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俺×恋=0になります。  作者: 光黒猫
第三章 俺×過去=探し出します。〜過去探索編〜
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97話 俺×綻び=見ていられません。

夜もずっと、胸の奥に張りついているものが消えなかった。


脅迫状。


『まだ終わっていない

楽々浦真守は許さない』


あの無機質な文字が、目を閉じても浮かんでくる。もう一度始まるのかもしれない、という予感だけが、朝になっても薄れなかった。


教室に向かう足取りも自然と重くなる。廊下を歩く生徒たちの声はいつも通りなのに、自分だけ少し違うところに立っているような感覚があった。


「……」


それでも、立ち止まるわけにはいかない。


今日は特に、気を抜けない。


真希那には警戒するように伝えた。赤坂にも協力を頼んだ。葵先輩とも対策は共有した。やれることはやったはずだ。


なのに、落ち着かない。


そのまま生徒会室へ向かう。

扉の前で一度だけ息を整え、ノックをして中に入る。


「失礼します」


いつも通りの静かな空気が広がっていた。

ただ、今日は少し違う。葵の姿がなかった。


「……あれ」


思わず小さく漏れる。


夢百合葵がいないだけで、副会長周りの空気は驚くほど変わる。どこか隙間ができたような、妙に落ち着かない静けさだった。


「夢百合先輩は?」


真守が近くにいた坂下に尋ねると、坂下は淡々と手元の資料から目を離さずに答えた。


「先生に呼ばれてます。少し遅れるそうです」


「……そうですか」


短く返す。


そのとき、視界の端に赤い髪が映る。


結城だった。


すでに席についていて、いつものように長袖のワイシャツをきっちり着ている。周りがまだ半袖混じりの季節のままなのに、そこだけ妙に浮いて見えた。


「……」


結城は真守と目が合っても、特に何も言わなかった。


会長に言われた通り、仕事のこと以外では必要以上に絡まない。その距離感はここ数日で定着しつつあった。


それがありがたいようで、逆に不自然でもある。


「楽々浦君」


会長の声が飛ぶ。


「今日は夢百合君が少し遅れる。副会長補佐の指導は、各担当に散って覚えてもらおう」


「……はい」


返事をしながら、真守はわずかに嫌な予感を覚えていた。


結城は優秀なはずだ。少なくとも、試験の成績だけなら黒ヶ峰以上。けれど実務となると、どこか噛み合っていない場面がこれまでにも少しあった。


葵が間に入っていたから、大きく崩れずに済んでいた。


今日は、その葵がいない。


「山影君、まず庶務の流れを見せてあげてくれ」


「はい」


「坂下君は会計処理の簡単な部分から」


「承知しました」


「黒ヶ峰君は書記の整理を」


会長の指示は無駄がない。


そのまま自然に、結城が各部署の仕事に回されていく。


真守も副会長側の処理を進めながら、どうしても視線がそちらに向いてしまう。


最初に空気が崩れたのは、山影のところだった。


「遅ぇな」


低い声が、部屋の空気を少しだけ震わせる。


「……すみません」


結城が短く返す。


「正確なのは悪くねぇけど、庶務は早さもいる。そこ一枚やるのに何分かけてんだ」


山影の言い方は乱暴だったが、間違ってはいなかった。仕事としての指摘だ。


結城は「……はい」とだけ返し、もう一度やり直す。


その次は坂下のところだった。


「違います」


坂下の声は小さいが、よく通る。


「数字は合っています。でも、処理の順番が逆です」


「……」


「これでは確認に二度手間がかかります。効率が悪いです」


淡々としている。


だからこそ、逃げ場がない。


「もう一度説明しますので、今度は手順を見てください」


「……はい」


結城は表情を変えなかった。

ただ、返事が少しだけ小さくなる。


そして最後に、黒ヶ峰の番だった。

ここが一番まずい、と真守は思った。


黒ヶ峰は、もともと結城に対して敵対心を隠していない。自分より成績が上だと会長に言われた時から、その棘はずっと残っていた。


「……これ、ちゃんと見た?」


黒ヶ峰の声は低かった。


同級生相手だからか、最初から遠慮がない。


「見たよ」


「見てこれなら、逆にすごいんだけど」


「……」


「記録の抜き、順番ミス、要点もズレてる。え、それ本気でやってんの?」


言葉が刺さる。


黒ヶ峰は、淡々としながらも明らかに棘を乗せていた。


「そのレベルであたしより上って言われてんの?」


結城は黙ったまま、書類を見ている。


「正直、笑えないんだけど」


「黒ヶ峰」


真守が思わず名前を呼ぶ。


「何」


振り返りもしない。


「……少し言いすぎだろ」


「言いすぎ?」


黒ヶ峰がようやく視線を上げる。


「事実だけど」


言い返せない。


それが余計に空気を悪くする。


周りも、誰も庇わない。山影も坂下も、表には出さないが結城の仕事ぶりに不満は持っているのがわかる。


そして、その空気を決定的にしたのは、坂下の何気ない一言だった。


「副会長の補佐でこの状態ですと」


静かな声だった。


「夢百合さんがいなければ、何も回らないのではありませんか」


その言葉に、結城の指が止まる。


ほんの一瞬だった。

けれど、確かに止まった。真守はその小さな変化を見逃さなかった。


「……」


結城は何も言わない。


反論もしない。笑いもしない。ただ、表情がすっと薄くなる。感情を一枚剥がしたみたいに、何も乗らない顔になる。


その無言が、逆に見ていて苦しかった。


「——なるほど」


不意に、会長の声が落ちる。


いつから見ていたのかわからない。気づけば、少し離れた位置に立っていた。


誰も動けない。


会長は結城の手元の書類を一瞥し、それから、あまりにも穏やかな顔で言った。


「期待値が高すぎたかな」


「……」


結城の肩が、わずかに揺れる。


「優秀ではある。けれど——」


会長はそこで、少しだけ笑った。


「有能とは違うね」


静かだった。


怒鳴ったわけでもない。感情をぶつけたわけでもない。


それなのに、その一言が一番深く刺さったのが、見ていてわかった。


結城は、何も言わなかった。


ただ小さく視線を落とし、そのまま「……少し席外すね」とだけ呟いて立ち上がる。


誰も止めない。


止められない、という方が正しかった。

そして、結城はそのまま部屋を出ていった。


扉が閉まる。しばらく、誰も何も言わなかった。


真守の中に残ったのは、嫌な違和感だった。


仕事ができないことを責められるのはわかる。現場で使えないなら、指摘されるのも当然だ。


でも、今のは。


「……」


さすがに、見ていられなかった。


真守は立ち上がる。


「楽々浦君?」


会長が穏やかに呼ぶ。


「どこへ」


「……少し、様子を見てきます」


できるだけ平静に答える。


会長は一瞬だけ真守を見て、それから小さく微笑んだ。


「そうか。君は優しいね」


その言い方が妙に引っかかった。けれど、今はそれどころじゃない。


真守はそのまま扉を開け、生徒会室を後にした。


廊下は静かだった。


結城の姿を探す。


階段の方か、屋上か、あるいは使われていない空き教室か。頭の中で可能性を並べながら歩く。


そして、階段の踊り場でようやく見つけた。


結城は窓の近くに立ち、外を見ていた。

夕方にはまだ早い、白っぽい光が横顔に落ちている。


「……」


真守は少しだけ躊躇した。


ここで何を言えばいいのか、自分でもわからない。それでも、放ってはおけなかった。


「……結城」


声をかける。


結城はすぐには振り返らなかった。


数秒置いてから、ようやくこちらを見る。

その表情は、驚くほど静かだった。


さっきまでみたいな軽さもない。けれど、泣いているわけでも怒っているわけでもない。ただ、何かを全部内側に押し込めたみたいな顔をしている。


「……なに」


「いや……」


真守は言葉を探す。


「その……大丈夫か」


出てきたのは、あまりにもありきたりな一言だった。


結城は、ほんの少しだけ目を細める。


「大丈夫に見える?」


「……」


答えられない。


「見えないだろうね」


小さく笑う。


自嘲みたいな、力のない笑いだった。


「……」


真守は何も言えなかった。


結城は窓の外へ視線を戻す。


「うちさ、こういうの向いてないんだよね」


ぽつりと落とす。


「頭でわかっても、うまくできない。なのに、そういうのって一番許されないじゃん」


風が少しだけ吹き、長袖の袖口が揺れる。


「期待されるの、嫌いなんだよね」


その声は軽いようでいて、少しだけ掠れていた。


「できるって思われるほど、できなかった時に終わるから」


「……」


その言葉に、真守はさっきの会長の一言を思い出す。


"優秀"ではあるけれど、"有能"とは違う。


あれは、確かに人を折る言い方だった。


「……」


結城が少しだけ顔を傾ける。


「でもさ」


視線が真守に戻る。


「まも君は、追ってきてくれたじゃん」


「……」


「それだけで、ちょっとだけ救われた」


まっすぐな声だった。


作った感じがない。だからこそ、真守の胸の奥に引っかかる。


「……放っておけなかっただけだ」


正直に言う。


「仕事としても、中途半端だったし」


「ふふ」


結城が小さく笑う。

今度の笑いは、少しだけ本物に近かった。


「そういうとこ、やっぱ変わんないね」


「……またそれか」


真守は小さく眉をひそめる。


結城はそれ以上は言わない。ただ、「ごめん」とだけ小さく呟いた。


階段の踊り場に、静かな空気が落ちる。


完全にわかったわけじゃない。

信用したわけでもない。


それでも。


さっきまでよりは、少しだけ距離が変わった気がした。


結城はもう、ただの不気味な転校生ではなくなり始めていた。

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