98話 俺×空白=会えません。
あの一件から、数日が経っていた。
表面上は、何も変わっていない。教室も、生徒会も、いつも通りに回っている。誰かが騒ぐわけでもなく、特別な出来事が起こるわけでもない。
それなのに。
真守の中では、ずっと何かが引っかかっていた。
はっきりとした形はない。ただ、胸の奥に小さな棘のようなものが残り続けている。触れれば痛むほどではないのに、意識を向けるたびに確かにそこにあるとわかる、そんな違和感だった。
原因は一つじゃない。
結城のこと。あの踊り場での会話。ほんの少しだけ見えた、弱さのようなもの。そして、あの日からぱったりと姿を見せなくなった祇園のこと。
どれも決定打にはならない。けれど、どれも無視できない。
そんな状態のまま、今日も一日が終わろうとしていた。
放課後、生徒会の作業を終えて外に出ると、空はすでに夕焼けから夜へと移り変わりかけていた。
昼間の熱が少しだけ残っている空気の中に、夜の涼しさが混じり始めている。
「……」
特に理由もなく、足が止まる。
帰るだけなら、そのまままっすぐ進めばいい。けれど、体は自然と別の方向へ向いていた。
考えるより先に、足が動いている。
そのまま歩き出すと、行き先はすぐにわかった。
あの公園だった。
何度も通った道を、いつもより少しだけゆっくりと歩く。街灯がぽつぽつと灯り始めていて、昼とは違う静けさが街に広がっていた。
途中で何度か足を止めそうになる。それでも、引き返す理由は見つからなかった。
結局、そのまま公園まで来てしまう。
視界が開ける。見慣れた景色。
ベンチ。街灯。遊具。
そして——
誰もいなかった。
「……」
足が止まる。
わかっていたような気もするし、どこかで期待していたような気もする。
あそこに行けば、当たり前のように祇園がいる。そんな錯覚が、いつの間にか自分の中にできていた。
けれど現実は違う。
ベンチは空いたまま、静かにそこにあるだけだった。
「……そりゃ、そうか」
小さく息を吐く。
時間を決めているわけでもない。連絡を取っているわけでもない。ただ、偶然会っていただけだ。
会えない日の方が、普通なのかもしれない。
それでも、足は自然とベンチの方へ向いていた。
腰を下ろすと、少しだけ冷たい感触が伝わってくる。
「……」
しばらく、そのまま座っていた。
何かを待っているわけでもない。ただ、立ち上がるきっかけを見失っただけかもしれない。
夜の公園は、思っていたよりも静かだった。
遠くの道路を走る車の音が、かすかに聞こえる。風はほとんどなく、木の葉もほとんど揺れていない。
静かすぎるくらいの静けさ。
「……こんな感じだったか」
ぽつりと呟く。
これまでも同じ場所にいたはずなのに、印象が少し違う。
それはきっと、隣に誰かがいたかどうかの違いだった。
祇園がいるときは、この静けさも気にならなかった。ただ話しているだけで、時間が流れていた。
けれど今は、その静けさがそのまま残る。
「……」
ふと、周囲に意識を向ける。
誰かの気配。視線のようなもの。
一瞬だけ、そんなものを感じた気がした。
反射的に顔を上げる。
「……?」
見回す。
誰もいない。
遊具の影にも、木の陰にも、人の姿はなかった。
ただ、街灯の明かりが淡く地面を照らしているだけ。
「……気のせいか」
そう呟いてみる。
けれど、完全には消えない。
何かが、少しだけズレている。その感覚だけが残る。
「……」
しばらくして、真守は立ち上がった。
これ以上ここにいても、何かが起きるわけじゃない。
それはわかっている。
それでも、ほんの少しだけ後ろ髪を引かれる感覚があった。
一度だけ振り返る。
空のベンチ。
そこには、やっぱり誰もいない。
「……帰るか」
小さく呟き、そのまま公園を後にする。
来た道を戻りながら、さっきの違和感をもう一度思い返す。
気のせいで片付けるには、少しだけ残る感触。
けれど、確かめる方法もない。
結局、そのまま家へと戻るしかなかった。
玄関を開けると、いつも通りの空気が迎える。
「おかえりー」
真希那の声。
「……ただいま」
自然に返す。
日常は変わらない。
それが逆に、少しだけ現実感を取り戻させる。
軽く会話を交わし、そのまま自室へ戻る。
ベッドに腰を下ろすと、体の力が少し抜けた。
「……」
静かな部屋。
目を閉じる。
今日、一日を振り返る。
特別なことは何もなかった。それなのに、胸の奥の違和感は消えていない。
祇園には会えなかった。それだけのはずなのに。
「……」
あの公園で感じた、わずかな気配。
気のせいだと思いたい。
けれど、どこかでそれを否定しきれない自分もいる。
何も起きていない。
だからこそ、余計に不安になる。
静かなまま、何かが進んでいる気がして。その感覚だけが、ゆっくりと深くなっていった。




