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第52話 王の器

王は。

一人で国を動かす者ではない。

人の心を。

一つにできる者である。


薩摩。


島津館。


夜明けとともに。


一頭の馬が門を駆け抜けた。


続いて。


二頭。


三頭。


伝令たちは。


義久の命を携え。


薩摩の各地へ散っていった。


山道を走り。


村を抜け。


海沿いを駆ける。


島津が。


動き始めていた。


城下には。


太鼓の音が響く。


兵たちは槍を持ち。


足軽たちは列を整え。


鍛冶場では。


刃を打つ音が絶えなかった。


その中心に。


島津義久はいた。


だが。


義久自身は。


ほとんど動いていなかった。


広間の最奥。


静かに座り。


各地から届く報告に目を通している。


義弘は兵を鍛え。


歳久は兵糧と道筋を整え。


家久は地形と敵の動きを読み続けていた。


誰が何をすべきか。


細かく命じられてはいない。


それでも。


誰一人迷わなかった。


義久の意志を。


皆が理解していたからである。


島津を。


一つにする。


それだけだった。


「兄上。」


義弘が広間へ入る。


額には汗がにじんでいた。


「兵どもの動きが違います。」


義久は書状から目を上げない。


「何が違う。」


「皆。」


「己から動いております。」


「命じられる前に。」


「次に必要なことを考えております。」


義久は。


そこで初めて顔を上げた。


「それでよい。」


「命で動く兵は。」


「命が届かぬ場所で止まる。」


「だが。」


「守るものを知る者は。」


「命がなくとも動く。」


義弘は。


小さく笑った。


「皆。」


「兄上を見ております。」


義久は答えない。


ただ。


遠く東の方角へ目を向けた。


豊後。


大友。


そして。


人を変える男。


ハリー。


義久は。


その名を。


まだ口にはしなかった。


その頃。


府内城。


城門を一騎の早馬が駆け抜けた。


馬上の兵は。


泥にまみれていた。


広間へ通されると。


息を切らしながら膝をつく。


「申し上げます。」


「薩摩に動きあり。」


「島津各地より兵が集まり始めております。」


「街道も整えられ。」


「兵糧も運び込まれております。」


広間の空気が変わった。


「ついに来たか。」


鑑連が低く呟く。


家臣たちが。


一斉に声を上げた。


「今すぐ兵を増やすべきです。」


「城門を固めましょう。」


「街道を封鎖し。」


「薩摩からの間者をすべて捕らえるべきです。」


「いや。」


「こちらから先に攻めるべきだ。」


「島津が整う前に。」


「先手を打たねばなりません。」


声が重なる。


誰もが。


大友を守ろうとしていた。


だからこそ。


意見はぶつかった。


以前の宗麟なら。


すぐに立ち上がっていた。


最も勢いのある意見を選び。


命令を下していた。


あるいは。


自分に反対する者を。


怒鳴りつけていたかもしれない。


だが。


宗麟は。


動かなかった。


家臣たちを見渡し。


静かに言う。


「続きを聞かせよ。」


広間が静まる。


「殿。」


「まだお決めにならぬのですか。」


若い家臣が尋ねる。


宗麟は頷いた。


「決めるために。」


「聞いておる。」


そして。


鑑連を見る。


「鑑連。」


「お前はどう思う。」


鑑連は。


腕を組んだ。


「兵を集める必要はありましょう。」


「しかし。」


「慌てて集めた兵は弱い。」


「恐れで集まった者は。」


「最初の敗戦で崩れます。」


宗麟は頷く。


次に。


宗信を見る。


「宗信。」


宗信は。


少し考えてから口を開いた。


「城下の噂を抑えるべきです。」


「島津が来ると知れば。」


「民は食料を買い占めます。」


「商人は値を上げ。」


「人の心が先に乱れます。」


「戦が始まる前に。」


「国が内側から崩れるかもしれません。」


宗麟は。


何も遮らなかった。


「アルメイダ。」


「はい。」


「お前は。」


アルメイダは。


静かに答えた。


「傷ついた兵を運ぶ場所。」


「薬。」


「水。」


「食料。」


「戦う前に。」


「戻ってこられる場所を整えるべきです。」


家臣の一人が眉をひそめる。


「まだ戦も始まっておらぬのに。」


「負傷者の話か。」


アルメイダは。


その家臣を見る。


「始まってからでは遅い。」


「人は。」


「戻れる場所があると知っているから。」


「前へ出られる。」


広間に。


静かな納得が広がった。


宗麟は。


今度は整命部隊の兵を見た。


「お前たちはどうだ。」


兵は驚いた。


自分たちに意見を求められるとは思っていなかった。


一人の兵が。


恐る恐る立ち上がる。


「私は。」


「城を守る兵です。」


「難しいことは分かりません。」


一度。


言葉を止める。


「ですが。」


「今の大友なら。」


「逃げずに戦えると思います。」


「なぜだ。」


宗麟が尋ねた。


兵は。


少し迷ってから答える。


「以前は。」


「死ねと言われているように感じておりました。」


「今は。」


「生きて戻れと言われている気がします。」


その言葉に。


誰も声を出さなかった。


廊下。


障子の向こうで。


ハリーが静かに立っていた。


隣には。


アルメイダが座を外したあと。


戻ってきていた。


「ハリー。」


小さな声で呼ぶ。


「入らないのか。」


ハリーは。


首を横に振った。


「今は。」


「私の出るところではありません。」


「だが。」


「皆が意見を言っている。」


「お前の考えも必要ではないのか。」


ハリーは。


障子の向こうを見つめた。


宗麟は。


一人ひとりの顔を見ている。


答えだけではない。


その言葉の奥にある。


恐れ。


覚悟。


守りたいもの。


それらすべてを。


受け止めようとしていた。


「宗麟様は。」


「もう答えを教わる人ではありません。」


アルメイダが。


ハリーを見る。


「では。」


「何になった。」


ハリーは。


少しだけ笑った。


「皆の中にある答えを。」


「一つにできる人です。」


薩摩。


島津館。


歳久が。


新たな地図を広げていた。


「兄上。」


「兵糧の道を三つに分けました。」


「一つが止められても。」


「二つは残ります。」


家久も続く。


「大友へ向かう道だけではありません。」


「退く道も調べました。」


義弘が笑う。


「家久。」


「戦う前から逃げ道か。」


家久は。


笑わなかった。


「戻れぬ兵は。」


「次の戦に使えませぬ。」


義久は。


弟たちのやり取りを聞いていた。


そして。


一言だけ告げる。


「続けよ。」


それだけで。


三人は再び動き始めた。


義久は。


弟たちの考えを否定しない。


だが。


ばらばらにもさせない。


義弘の武。


歳久の知。


家久の策。


異なる三つの力を。


島津という。


一つの名へ収束させる。


それが。


義久の力だった。


府内城。


すべての意見を聞き終え。


宗麟は。


ゆっくり立ち上がった。


家臣たちも。


宗麟を見る。


「皆の考えを聞いた。」


声は。


大きくない。


だが。


広間の隅まで届いた。


「兵を備えること。」


「民を乱さぬこと。」


「傷ついた者を戻す場所をつくること。」


「そして。」


「生きて帰るために戦うこと。」


宗麟は。


一人ひとりを見る。


「どれも間違っておらぬ。」


家臣たちの表情が変わる。


自分の意見が採用されたからではない。


自分の思いが。


届いたと分かったからだった。


「ならば。」


宗麟は続ける。


「一つを選ぶ必要はない。」


「すべてやる。」


広間に。


わずかなどよめきが起こる。


「鑑連。」


「兵を整えよ。」


「はっ。」


「宗信。」


「城下の者たちへ伝えよ。」


「食料を奪い合う必要はない。」


「大友が責任を持って配るとな。」


「承知しました。」


「アルメイダ。」


「戻ってくる者たちの場所を頼む。」


「はい。」


宗麟は。


最後に兵たちを見る。


「お前たちは。」


「死ぬために戦うのではない。」


「生きて。」


「この国へ戻ってこい。」


兵たちは。


一斉に頭を下げた。


命令だった。


それでも。


命じられたとは感じなかった。


自分たちが。


同じ答えへ辿り着いたように感じていた。


鑑連が。


宗麟を見つめる。


長く仕えてきた。


だからこそ。


分かった。


宗麟は。


以前とは違う。


強くなったのではない。


人の声を。


抱えられるようになった。


「殿。」


鑑連が言う。


宗麟が振り返る。


「何だ。」


「いえ。」


鑑連は。


わずかに笑った。


「よい顔をされるようになった。」


宗麟は。


照れたように鼻を鳴らす。


「何を申す。」


「私は以前から。」


「よい顔をしておる。」


広間に。


小さな笑いが生まれた。


張り詰めていた空気が。


少しだけ緩む。


廊下で。


アルメイダも笑った。


「聞いたか。」


「以前からだそうだ。」


ハリーも。


声を立てずに笑う。


「それでいいのです。」


「人は。」


「自分で変わったことに気づかないくらいが。」


「ちょうどいい。」


薩摩。


夕暮れ。


兵たちの声が。


山々に響いていた。


義久は。


高台からその様子を見下ろしている。


義弘が隣に立つ。


「兄上。」


「島津は。」


「一つになりつつあります。」


義久は。


静かに答えた。


「まだだ。」


「まだ足りぬ。」


「大友が変わったのなら。」


「我らも。」


「これまでの島津では勝てぬ。」


義弘の目が細くなる。


「それほどの相手ですか。」


義久は。


遠い空を見る。


「強い敵なら。」


「力で倒せる。」


「だが。」


「変わり続ける敵は。」


「昨日の策では倒せぬ。」


同じ頃。


府内。


宗麟もまた。


城の上から城下を見ていた。


人々は。


いつもと同じように歩いている。


店を開き。


水を運び。


子どもたちは走っている。


戦の影は。


まだ見えない。


だが。


確かに近づいていた。


ハリーが。


宗麟の隣へ立つ。


「先生。」


宗麟が呼ぶ。


「島津は。」


「強いのだろうな。」


「はい。」


ハリーは答えた。


「一人ひとりが強い。」


「そして。」


「その力を一つにできる方がおられます。」


「島津義久か。」


「はい。」


宗麟は。


しばらく黙っていた。


そして。


城下へ目を戻す。


「ならば。」


「我らも一つにならねばならぬな。」


ハリーは。


宗麟を見る。


宗麟は続ける。


「ただし。」


「皆を同じ形にはせぬ。」


「違う者たちが。」


「違うまま。」


「同じ国を守れるようにする。」


ハリーは。


静かに頷いた。


薩摩では。


一人の王が。


散らばる力を束ねていた。


府内では。


一人の王が。


異なる心をつないでいた。


義久は。


人を一つにする。


宗麟は。


人が一つになれる場所をつくる。


二人は。


まだ会っていない。


言葉を交わしたこともない。


それでも。


互いの存在は。


すでに。


それぞれの国を変え始めていた。


九州に。


二つの大きな流れが生まれていた。


一つは。


すべてを束ねる流れ。


もう一つは。


すべてを生かす流れ。


やがて。


二つの流れは。


避けることのできない場所で。


ぶつかることになる。

強い王とは。

力の強い王でしょうか。

それとも。

人の心を動かせる王でしょうか。

島津義久は。

人の力を一つに束ねる王。

大友宗麟は。

人の心を一つにつなぐ王。

どちらも国を守るために選んだ道です。

二人の王が、これからどのように九州を動かしていくのか。

次回も、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。

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