95話 俺×余韻=まだ消えません。
祇園の背中が、夜の中に溶けていく光景が、頭から離れなかった。
あの時の表情。
最後に残した言葉。
"会わない方がいいかも"
その意味を、何度考えても理解できない。
拒絶されたわけじゃない。むしろ、拒絶したのは自分の方だ。それなのに、どうしてああなるのか。
「……」
ベッドに横になっても、目を閉じても、浮かんでくるのはあの公園の景色ばかりだった。
あの時、引き止めるべきだったのか。それとも、あれでよかったのか。
答えは出ない。
ただ、胸の奥に引っかかるものだけが、ずっと残っていた。
翌朝。
教室のドアを開けた瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
「……あ」
視線を軽く巡らせる。
そこに、あの赤い髪はなかった。
「……」
理由はわかっている。
副会長の仕事を覚えるために、生徒会室にいるのだろう。
「……」
それだけなのに、妙に安心している自分がいた。
席に座る。
久しぶりに感じる、教室の空気。
ざわざわとした雑談、窓から入る風、どこか気の抜けた雰囲気。ここ最近、まともにこの空間で過ごしていなかったことに気づく。
「……平和だな」
ぽつりと呟く。誰に聞かれるでもなく。
「お、珍しく教室いるじゃねぇか」
後ろから声が飛んできた。
振り返るまでもない。
「……神宮丸か」
「なんだよその反応」
いつもの調子で椅子を引いて座ってくる。
「最近ずっと生徒会だろ?どうしたんだよ」
「たまにはいいだろ」
「まあな」
軽い会話。
それだけなのに、妙に楽だった。
「……」
そのまま前を向くと。
視界の端に、銀色が映る。
「……白ヶ崎さん」
「……なに」
振り返らずに返事だけがくる。
けれど、その声はいつもより棘がない。
「今日は睨まないんだな」
「……」
一瞬、間が空く。
「……対象がいないから」
小さく呟く。
「怖ぇよ」
神宮丸が横からツッコむ。
「うるさい」
白ヶ崎が即座に返す。
「あんたには関係ないでしょ」
「いやあるだろ!?同じクラスだぞ!?」
「ない」
「即答かよ!」
いつものやり取り。少しだけ騒がしい。
でも、それが妙に心地よかった。
昼休み。
「飯行くか」
神宮丸が立ち上がる。
「行くか」
真守も立つ。
「……私も行く」
白ヶ崎も自然に続く。
三人で教室を出る。
結城がいないだけで、こんなにも空気が違うのかと思う。
「あんた、ほんと邪魔なんだけど」
歩きながら白ヶ崎が神宮丸に言う。
「なんでだよ!?」
「なんとなく」
「理不尽すぎるだろ!?」
「存在がうるさい」
「それ悪口だよな!?」
「褒めてない」
「わかってるよ!!」
くだらない会話が続く。
「……」
その中で、真守は少しだけ気を抜いていた。
笑うほどじゃない。でも、気持ちは軽い。
「……」
ふと、祇園の顔が浮かぶ。あの時の、少し寂しそうな笑顔。
「……」
思考が一瞬だけ止まる。
「おい楽々浦、どうした?」
神宮丸の声で現実に戻る。
「いや、なんでもない」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ」
軽く流す。
けれど、頭の片隅には残ったままだった。
放課後になった。教室を出て、生徒会室へ向かう。
廊下は静かで、昼間とはまるで別の場所みたいだった。
「……」
扉の前で一度立ち止まる。
軽く息を整えてから、ドアを開ける。
中は、いつも通りの空気だった。無駄な音はない。紙をめくる音と、ペンの音だけが響いている。
「……」
軽く一礼して中に入る。
副会長スペースへ向かう。そこには、葵と結城。そして、山のような書類。
「……」
何も言わず、席につく。
誰も、余計な言葉を発しない。
ただ、作業だけが進んでいく。
「……」
置いていかれないように。
そう思いながら、真守も手を動かす。
集中する。
余計なことを考えないように。
祇園のことも。
結城のことも。
全部、一旦置いて。
「……」
時間は、あっという間に過ぎていった。
気づけば、外は暗くなっている。
「今日はここまでだね」
葵の声で、作業が止まる。
「……はい」
短く返す。
片付けをして、生徒会室を出る。
モヤモヤした気持ちがあったが、あっという間に一日が終わった。
帰宅して、玄関のドアを開ける。
いつもの空気。
いつもの匂い。
「……」
靴を脱いで、ふと足が止まる。
視界の端に、ポストがあった。
「……」
なんとなく、手を伸ばす。
開ける。中に、紙が一枚。
「……」
嫌な予感がした。
指先が、わずかに止まる。それでも、取り出す。
折られた紙を開く。
「……っ」
一瞬で、背筋が冷える。
見覚えのある形式。
無機質な文字。
前回と、同じ。
脅迫状。
「……なんで」
声が漏れる。
心臓が、強く鳴る。
「まーくん?」
後ろから声がした。
振り返ると、真希那が立っていた。
「どうしたの?」
その視線が、手元の紙に向く。
「……それ」
「……」
真守は、何も言えなかった。
ただ、紙を握りしめる。
さっきまでの、少し軽かった心が一気に、沈んでいく。
「……また?」
真希那の声が、少しだけ震える。
「……」
答えられない。
ただ、わかっている。
これは——終わっていない。
むしろ。
また、始まったのかもしれない。
静かな玄関に、不安だけが広がっていった。




