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俺×恋=0になります。  作者: 光黒猫
第三章 俺×過去=探し出します。〜過去探索編〜
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80話 俺×隣の席=心臓がうるさいです。

ホームルームが始まる前から、教室の空気はどこか落ち着かなかった。


理由は、わかっている。


「結城さん、あそこの席ね」


担任が、柔らかくそう言って指した先。


——真守の隣。


「……」


一瞬、時間が止まったような感覚が走る。


けれど、誰もそれを言葉にはしない。教室には小さなざわめきが広がっているのに、その中心だけがぽっかりと空いているような、そんな違和感があった。


その席に関する“何か”を、みんなが共有しているのに、誰も触れようとしない。


(……上高)


頭の中で名前が浮かぶ。


だが、それ以上は思考を進めないように、無意識に止めていた。


触れた瞬間、空気が壊れる気がした。


そんな、どこか歪んだ静けさの中で、結城はまったく気にした様子もなく歩いてくる。足音は小さいのに、やけに耳に残る。


そのまま隣に来て、椅子を引く。


「……よろしく」


自然な声だった。


「……あ、はい」


反射的に返す。


それ以上は続かない。


結城は無駄のない動きで座り、そのまま何事もなかったかのように前を向く——かと思えば、ふと横から視線が刺さる。


「……」


見られている。


ずっと。


(……なんでだよ)


強いわけじゃない。けれど外れない。意識を向けると、そこに確実にあるとわかる視線だった。


落ち着かない。


前を向く。


見ないようにする。

それでも、わかる。見られている。


そのとき、不意に別の気配が混じる。


左前からの圧。


白ヶ崎だ。


顔は前を向いたままなのに、空気だけで伝わってくる。明らかに機嫌が悪い。


(……いやなんでだよ)


結城の視線と、白ヶ崎の圧に挟まれている。


逃げ場がない。


そのままホームルームが始まるが、担任の声は遠く感じられ、内容はほとんど頭に入ってこなかった。時間だけが流れていく。


やがて。


「はい、じゃあ今日はここまでね」


その一言で区切られる。

空気が少しだけ緩む。


続けて、担任が軽く周囲を見渡す。


「結城さん、まだ校内わからないでしょ?誰か案内してあげてくれる?」


自然な流れだった。けれど、誰もすぐには動かない。


一瞬の間。その空白を埋めるように。


「じゃあ」


結城が、静かに手を上げた。


視線が集まる。


「まも君——」


ほんの一瞬だけ言い直す。


「……楽々浦君にお願いしたいです」


「……え?」


ざわめきが広がる。


今度は、はっきりと。


「え、知り合い?」

「もう仲良いの?」


担任も少し驚いたように笑う。


「あら、もうそんなに仲良くなったの?」


「いえ、違います!」


反射的に否定する。


けれど、その言葉は自分の耳にも軽く聞こえた。


(……まも君)


その呼び方が、頭の中に残る。


どこかで聞いたことがある。思い出そうとしたわけじゃないのに、自然と浮かんでくる。

夕焼けに染まった景色と、そこで誰かが自分を呼ぶ声。


その記憶の輪郭は曖昧で、はっきりとは掴めないのに、妙に現実味だけが残る。


(……なんで)


結城という名前。


ゆうき。


ゆーちゃん。


無理やり繋げようとしているのはわかっているのに、思考が勝手にそこへ向かっていく。


(……違う、だろ)


否定する。けれど、完全には振り切れない。


その間にも、白ヶ崎の視線は変わらず刺さっていたが、今はそれすら遠く感じていた。


「……案内、します」


我に返り、短く言う。


「ありがとう」


結城は迷いなく返した。


そのまま二人で教室を出る。


廊下に出た瞬間、空気が一変する。静けさが広がり、さっきまでのざわめきが嘘のように消える。


並んで歩く。会話はない。


距離は普通のはずなのに、なぜか妙に近く感じる。

意識してしまう。


(なんなんだよ……)


そのとき。


「ねえ」


結城が、少しだけ距離を詰める。


「さっきの」


「……はい」


「馴れ馴れしく呼んで、ごめんね」


その声は、さっきよりも柔らかかった。


「……いえ」


一拍置く。


「ただ、名前を噛んだだけですよね」


自分に言い聞かせるように言う。


「……そっか」


それ以上は踏み込んでこない。


そのまま案内を続ける。


校舎、体育館、中庭。


一通り回る頃には、少しだけ会話も増えていたが、核心には触れないままだった。


そして人通りの少ない廊下で、足を止める。


「ここで大体終わりです」


「ありがとう」


結城の声が、やけに近く感じた。


「……いえ」


短く返す。

それでも、その場から動けない。空気が終わらない。むしろ、さっきよりも濃くなっている。


「ねえ」


結城が一歩、前に出る。


距離が詰まり、逃げ場がなくなる。


「これからさ」


少しだけ間を置いて。


「まも君って呼んでいい?」


その言葉が落ちた瞬間、胸の奥がざわつく。


呼吸が浅くなる。

記憶が、勝手に浮かび上がる。

夕焼けの中で、自分の名前を呼ぶ声。


その声に向かって振り返ったときの感覚だけが、妙に鮮明に残っている。


(……まただ)


止めようとしても止まらない。


「……好きにしてください」


気づけば、そう答えていた。

拒否する余裕はなかった。


結城が小さく笑う。


その笑い方に、わずかな既視感を覚える。思い出せないのに、知っている気がする。


そして。


さらに距離が詰まる。


「じゃあさ」


少しだけ首を傾ける。


「うちのこと、“ゆーちゃん”って呼んでくれたら嬉しいな」


その一言で、世界が一瞬揺れた。

心臓が強く鳴る。

耳の奥で音が反響する。


ゆーちゃん。


その呼び名が、ただの言葉じゃなくなる。


頭の奥に沈んでいた何かを、無理やり引き上げるような感覚。


断片的な景色が、繋がりかけては崩れる。

誰かが隣で笑っていた気がする。小さな手が、すぐそばにあった気がする。


(……誰だ)


思い出せない。


でも、確実に“いた”。


「……呼んでくれないの?」


結城の声で、現実に戻る。

喉が詰まる。それでも。


「……ゆーちゃん」


ようやく、声に出す。


その瞬間。


結城の表情が、ほんの一瞬だけ変わった。

余裕のある笑顔ではなく、どこか安心したような、懐かしむような表情。


けれど、それもすぐに消える。


「うん」


軽く頷く。


「ありがと、まも君」


その呼び方が、今度はさっきよりも深く胸に残る。


違和感ではなく、もっと奥に引っかかる感覚。

思い出しかけているのに、届かない。


「じゃ、戻ろっか」


結城が先に歩き出す。何事もなかったように。

けれど。


「……」


その背中を見ながら、はっきりと思う。


(……何者なんだよ)


ただの転校生じゃない。

それだけは、確実だった。


胸のざわつきが消えないまま、真守はその後を追った。

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