表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺×恋=0になります。  作者: 光黒猫
第三章 俺×過去=探し出します。〜過去探索編〜
PR
91/224

90話 俺×再会=まだ思い出せません。

放課後終わりの校舎は、昼間とは違う静けさを持っていた。


部活へ向かう生徒たちの足音や、廊下の向こうで誰かが笑う声は聞こえるのに、それが妙に遠い。窓の外はもう夕方の色に染まり始めていて、教室の中に残っていた熱気も、ゆっくりと抜けていくところだった。


真守は鞄を肩にかけ、生徒会室の扉を閉める。今日は葵も同じタイミングで作業を切り上げたらしく、自然と二人で廊下を並んで歩く形になった。


「……楽々浦くん」


葵が、少しだけ様子を窺うように声をかけてくる。


「はい」


「今日は、ずっと顔色がよくなったと思ったんだけど」


そこで一度言葉を切る。いつもみたいに軽く流すこともできたはずなのに、葵はそうしなかった。


「やっぱり、無理してるよね」


夕方の廊下に、その声だけが静かに落ちる。


真守はすぐには答えなかった。誤魔化すこともできる。いつものように「大丈夫です」と言ってしまえば、それで一応の形にはなる。でも、今日はそれが妙にできなかった。


少しだけ歩幅を緩める。


窓の外を見る。校庭の端に長く伸びた影が見える。


「……転校生のことです」


ぽつりと、ようやく出た。


葵は驚いたような顔はしなかった。ただ、やっぱりというふうに、少しだけ目を細めた。


「結城さん?」


「はい」


短く頷く。


「なんか……うまく言えないんですけど」


言葉を探しながら、ゆっくりと歩く。急いで言えば、たぶん自分でも整理できなくなると思った。


「結城は、昔会ったことある人かもしれなくて」


その一言に、葵の足がわずかに止まりかけた。


「……昔?」


「小学校の頃のこと、ほとんど覚えてない時間があって」


真守はそのまま続ける。ここで止まったら、たぶんもう二度と言えない気がした。


「実家に帰ったとき、アルバム見たんです。そしたら……変なとこがいっぱいあって。途中だけ妙に写真が少なかったり、母さんに話を聞いたら、昔、事故にあってて、一部の記憶が曖昧になってるって」


「……」


葵は黙って聞いている。


その沈黙がありがたかった。下手に相槌を打たれるより、ずっと話しやすい。


「で、そこからちょっとずつ変なんです。昔のことを思い出そうとすると、頭の奥が痛くなるっていうか……呼吸が浅くなる感じがして。体が、自分のものじゃなくなるみたいで」


言いながら、胸の奥が少しだけ重くなる。あの感覚を思い出したせいだろう。


「だから避けてるんです。あっちが悪いとかじゃなくて、たぶん、俺が勝手に怖がってるだけで」


そこまで言ってから、真守は少しだけ自嘲気味に笑った。


「……情けないですよね」


葵は首を横に振った。


「情けなくないよ」


即答だった。


「怖いものを怖いって思うのは、普通だよ」


その言い方があまりにも自然で、真守は少しだけ目を伏せる。


「でも」


葵が続ける。


「昔会ったことがあるかもしれないなら、なおさら……なんでそんなに避けるのかなって、少し思ったりしたんだけど」


責めるような口調じゃない。本当に疑問として、静かに問われているのがわかる。


真守は少しだけ苦く笑う。


「思い出したい気持ちは、あります」


それは本当だった。気にならないはずがない。


「でも、思い出そうとしたときに、自分が自分じゃなくなる感じがするのは……普通に怖いです。何が出てくるかわからないし、それで周りに迷惑かけるのも嫌だし」


言葉にしてしまうと、案外単純だった。


怖いから避ける。ただ、それだけだ。


「……そっか」


葵は小さく頷く。


その表情には、納得と心配が半分ずつ混ざっている。


「じゃあ、無理に思い出さなくていい」


「……」


「って言いたいけど」


少しだけ困ったように笑う。


「会長が絡んでる以上、そうもいかなそうなのが嫌だよね」


「はい」


それには、真守も苦笑するしかなかった。


階段を下り、昇降口へ向かう。会話が途切れても気まずくないのは、たぶん葵が必要以上に踏み込まないからだろう。言わないことを責めないでいてくれる。その距離感が、今の真守にはちょうどよかった。


そして、校門を出た、そのときだった。


「やっと出てきた」


夕方の光の中に、聞き慣れた声が差し込む。


真守の体が、反射的に強張った。


視線の先。校門の脇、外灯のそばに結城が立っていた。壁にもたれかかるでもなく、ただ自然にそこにいるのが、逆に落ち着かない。


結城は二人を見つけると、ぱっと表情を明るくした。


「まも君、今日も一緒に帰ろ!」


「……」


その呼び方に、真守の肩がわずかに揺れる。


結城が一歩近づこうとした、その前に——


「待って」


葵がすっと前に出た。


ほんの半歩だけ。それでも、はっきりと真守を庇う位置だった。


「……葵先輩」


真守が小さく呼ぶ。


「大丈夫」


葵は短くそう言って、それから結城を見た。


「少し話があるの」


結城はきょとんとした顔をする。


「うちに?」


「うん」


葵は一瞬だけ真守を見て、それから仕事の顔に戻った。


「生徒会のこと。会長から、声をかけておいてって言われてる」


「……」


真守は思わず葵を見る。


ここで言うのか。いや、タイミングとしては間違っていない。むしろ今しかないのかもしれない。そうわかっているのに、胸の奥がざわつく。


葵も少し慌てていた。準備していた言葉を並べようとしているのがわかる。


「その、結城さん、成績もいいし——」


「入る」


「……え?」


葵が止まる。


真守も止まる。


結城はあまりにもあっさりと言った。


「別にいいよ。生徒会、面白そうだし」


「……」


拍子抜けするほど簡単だった。


葵は目を丸くしたあと、「あ、ほんと?」と小さく聞き返す。結城は笑って頷く。


「うん。まも君もいるんでしょ?」


その一言に、また空気が変わった。


真守は無意識に息を止める。


結城はそれに気づいた様子もなく、少しだけ首を傾げた。


「そういえばさ、まも君」


嫌な予感がした。


「昔、一緒に遊んだ公園って、まだある?」


「……っ」


その瞬間、世界の色が変わった。


夕方の空気が、一気に遠のく。音が薄くなる。視界の端が白くなる。


——公園。


——夕焼け。


——ベンチ。


——誰かの声。


喉が勝手に締まった。


「は……」


息を吸えない。


胸の奥を鷲掴みにされたみたいに痛い。頭の中で何かが無理やり動き出し、開いてはいけない扉をこじ開けようとする。


「楽々浦くん!?」


葵の声が近いのに遠い。


膝に力が入らなくなる。足元が揺れる。視界の中で結城の赤い髪だけが妙に鮮やかに見えた。


「……まも君?」


結城が近づこうとする。


「来ないで!」


葵の声が鋭く響いた。


今まで聞いたことのないくらい、切迫した声だった。


「これ以上近づかないで!」


結城の足が止まる。


その間にも、真守の呼吸はどんどん浅くなっていく。吸っているつもりなのに、空気が肺に入ってこない。指先が冷たい。耳の奥で脈が鳴る。


——まも君。


——ねぇ、あっち行こ。


——だいじょうぶだよ。


声が重なる。知らないはずの景色が、断片だけで押し寄せてくる。


「……っ、ぁ……」


うまく立っていられない。


葵が慌てて腕を掴む。


「楽々浦くん、こっち見て。大丈夫、大丈夫だから」


声が震えているのに、必死に落ち着かせようとしてくれているのがわかる。


「息、ゆっくり。ほら、吸って」


でも、できない。


怖い。


思い出したくないのに、勝手に出てくる。体の奥から、何かが這い上がってくる感覚だけが止まらない。


「……」


結城は動かなかった。


葵に睨まれたまま、ただそこに立っている。さっきまでの軽い表情は消えていた。驚きと、わずかな戸惑いと、言葉にできない何かが混ざった顔。


でも、その表情を見ている余裕はなかった。


視界がぐらりと揺れる。


「楽々浦くん!」


葵の声が、今度は本当に遠くなった。


そのまま、意識が途切れた。


――――――


次に目を開けたとき、最初に見えたのは白い天井だった。


「……」


ぼんやりする。


どこだ、と思ってから、鼻に入る消毒液の匂いでなんとなく理解した。


保健室だ。


体は重い。頭も少し痛い。でも、さっきみたいな息苦しさはなかった。


「……」


少しだけ視線を動かす。


その瞬間、ぐっと指先に力が入った。


誰かが手を握っている。


「……あ」


葵だった。


ベッドの横の椅子に座って、真守の手を両手で包むように握っている。顔を伏せていたのか、真守が動いた気配で慌てて顔を上げた。


目が赤い。


「……楽々浦くん」


その声は、かすれていた。


「よかった……」


本当に安堵したように、肩の力が抜けるのがわかった。


「……すみません」


思わずそう言うと、葵は首を横に振る。


「謝らないで」


その一言のあと、葵の表情が崩れた。


「急に倒れるから……ほんとに、もう……」


泣きそうな声になる。


そして次の瞬間、椅子から身を乗り出して、そのまま真守に抱きついた。


「……っ」


不意打ちだった。


柔らかい感触と、細い腕の力が一気にのしかかる。


「よかった……ほんとによかった……」


肩口で、葵の声が震える。


「……葵先輩」


「うん……」


「その、安心してくれるのはありがたいんですけど」


「……うん」


「今はあんまり激しく揺らさないでもらえると助かります」


「……え?」


一拍遅れて、自分がかなりの勢いで抱きついていることに気づいたらしい。


葵はびくっとして、慌てて離れた。


「ご、ごめん!」


「いえ」


真守は苦笑する。


「苦しいのは、さっきので十分です」


「……っ」


葵が一瞬だけ呆けたあと、泣き笑いみたいな顔になる。


「そういう冗談言えるなら、ほんとに大丈夫そうだね」


「まだ頭は重いですけど」


「それはそうだよ……」


少しだけ空気が柔らかくなる。


保健室の中は静かだった。カーテンの向こうにも人の気配はない。たぶん今は二人きりだ。


「……」


少しだけ間が空く。


葵は握っていた真守の手を見て、そっと力を緩めた。でも完全には離さない。


「さっきの」


静かに聞いてくる。


「公園って聞いたとき、急に……」


「……はい」


真守は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。


「たぶん、そういうことなんだと思います」


「そういうこと?」


「実家に帰ったとき、アルバム見たって話、したじゃないですか」


葵は小さく頷く。


「そのとき母さんに聞いたら、俺、公園で事故にあってるらしくて」


「……」


「それで、一部の記憶が抜けてるって」


口に出しながら、自分でも整理するような感覚になる。


「思い出そうとすると、こうなるんです。頭の奥が痛くなって、息ができなくなって……体が言うこときかなくなる感じで」


「……ずっと?」


「たぶん、ここ最近です。昔のことをちゃんと意識し始めてから」


葵は黙って聞いていた。


途中で遮らない。その沈黙がありがたい。


「だから、結城が何か知ってるみたいに話すと……怖いんです」


本音だった。


「知りたい気持ちもあるのに、触れた瞬間にこうなるのがわかってるから」


「……」


葵は真守の手をそっと握り直す。


「じゃあ、無理しなくていい」


その言葉は、はっきりしていた。


「思い出すのは大事かもしれないけど、壊れそうになってまで急ぐことじゃない」


「……」


「少なくとも、私はそう思う」


その声は優しかったけれど、優しいだけじゃなかった。真守の味だという意志が、ちゃんと感じられる声だった。


「……ありがとうございます」


小さく言う。


葵は少しだけ笑う。


「でも」


「……はい」


「次からは、倒れる前に言って」


真っ直ぐ見られる。


「今日、ほんとに怖かったから」


「……」


その言葉に、何も返せなくなる。


自分が苦しかった以上に、相手にそんな顔をさせたことの方が、じわじわと胸に刺さった。


「……気をつけます」


「うん」


葵が頷く。


それから少しだけ表情を和らげて、


「あと、結城さんにはしばらく私から近づかせない」


と、妙にきっぱり言った。


「……それは」


「譲らない」


即答だった。


「今日のあれ見たら、さすがに」


真守は少しだけ苦笑する。


「……怖かったですか」


「すごく」


葵はあっさり認めた。


「楽々浦くんが倒れるのも怖かったし、あの子が何考えてるかわからないのも怖い」


「……」


「でも、今は」


そこで少しだけ声が柔らかくなる。


「こうして起きてくれたから、それでいい」


保健室の窓の外は、もうかなり暗くなっていた。


さっきまでの緊迫感が嘘みたいに、時間がゆっくり流れている。


「……葵先輩」


「ん?」


「今日は、その……ありがとうございました」


葵は少しだけ目を丸くして、それから照れくさそうに笑った。


「うん。ちゃんと感謝された」


「いつもしてます」


「今日はちょっと特別」


そう言って、また少しだけ手に力を込める。


真守はその温度を感じながら、ようやく自分の呼吸が本当に落ち着いてきたことを知った。


昔のことは、まだ思い出せない。


空白の時間も、事故のことも、全部が曖昧なままだ。


でも。


今、この場所で自分の手を握ってくれている温度だけは、はっきりとしていた。


それが少しだけ、心を落ち着かせてくれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ