56話 俺×お泊まり会=どうしてこうなったんですか。
放課後の空気は、少しだけ重かった。
夕焼けに染まる廊下を歩きながら、真守は隣の葵をちらりと見る。
「……大丈夫ですか?」
「うん……ちょっと怖いけど、大丈夫」
葵は小さく笑う。
その笑みは、やっぱり少しだけ硬かった。
「だから、その……」
少し迷ってから。
「事件が起こるまで、楽々浦くんの近くにいたい」
「……はい」
真守は一度目を閉じる。
(奏先輩だよな……)
避けては通れない相手。
「……とりあえず、話してみます」
「うん」
教室の扉を開ける。
「入れ」
奏は窓際に立っていた。
「……なんだ、お前か」
「はい」
以前ほどの棘はない。
でも、油断できる空気でもない。
「葵も一緒か。どうした」
葵が一歩前に出る。
「お姉ちゃん、お願いがあって」
「……なんだ」
「しばらく、楽々浦くんの近くにいたいの」
「……は?」
空気が止まる。
「その、危険があるかもしれなくて——」
真守が補足する。
「神楽坂先輩が、三日以内に葵先輩が狙われる可能性が高いって」
「……」
奏の目が一瞬だけ鋭くなる。
「だから、事件が起こるまで一緒にいたいって話で」
「……なるほどな」
短く返す。
そして——
「なら、私も行く」
「……は?」
真守の口から、素で声が漏れる。
「一人で行かせるわけないでしょ」
「いや、それは」
「危険があるってわかってるなら尚更だ」
正論で押される。
「……放課後だけとか」
「甘い」
即切り。
「夜もある」
「……」
「だから、泊まる」
「…………は?」
理解が追いつかない。
葵も、完全に固まっている。
「泊まる、って……?」
「そのままの意味よ」
奏は平然としていた。
「お前のところに行く」
「いやいやいや」
真守は頭を押さえる。
「なんでそうなるんですか」
「安全確保のため」
「いやそれはそうなんですけど!」
「なら問題ない」
「問題しかないです!」
「何がだ」
「全部です!」
沈黙。
誰も引かない。思考が停止する。
どうしてこうなった。
そのまま——
場面は飛ぶ。
⸻
真守の部屋。
「……」
「……」
「……」
沈黙。
真守は、リビングの真ん中で立ち尽くしていた。
(なんでこうなった)
その答えは誰もくれない。
入口の方で、真希那が腕を組んで立っていた。
「……で?」
第一声は、それだった。
ゆっくりと視線が動く。
葵。
奏。
そして真守。
「説明して、まー君」
声は穏やか。でも、温度が低い。
(……機嫌悪い)
真守はすぐに察した。
「いや、その……」
「うん」
「葵先輩が狙われるかもしれなくて」
「うん」
「奏先輩も来ることになって」
「うん」
「泊まることに」
「へぇ」
にっこり笑う。
全然安心できない笑顔だった。
「女の子二人連れ込んだんだ?」
「違ぇよ!!」
即否定。
「言い方!!」
「結果的にはそうじゃん」
「違うって!!」
そのやり取りを横目に、真希那はゆっくり葵を見る。
「こんばんは」
「こんばんは……」
葵は少しだけ緊張した様子で返す。
次に、奏へ。
「で?」
「葵の姉だ」
短い返答。
「ふーん」
真希那の目が細くなる。
「随分ちゃんとしてるね。妹のためにここまで来るとか」
「当然でしょ」
奏は迷いなく言う。
「葵を守るのが私の役目だ」
「……へぇ」
その一言で、空気が少し変わる。
「過保護なんだね」
「お前に言われたくない」
即返し。
「は?」
「そっちも大概だろ」
「……」
「……」
一瞬、火花が散る。
その横で——
真希那は当たり前のように真守の隣にくる。
距離が近い。完全にくっついている。
「ちょ、真希ねぇ」
「なに?」
「近いって」
「いつも通りでしょ」
腕に軽く寄りかかる。
「今それやめろって!」
「なんで?」
「状況!!」
「私は気にしてないけど?」
その瞬間。
「……」
葵の視線が、ほんの少しだけ動いた。
自然すぎる距離。当たり前のように触れる距離。
(……近い)
胸の奥が、少しだけざらつく。
(なんで、あんなに……)
言葉にはしない。
ただ、少しだけ目を逸らす。
「……なるほどな」
奏がぽつりと呟く。
「お前も面倒なの抱えてるな」
「誰が面倒だって?」
真希那が反応する。
「事実だろ」
「そっちもでしょ」
すぐに返す。
「妹のために泊まりとか、相当だよ」
「当然だ」
「うわ、即答」
「何が悪い」
「別に悪いとは言ってないけど——」
「お前も同じだろ」
「……まあね」
一瞬の沈黙。
「……あんたシスコンか」
「お前はブラコンだろ」
「否定しない」
「私も否定しない」
また沈黙。
そして——
「……まあ、わかる」
「……まあな」
意気投合した。
「えっ」
真守が思わず声を出す。
「なんでそうなるんだよ」
「まー君は黙ってて」
「お前は黙ってろ」
「なんで俺!?」
理不尽だった。
「とりあえず」
奏が話を締める。
「今日はここに泊まる」
「部屋あるし問題ないでしょ」
真希那がさらっと言う。
「……あるけどさ」
否定できない。
無駄に広いこの部屋には、余ってる部屋がいくつもある。
「じゃあ決まり」
「決まりじゃねぇ!」
誰も止まらない。
葵はまだ不安そうにしながらも、ほんの少しだけ安心したように見えた。
真希那と奏は、なぜか気が合い始めている。
そして真守だけが——
完全に置いていかれていた。
夜が、ゆっくりと近づいてくる。
事件の予感は、確かにある。
けれど今この空間にあるのは——
それとは別の意味で、異常な空気だった。
真守は深く息を吐く。
そして、心の底から思う。
どうしてこうなったんだ。




