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第39話 人質


裏切りは。


心の弱さから生まれるとは限らない。


守りたいものがあるから。


人は間違うこともある。



府内城。


異変に最初に気づいたのは。


宗信だった。


兵糧蔵の前。


米俵が運び込まれている。


数は合っている。


帳面にも。


間違いはない。


だが。


宗信は動かなかった。


俵の一つに手を置く。


軽い。


わずかに。


ほんのわずかに軽い。


普通の者なら。


気づかないほどだった。


「開けろ」


兵糧係の男が顔を上げる。


「しかし、宗信様」


「開けろ」


縄が切られた。


俵の口が開く。


中から出てきたのは。


米。


そして。


底に詰められた砂だった。


周囲の兵たちがざわめく。


「誰がやった」


宗信の声は低かった。


兵糧係たちは顔を見合わせる。


誰も答えない。


「この俵を運んだ者を集めろ」


やがて。


一人の男が連れてこられた。


名は。


吉平。


下級の兵糧係だった。


真面目な男だった。


口数は少ない。


妻と。


幼い娘がいる。


宗信は吉平を見た。


顔色が悪い。


唇が震えている。


「お前か」


吉平は答えなかった。


「答えろ」


それでも。


答えない。


だが。


その沈黙が。


答えだった。


兵たちが吉平を取り囲む。


「裏切り者め」


「斬れ」


「敵に兵糧を流したのか」


吉平は抵抗しなかった。


ただ。


地面を見つめていた。


そこへ。


ハリーが現れた。


「何があった」


宗信が砂の混じった俵を示す。


「兵糧に細工がされていました」


ハリーは米を手に取る。


指の間から。


白い米と。


灰色の砂が落ちた。


「この男がやったのか」


「おそらく」


ハリーは吉平の前にしゃがんだ。


「なぜだ」


吉平の肩が震える。


「申し訳……ございません」


「理由を聞いている」


「殺されます」


小さな声だった。


「誰が」


吉平は唇を噛んだ。


血がにじむ。


「妻と……娘が」


宗信の目が変わった。


「人質か」


吉平は崩れ落ちた。


「三日前です」


「城下の家から連れ去られました」


「兵糧に砂を混ぜろと」


「さもなくば」


声が続かなかった。


吉平は地面に額をつけた。


「どうか」


「私を斬ってください」


「だが」


「妻と娘だけは」


「助けてください」


兵たちのざわめきが消えた。


裏切り者。


先ほどまで。


そう呼ばれていた男は。


ただの父親だった。


宗信は吉平を見下ろしていた。


かつて。


自分も裏切った。


恐れ。


弱さ。


迷い。


人には。


他人からは見えない事情がある。


だが。


事情があったとしても。


裏切りは消えない。


宗信は。


それを誰より知っていた。


「ハリー殿」


宗信が言った。


「この者をどうします」


「助ける」


ハリーは即答した。


「吉平をですか」


「違う」


ハリーは立ち上がった。


「全員だ」


吉平が顔を上げる。


「妻も」


「娘も」


「吉平も助ける」


「しかし」


鑑連が歩いてきた。


「この者は兵糧に細工をした」


「処罰せねば」


「同じことをする者が現れるぞ」


ハリーは鑑連を見た。


「人質を取られた者を斬れば」


「次に人質を取られた者は」


「助けを求めなくなる」


鑑連は黙った。


「隠す」


「怯える」


「もっと深く敵に従う」


「恐怖で口を閉ざした人間を斬っても」


「恐怖は消えない」


ハリーは砂の混じった米を握った。


「病んだ部分を切り捨てるだけでは」


「身体は整わない」


「なぜ病んだのか」


「そこを見なければ」


「また別の場所が病む」


宗麟が静かに頷いた。


「では」


「敵の居場所を探す」


宗信が前に出た。


「私に行かせてください」


皆が宗信を見る。


「お前が」


鑑連の声に。


わずかな警戒が混じる。


宗信は気づいていた。


その視線を。


以前なら。


胸が痛んだだろう。


疑われることに。


怒りを覚えただろう。


だが。


今は違った。


「私は」


「裏切った者の顔が分かります」


宗信は吉平を見る。


「嘘をつく者の顔ではない」


「何かを守ろうとして」


「追い詰められた者の顔です」


吉平の目から。


涙がこぼれた。


「敵は吉平を見張っているはずです」


「処罰されたと思わせれば」


「油断する」


ハリーが宗信を見る。


「できるのか」


宗信は答えた。


「できます」


「なぜだ」


しばらく。


宗信は黙っていた。


そして。


静かに言った。


「私は一度」


「信じてもらいました」


府内の風が。


兵糧蔵を通り抜ける。


「だから今度は」


宗信は吉平へ手を差し出した。


「私が信じる側に回ります」


吉平は。


その手を見つめた。


裏切り者と呼ばれた者が。


裏切ったことのある者の手を取る。


その日。


府内城から。


一人の罪人が消えた。


代わりに。


妻と娘を救おうとする父親と。


その父親を信じる男が。


闇の中へ歩き始めた。


だが。


その様子を。


遠くから見つめる者がいた。


黒い衣。


顔は見えない。


男は小さく笑った。


「一つ目の皿は」


「失敗か」


その手には。


黄金の天秤があった。


「ならば次は」


「疑いを載せよう」


天秤が。


ゆっくりと傾いた。


府内城にはまだ。


誰にも見えない病が。


入り始めていた。




敵が持ち込んだものは。


毒でも。


刃でもなかった。


人を疑う心だった。

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