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第54話 揺らぐ心

人は。

弱いから迷う。

迷うから。

人なのである。

朝日が昇る。

府内の城下町は。

いつもと変わらぬ朝を迎えていた。

店を開く商人。

走り回る子どもたち。

井戸端で笑う女たち。

整命部隊も。

今日も元気だった。

笑い声が聞こえる。

「おはよう!」

「今日も頼むぞ!」

その声が。

胸を締め付けた。

兵糧係は。

返事ができなかった。

昨夜。

一睡もしていない。

目を閉じるたび。

娘の髪飾りが浮かぶ。

妻の泣き顔が浮かぶ。

そして。

黄金の天秤の言葉だけが。

何度も耳に響く。

――相談すれば。

――家族は死ぬ。

荷車を押す。

手が震える。

米俵を運ぶ。

肩に力が入らない。

兵が笑いながら声を掛ける。

「大丈夫か。」

兵糧係は。

無理に笑った。

「少し寝不足でして。」

嘘だった。

身体ではない。

心が壊れ始めていた。

昼。

整命部隊は。

今日も民を助けていた。

転んだ子どもを起こし。

老人の荷物を持ち。

兵たちと笑い合う。

その光景を見つめながら。

兵糧係は思う。

「どうして。」

「俺だけ……。」

世界は。

何も変わらない。

変わったのは。

自分だけだった。

午後。

空は青い。

風も気持ちいい。

兵が空を見上げて笑う。

「今日はいい日だ。」

兵糧係は。

思わず空を睨んだ。

「何がいい日だ……。」

「神なんか。」

「どこにもいない。」

「天なんか。」

「俺を見ていない。」

「どうして俺なんだ。」

運命を恨んだ。

神を恨んだ。

天を恨んだ。

そして。

自分を恨んだ。

夕暮れ。

家へ帰ることもできない。

帰れば。

妻も娘もいない。

胸が締め付けられる。

思わず口から言葉が漏れた。

「家族なんか……。」

言葉が止まる。

「持たなければ……。」

その瞬間。

兵糧係は。

自分の口を押さえた。

涙があふれる。

「違う……。」

「違うんだ……。」

「幸せだった……。」

「本当に……。」

娘が初めて歩いた日。

妻が笑って迎えてくれた日。

何気ない夕飯。

小さな幸せ。

全部。

宝物だった。

夜。

誰もいない部屋。

兵糧係は。

刀を見つめていた。

「俺一人なら……。」

「死ねる。」

だが。

妻は。

娘は。

助からない。

心が壊れていく。

「国なんか……。」

「知らん。」

「俺は英雄じゃない。」

「ただの兵糧係だ。」

「末端は。」

「末端らしく。」

「家族だけ守れればいい。」

その考えが。

少しだけ。

自分を楽にした。

そして。

もっと恐ろしい考えが浮かぶ。

「宗麟を討てば……。」

「ハリーを討てば……。」

「家族は助かるかもしれない。」

次の瞬間。

兵糧係は外へ飛び出した。

胃の中のものを。

すべて吐いた。

地面に両手をつく。

「俺は……。」

「何を考えてる……。」

「最低だ……。」

涙が止まらない。

しばらくして。

部屋へ戻る。

壁には。

小さな鏡が掛かっていた。

映っていたのは。

昨日までの自分ではない。

目は落ちくぼみ。

頬はやつれ。

生気がない。

兵糧係は。

鏡に手を伸ばす。

「消えてしまいたい……。」

その時だった。

懐から。

小さな木彫りの花飾りが落ちる。

娘が毎日。

大切にしていた髪飾り。

兵糧係は。

震える手で拾い上げた。

「父ちゃん。」

幼い娘の笑顔が浮かぶ。

兵糧係は。

花飾りを胸に抱き締めた。

声を殺して。

泣いた。

泣き続けた。

夜は。

まだ終わらなかった。

人は。

追い詰められた時。

正しさと。

守りたいものとの間で揺れます。

もしあなたなら。

何を守りますか。

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