58話 俺×日曜日=守りたい時間です。
柔らかい光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
「……ん」
ゆっくりと目を開ける。
(……近い)
違和感に気づく。
視線を横に向ける。
「……」
すぐ隣に、葵が眠っていた。
距離が近い。腕が触れそうなほど。
(……なんで)
状況が追いつかない。
けれど——
その疑問より先に、目が止まる。
静かな寝顔。
いつもは編み込みとアップバングで整えられた髪が、今はすべて下ろされている。
前髪が柔らかく額にかかり、表情を穏やかにしていた。
鋭さは消え、ただ——
綺麗だった。
「……」
無意識に見つめてしまう。
呼吸のリズムが、ゆっくりと伝わる。
こんなに近いのに、触れてはいない距離。それが妙に意識される。
「……ん」
まぶたが、わずかに動く。
「っ」
真守は慌てて視線を逸らした。
「……楽々浦くん?」
「……っ、おはようございます」
「……おはよう」
葵は少し眠そうに笑う。そして、ふっと距離に気づく。
「……近いね」
「……ですね」
少しだけ距離を取る。
けれど、その空気はどこか残ったままだった。
昨日の騒ぎは全くなかったかのように、昼になった。
事件は何も起きない。それが逆に、落ち着かない。
「……そろそろ呼ぶ?」
真希那がソファで寝転びながら言う。
「赤坂先輩、だよね」
「うん。唯ちゃんいた方が安心でしょ」
「……賛成」
奏が即答する。
「戦力は多い方がいい」
「……うん」
葵も頷いた。
真守は一度だけ息を吐いてから、スマホを手に取る。
「……呼びます」
赤坂を読んでから数時間。適当に時間を潰し、気づけば夕方になっていた。そのとき。
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
「来た」
真守がモニターを見る。そこには、赤坂の姿。
「入ります!」
元気な声。
ドアが開く。
「真守、話って何——」
部屋に入ってきた瞬間。
「……え?」
動きが止まる。
視線が、室内を一周する。
真希那。
葵。
奏。
そして真守。
「……え?」
もう一度。
「え、ちょっと待って」
混乱している。
「なんで女の子増えてるの?」
「いや、その」
「しかも葵ちゃんと奏ちゃんが!めっちゃ、可愛いんだけど!?」
「そこ今言うんですか」
「いやだって学校一の美人姉妹じゃん!?」
完全に動揺していた。
「……説明します」
真守が簡単に状況を話す。葵が狙われていること。その護衛として集まっていること。
「……なるほどね」
赤坂は腕を組む。
「……そっか」
一瞬だけ、表情が引き締まる。
「大丈夫。守るから」
その一言は、軽いのに重かった。
「……ありがとう」
葵も、少しだけ安心したように見えた。
その横で。
「……この人、強い」
奏が小さく呟く。
観察している。
「まあね〜」
真希那が笑う。
「唯ちゃん、男みたいに強いし」
「ちょっと、言い方」
赤坂が軽くツッコむ。
空気が、少しだけ柔らかくなる。
けれど——
その奥に、緊張は残ったままだった。
そして夜になり、部屋も静かになる頃。
「コンビニ行ってくる」
真守が立ち上がる。
「は?」
即座に真希那が反応する。
「この時間に?」
「朝ごはんないし」
「いやいや、普通に明日でよくない?」
「明日の朝困るだろ」
「知らないよそんなの」
「ひど」
軽く言い返す。
「てか一人で行くの?」
「行くだろ普通」
「普通じゃないでしょ今の状況」
少しだけ間。
「……狙われてるの葵先輩だし」
「それでもだって」
すぐ返ってくる。
「まー君、そういうとこ無防備なんだから」
「無防備じゃないって」
「いや無防備だよ」
即答だった。
「絶対なんかに巻き込まれるタイプじゃん」
「否定できないのが嫌だな」
小さくため息。
「……じゃあ私も行く」
「いや来なくていい」
「なんで?」
「真希ねぇが出たら意味ないだろ」
「どういう意味?」
「そっちも狙われてる側って意味」
「……」
少しだけ考える。
「……まあ、それはそうか」
納得はしたらしい。
でも——
「じゃあさ」
少し身を乗り出す。
「5分以内に帰ってきて」
「無理だろ」
「10分」
「いや普通にかかる」
「15分」
「交渉してくるな」
「じゃあ20分」
「最初からそれでいいだろ」
「決まりね」
勝手に決定する。
「連絡ちゃんと見なよ」
「はいはい」
「あと変なことあったらすぐ逃げる」
「はいはい」
「あと——」
「多いって」
少し笑いながら止める。
「……大丈夫だって」
そう言うと、真希那は一瞬だけ黙った。
「……ほんとに?」
少しだけ、声が落ちる。
「うん」
短く返す。
「……そっか」
それ以上は何も言わなかった。
「じゃ、行ってくる」
「……いってらっしゃい」
いつもの軽さに戻った声。
けれど——
その目だけは、ちゃんと心配していた。
夜の街。人通りは少ない。コンビニで必要なものを買い、袋を持って帰る。
静かだった。
(……平和だな)
そう思った、そのとき。
公園の前を通る。
「……あ」
ベンチに、見覚えのある人影。
「祇園先輩?」
「……楽々浦くん」
顔を上げる。
少しだけ驚いたような表情。
「こんな時間にどうしたの?」
「買い出しです」
袋を軽く持ち上げる。
「そっか」
小さく笑う。その笑顔は、前より少し柔らかかった。
「祇園先輩こそ」
「……ちょっと、考え事」
視線が少しだけ下がる。
「……無理してませんか」
真守が静かに言う。
「最近、色々あったし」
「……」
祇園は少しだけ黙る。
「……大丈夫」
そう言うけど、少しだけ揺れている。
「……無理しないでくださいね」
優しく言う。
「何かあったら、頼ってください」
「……」
その言葉に、祇園の表情が少し崩れる。
「……楽々浦くんって、優しいね」
「普通ですよ」
「普通じゃないよ」
少しだけ、距離が近くなる。
「……ありがとう」
ぽつりと呟く。その声は、前よりも温かかった。
「……じゃあ、また」
真守が軽く手を振る。
「うん。またね」
祇園も、小さく振り返した。
距離は、確実に近づいていた。
そして、部屋に戻る。
静かだった。
リビングの電気は落ちている。
「……」
そっと中に入ると、それぞれの部屋の扉が閉まっていた。
静かな寝息だけが、かすかに聞こえる。
「……」
少しだけ安心する。
今日はちゃんと、それぞれがベッドや布団で寝ている。昨日のようなカオスはない。
当たり前の光景。それが、妙に大事に思えた。
「……」
真守は小さく息を吐く。
この時間を、守りたい。
その想いだけが、静かに残る。
明日は——
きっと、動く。
その予感を胸に。
静かな夜が、ゆっくりと過ぎていった。




