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第55話 言えない言葉

人は。

助けてほしい時ほど。

その一言が。

言えなくなる。

朝。

兵糧係は。

眠れぬまま朝を迎えた。

目の下には深い隈。

足取りは重い。

それでも。

城へ向かう。

休めば。

怪しまれる。

いつも通り。

それだけを繰り返し。

自分に言い聞かせた。

朝餉。

整命部隊の兵たちが囲炉裏を囲む。

「今日は味噌汁がうまいぞ。」

「昨日のニンニクが効いたな。」

笑い声が広がる。

兵糧係は茶碗を持つ。

箸が震える。

一口。

飲み込めない。

喉で止まる。

隣の兵が笑った。

「どうした。」

「食欲ないのか。」

「俺のおかず食え。」

焼いた魚を半分。

兵糧係の皿へ置く。

「身体が資本だからな。」

「食わんと整わんぞ。」

兵糧係は。

無理に笑った。

「……ありがとう。」

口へ運ぶ。

噛む。

飲み込む。

味がしない。

食事が終わる。

兵糧係は。

誰にも見つからぬよう。

建物の裏へ回った。

次の瞬間。

胃の中のものを。

すべて吐いた。

膝をつく。

息が苦しい。

涙が落ちる。

「情けない……。」

「こんな身体で……。」

立ち上がろうとしても。

足に力が入らない。

恐怖が。

身体を支配していた。

昼。

荷を運ぶ。

腕は重い。

肩は石のように固い。

整命部隊の一人が近づく。

「おい。」

「肩貸せ。」

兵糧係は首を振る。

「大丈夫だ。」

兵は笑う。

「大丈夫な肩じゃない。」

「ほら。」

肩を揉み始める。

固くなった筋肉が。

少しずつ緩む。

その温もりが。

苦しかった。

「最近。」

「頑張りすぎだ。」

「今日は早く休め。」

兵糧係は。

顔を伏せる。

「ありがとう……。」

心の中では。

叫んでいた。

(やめてくれ……。)

(そんなに優しくするな……。)

(俺は……。)

(お前たちを裏切ろうとしているんだ……。)

午後。

アルメイダが薬草を抱えて歩いてくる。

「顔色が悪いな。」

「疲れが溜まっている。」

「今夜はニンニクを食べろ。」

「身体が少し楽になる。」

兵糧係は頷く。

言葉が出ない。

少し離れた場所では。

ハリーが子どもたちに笑っていた。

転んだ子を抱き起こし。

老人の荷物を運ぶ。

その姿を見て。

兵糧係は胸を押さえる。

(なぜだ……。)

(なぜそんなに……。)

(人を信じられる……。)

夕方。

兵糧係は荷車を押しながら。

ハリーと鉢合わせた。

ハリーは。

穏やかに微笑む。

「お疲れ様です。」

兵糧係は立ち止まる。

今だ。

今しかない。

話せ。

助けてくれと言え。

喉まで言葉が来る。

「ハ……。」

その瞬間。

黄金の天秤の声が蘇る。

――相談すれば。

――家族は死ぬ。

娘の笑顔。

妻の涙。

兵糧係は拳を握った。

「……何でもありません。」

ハリーは。

少しだけ首を傾げる。

そして優しく言った。

「無理はしないでください。」

「人は。」

「一人で抱え込むと。」

「身体まで壊れてしまいます。」

兵糧係は。

うつむいたまま頭を下げた。

何も言えない。

ハリーは。

そのまま歩いて行った。

その背中を見送りながら。

兵糧係の目から。

涙が一筋こぼれた。

遠くから。

その様子を見ていた男がいた。

宗信だった。

兵糧係の目。

震える手。

硬い肩。

怯えた歩き方。

どれも。

昔の自分と同じだった。

宗信は近づく。

問い詰めない。

責めない。

ただ。

兵糧係の隣へ座った。

しばらく。

何も話さない。

風だけが吹く。

やがて宗信は。

静かに立ち上がった。

「俺も。」

「昔。」

「一人で苦しんだ。」

兵糧係の肩が震える。

宗信は振り返らない。

「一人で抱えるな。」

それだけ言って。

歩き去った。

兵糧係は。

唇を噛んだ。

言える。

今なら言える。

足が一歩前へ出る。

だが。

出なかった。

黄金の天秤。

娘。

妻。

恐怖。

すべてが。

足を縛っていた。

兵糧係は。

その場に崩れ落ちる。

声を殺しながら。

泣いた。

誰にも届かない。

誰にも言えない。

その涙だけが。

静かに地面へ落ち続けていた。

優しさは。

人を救います。

けれど。

恐怖は。

その優しささえ。

届かなくしてしまうことがあります。

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