第58話 雷神の矢
武とは。
命を奪うためにあるのではない。
守るために使われた時。
その武は。
初めて真の強さとなる。
夜明け前。
府内城。
城門の前には。
十騎の騎馬武者が静かに並んでいた。
誰も言葉を発しない。
張り詰めた空気だけが漂う。
戸次鑑連は地図を見つめる。
やがて静かに閉じた。
「これより。」
「人質を救出する。」
兵が思わず声を上げる。
「十人だけですか。」
鑑連は振り返らない。
「十人で十分だ。」
「多ければ。」
「気配が増える。」
「足跡も増える。」
「救出に必要なのは。」
「兵の数ではない。」
「確実さだ。」
誰も反論しなかった。
その言葉には。
百戦錬磨の重みがあった。
アルメイダが前へ出る。
一枚の地図を広げた。
「兵糧係殿のお話と。」
「私が集めた情報を合わせました。」
炭で静かに印を付ける。
「見張りは三か所。」
「交代は夜明け前。」
「この谷だけ。」
「ほんの僅かですが死角になります。」
鑑連は一目見ただけで頷く。
「十分だ。」
アルメイダは微笑んだ。
「ここから先は。」
「戦ではありません。」
「あなたの仕事です。」
鑑連も小さく笑った。
「ああ。」
「必ず連れて帰る。」
ハリーが歩み寄る。
「鑑連殿。」
「お願いします。」
鑑連は静かに頷く。
「心得た。」
ハリーは続けた。
「命を奪わないでください。」
鑑連は空を見上げる。
「ああ。」
「救うために行く。」
十騎は音もなく府内を発った。
山を越え。
谷を抜け。
夜明け前の闇を進む。
やがて。
敵の隠れ家が見えた。
見張りが二人。
松明を持ち立っている。
部下が囁く。
「射りますか。」
鑑連は静かに弓を手にした。
大友最強。
雷神。
そして。
神弓。
誰もが。
次の瞬間。
敵が倒れると思った。
鑑連は弦を引く。
矢は音もなく放たれた。
一直線に飛ぶ。
しかし。
貫いたのは敵兵ではない。
見張りの背後にあった松明だった。
炎が消える。
辺りは闇に包まれた。
「何だ!」
「火が消えた!」
敵が混乱する。
その一瞬。
十騎は風のように駆け抜けた。
誰も斬らない。
誰も殺さない。
眠る兵の武器だけを遠ざける。
縄だけを断ち切る。
静かに戸を開ける。
部屋の奥。
震える母と娘。
鑑連は短く言った。
「助けに来た。」
その一言だけで。
母は涙を流した。
娘は小さく頷く。
十騎は二人を囲み。
来た道を戻る。
敵はまだ混乱している。
気付いた時には。
誰もいなかった。
夜が明ける。
十騎は府内へ帰還した。
城門で。
兵糧係が待っていた。
妻の姿を見つける。
娘が駆け寄る。
「父ちゃん!」
兵糧係は娘を抱き締めた。
妻も泣いていた。
「すまなかった……。」
「怖かったな……。」
家族は何度も頷く。
その光景を。
鑑連は静かに見つめていた。
部下が笑う。
「さすが神弓です!」
「敵を一人も斬らずに勝ちました!」
鑑連は首を横に振った。
「違う。」
部下は首を傾げる。
鑑連は穏やかに言った。
「矢が上手いだけでは。」
「戦には勝てん。」
少し間を置く。
「全員。」
「生きて帰るまでが勝ちだ。」
その言葉に。
部下たちは深く頭を下げた。
ハリーが歩み寄る。
「整いましたね。」
鑑連は微笑む。
「ああ。」
「ようやく分かった。」
「本当に強い者とは。」
「命を守れる者だ。」
その頃。
薩摩。
黄金の天秤の前へ。
一人の兵が駆け込む。
「申し上げます!」
「人質が……。」
「消えました!」
黄金の天秤は目を閉じる。
やがて静かに口を開いた。
「……戸次鑑連か。」
部屋の空気が変わる。
「豊後には。」
「宗麟。」
「ハリー。」
「そして。」
「戸次鑑連。」
「厄介な男が三人いる。」
黄金の天秤は初めて。
豊後という国を。
真の強敵として認めた。
最強とは。
一番多く倒した者ではない。
一番多くの命を。
守り抜いた者なのかもしれない。




