第9話 島津側にも、“知っている者”がいる
本当に恐ろしい相手は、
力の強い人間ではない。
人間の“弱さ”を、
理解している人間だ。
朝日が、
海を金色に染めていた。
---
別府。
---
湯けむりが静かに昇る海辺で、
宗麟は黙って立っていた。
---
いや。
---
今はもう——
---
「御屋形様」
---
家臣の一人が、
静かに頭を下げる。
---
その呼び方に、
宗麟は少しだけ目を細めた。
---
「……久しぶりに聞いたな」
---
義統へ家督を譲ってから、
“殿”と呼ばれることも減った。
---
だが。
---
その呼び方は、
不思議と嫌ではなかった。
---
ハリーは、
朝日を浴びながら静かに呼吸を整えている。
---
少しだけ、
顔色が戻っていた。
---
アルメイダが、
その様子を観察する。
---
「本当に回復している……」
---
信じられないものを見る顔だった。
---
「薬でもない」
「祈祷でもない」
---
「ただ、
朝日を浴びているだけだ」
---
ハリーが小さく笑う。
---
「人間は、
本来それで整っていたんです」
---
「未来では、
それを忘れた」
---
宗麟が海を見る。
---
水平線。
---
広い。
---
静かだ。
---
戦のことを、
一瞬だけ忘れるほどに。
---
「……不思議な土地だ」
---
宗麟が呟く。
---
「府内では、
こんな朝日は見えん」
---
「流れが違います」
---
ハリーが静かに言う。
---
「人にも、
土地にも流れがある」
---
「別府は、
流れが通っている」
---
アルメイダが興味深そうに聞く。
---
「温泉の力ですか」
---
「それもあります」
---
「熱」
「水」
「海」
「光」
---
「全部、
人を戻す方向へ動いてる」
---
宗麟は、
静かに目を閉じる。
---
風の音。
波の音。
湯けむりの匂い。
---
こんなふうに、
世界を感じたのはいつ以来だろう。
---
「御屋形様!!」
---
遠くから、
兵が走ってくる。
---
「島津軍、
ついに北上を始めました!!」
---
空気が変わる。
---
だが。
---
宗麟は、
すぐには動かなかった。
---
少しだけ、
朝日を見る。
---
そして。
---
静かに笑った。
---
家臣たちが止まる。
---
驚いていた。
---
最近の宗麟は、
笑わなかったからだ。
---
疲れ。
怒り。
焦り。
---
そればかりだった。
---
だが今は違う。
---
「……慌てるな」
---
宗麟の声は、
不思議と落ち着いていた。
---
「恐怖で動けば、
島津の流れに飲まれる」
---
家臣たちが目を見開く。
---
それは、
ハリーが以前言った言葉だった。
---
宗麟が、
少し変わり始めている。
---
ハリーは、
その背中を静かに見ていた。
---
「……整い始めた」
---
その時だった。
---
突然。
---
ハリーの視界に、
“未来”が流れ込む。
---
燃える城。
---
倒れる兵。
---
血。
---
そして。
---
島津の軍勢の奥。
---
一人の男。
---
異様な静けさで、
こちらを見ている。
---
その男の背後には——
---
見覚えのある、
“異国の計算図”が浮かんでいた。
---
「……っ!」
---
ハリーが息を飲む。
---
アルメイダが気づく。
---
「どうしました」
---
ハリーは、
静かにその方向を見る。
---
「……いる」
---
「何がです」
---
ハリーの目が細くなる。
---
「島津側にも、
“知っている者”がいる」
読んでいただきありがとうございます。
ここから、
「戦」だけではなく、
“知性”と“流れ”の戦いも始まっていきます。
そして、
宗麟自身も少しずつ変わり始めています。




