは、悪くない。でも、勘だけで隊列は動かせない」
違う。勘なんかじゃない。でも、それを証明する言葉を、僕は持っていない。もどかしさに唇を噛んだ、その時――。
ぐらり、と足元が揺れた。
*
――ああ、また、だ。
轟音。瓦礫。囲みの外へ、放り出される。粉塵の向こうの、静かな眼差し。
あんなに身構えていたのに。あんなに警戒していたのに。それでも、結末は寸分も動かなかった。まるで、僕の“あがき”なんて、とっくに織り込み済みだと、あざ笑うみたいに。
知っているだけじゃ、足りないんだ。ただ避けようとした程度じゃ、この結末は、びくともしない。……なら、どうすればいい。答えの出ないまま、また、あの冷たさが、近づいてくる。
首筋に、冷たいものが触れる。
でも――今度は、ほんの少しだけ、考える余裕があった。
(もし。もし、これが、さっきと同じなら)
意識が薄れていく、その最後の一瞬に。僕は、祈るように思った。
(僕はまた――あの朝に、戻るのか)
ばかげた考えだ、と嗤う自分と。もしかしたら、と縋る自分が。薄れゆく意識の底で、静かにせめぎ合った。
ぷつん、と世界が途切れた。
*
「――おい、しっかりしろ! 誰か、シルビィを呼べ!」
……戻って、きた。
また、あの怒号。また、倒れていく団員たち。また、あの毒の朝。
三度目の、同じ光景を前に。僕はその場に、立ち尽くした。
もう、疑いようがなかった。夢でも、幻でもない。
僕は――死ぬたびに。この“すべてが始まる朝”に、引き戻されている。
「……戻ってる、のか。死ぬ、たびに。ここに……」
呆然と、呟いた。声が、震える。これが、僕の――“力”、なのか。
嬉しさなんて、これっぽっちも湧かなかった。あるのはただ、何度でもあの死を繰り返さなきゃいけないのかという、底のない恐怖だけ。あの首筋の冷たさを、あの力が抜けていく感覚を、あの“死”を、これから何度、味わうんだろう。想像するだけで、吐き気がこみ上げた。
誰も、覚えていない。倒れた仲間も、メルドさんも、お嬢も。僕がもう二度も死んだことを、誰一人、知らない。この記憶を抱えているのは、世界で僕、ただ一人だけ。その孤独の重さに、僕はそっと奥歯を噛んだ。
もう、逃げられない。目を逸らしても、否定しても、この一日は、また巡ってくる。僕が“それ”を終わらせるまで、何度でも。
でも――同時に。ほんの小さな、けれど確かな一つの光も、そこにはあった。
戻れるなら。やり直せる、なら。
倒れたみんなを。無事に帰るという、約束を。そして、僕自身の、あっけない死を。……変えられる、かもしれない。
怖い。怖くて、たまらない。でも、逃げ出すことだけは、しない。だって、この“やり直し”は。無能な僕に与えられた、たった一つの――武器なんだから。たとえ、その武器を握るたびに、あの死の痛みを、味わうのだとしても。
震える拳を、ぎゅっと握りしめる。
こうして、僕の――終わりの見えない、そして決して誰にも言えない、たった一人きりの“やり直し”が。静かに、幕を開けた。




