83話 俺×避難所=逃げ込んでしまいます。
転校生が来てから、数日が経った。
「……」
落ち着かない。
教室にいるだけで、妙に神経が削られる。その、理由はもう言うまでもない。
「まも君」
「……」
視線を感じる。
毎日だ。授業中も、休み時間も、何気ない瞬間にふと顔を上げると——結城と目が合う。
しかもそれが一度や二度じゃない。
「今日は一緒に帰ろ?」
「……無理です」
何度目かもわからないやり取りを、淡々と返す。
それでも結城は気にした様子もなく「そっか」と笑うだけで、翌日にはまた同じことを繰り返してくる。
正直、うんざりしていた。
そしてもう一つ。
「……」
前の席。
白ヶ崎。
振り返ることはないのに、わかる。
空気でわかる。
明らかに機嫌が悪い。というより——睨まれている。日に日に鋭くなっているのが、普通に怖い。
「……」
息を吐く。
無理だ。今日はもう、無理。
そう判断した瞬間、真守は静かに立ち上がった。そして、教室を出る。
誰にも何も言わずに。
本来なら、授業の途中で抜けるなんてありえない。
けれど——
「……」
生徒会には、特権がある。
役職持ちは、業務を理由に授業を抜けることが認められている。
形式上は“学校運営の補助”という扱いで、成績にも影響は出ない。
最初は、その制度が少し嫌だった。
ズルをしているような気がして、居心地が悪かったからだ。
けれど今は——
(……助かってるな)
そう思ってしまう自分がいる。
廊下を歩く。向かう先は決まっていた。
生徒会室。
本来なら、できれば行きたくない場所だったはずなのに。
「……」
ドアの前に立つと、不思議と少しだけ安心する自分がいる。
ノックをして、扉を開ける。
「失礼します」
中に入ると、静かな空気が広がっていた。
紙の擦れる音、ペンの音。
無駄な会話はなく、それぞれが自分の作業に集中している。
その空気に触れた瞬間、張り詰めていた何かが少しだけ緩む。
教室にいるより、ずっと楽だと感じてしまう。
(……完全に避難してるな)
自嘲気味に思うが、それでも足はここに向いてしまう。
「楽々浦くん」
声がかかる。
葵だ。
「来たんだ」
「はい」
短く返す。
いつも通りの距離感。変わらない調子。
それだけで、妙に落ち着く。
「……」
ふと、思う。この人、授業どうしてるんだろうと。
いつ来てもいる気がする。けど、そんなことを聞く余裕はなかった。
席に座ろうとした、そのとき。
「楽々浦君」
空気が変わり、一瞬で視線が集まる。
会長だった。
「少しいいかな」
「……はい」
目の前に立たれる。
柔らかい笑顔。なのに、逃げ場がない。
「最近、転校生が来たそうだね」
「……はい」
わかっている話だった。
それでも、あえて触れてくる。
「どうだい、クラスの様子は」
「……普通です」
できるだけ感情を乗せずに答える。
正直、あまり関わりたくない話題だった。
流したい。けれど。
「その子をね、生徒会にスカウトしてほしい」
「……は?」
思わず声が漏れる。
周囲の空気がわずかに揺れる。
「転校してきたばかりでね。環境にも慣れていないだろうし、うちとしても優秀な人材は歓迎したい」
「……」
嫌な予感しかしない。
「どうかな」
柔らかく聞かれる。そして逃げ場は、ない。
「……俺は」
断ろうとする。
だが。
「楽々浦君」
名前を呼ばれるだけで、言葉が止まる。
いつものことだった。
「この学校に転校してくるというのはね、そう簡単なことではないんだ」
淡々と続く。
「転入試験も厳しい。実際——黒ヶ峰君を上回る成績だったそうだよ」
「……」
その一言に、空気がわずかに変わる。
黒ヶ峰。
その名前に、本人が反応する。
ちらりと視線を上げると、ほんの一瞬だけ——睨んでいた。
すぐに元の表情に戻るが、確かにそこに感情があった。
「……」
違和感が残る。
それでも会長は気にした様子もなく続ける。
「優秀だろう?だからこそ、こちらとしても声をかけておきたい」
「……なんでB組なんですか」
気づけば、口に出ていた。
「A組じゃなくて」
一瞬の間。
会長は変わらず微笑んだまま答える。
「空きがなくてね」
それだけだった。
あまりにも、あっさりと。
「……」
脳裏に浮かぶ。
上高の件。
いじめ。
自殺。
そして——退学した生徒、三人。
(……その席か)
何もなかったように話すその姿に、胸の奥がわずかにざわつく。
けれど、何も言えない。言っても意味がないと、どこかでわかってしまっている。
「……やっぱり俺は」
もう一度、断ろうとする。
だが。
「夢百合君と一緒ならどうかな」
会長が、さらりと言った。
葵へ視線が動く。
「問題ないよね?」
「はい」
迷いなく頷く。
「私も気になってましたし」
その一言で、完全に逃げ道が塞がれた。
「……」
息を吐く。
もう断れない。
「……わかりました」
受け入れるしかなかった。
「ありがとう、楽々浦君」
会長は満足そうに微笑むと、そのまま何事もなかったかのように離れていく。
音が戻る。
空気も元に戻る。
けれど——
「……」
真守の中だけが、重く沈んだままだった。
しばらくして、作業の合間。
「ね、楽々浦くん」
葵が声をかけてくる。
「さっき、なんであんなに嫌そうだったの?」
「……」
言葉が出ない。説明できる気がしなかった。
というより——したくなかった。
「別に」
短く返す。
「……そう?」
葵が少しだけ首を傾げる。
それで終わるかと思ったが——
「でも」
少しだけ声のトーンが変わる。
「なんか、いつもと違う」
「……」
「無理してない?」
視線がまっすぐ向けられる。
逃げ場がないほど、真っ直ぐに。
「……大丈夫です」
反射的に答える。
けれど。
「大丈夫じゃなさそう」
すぐに返される。
「顔、疲れてるよ」
「……」
言葉が詰まる。図星だった。
「……何かあるなら、言って」
少しだけ、柔らかくなる声。
「私、楽々浦くんのこと放っておけないから」
「……」
その言葉に、一瞬だけ何かが揺れる。
けれど。
「……ほんとに、なんでもないです」
結局、それしか言えなかった。
「……そっか」
小さく頷く葵。
それ以上は追及しなかった。
でも。
「……」
完全に納得していないことだけは、はっきりとわかった。
静かな空間の中で。真守はただ、手元の書類に視線を落とす。
増えていくのは、仕事じゃない。言葉にできない違和感と、押し込めた何かだった。




