55話 俺×迫る予兆=静かすぎるのが一番怖いです。
放課後の廊下。
人の気配はほとんどなく、窓から差し込む夕陽だけが床を赤く染めていた。
静かすぎる空間。その中で、足音だけがやけに響く。
その先を歩いていたアリスが、ふいに足を止めた。
「……あのね」
声が落ちる。
いつもの、おどおどした震えた声ではない。
ゆっくりと、言葉を選ぶような話し方。
真守は思わず立ち止まる。
「さっきの、“全部知ってる”っていうの……」
少しだけ間を置く。
「……あれは、言い過ぎだったかも」
振り向いたアリスの表情は、いつも通り弱々しい。けれど、その奥に何かを隠している。
「でもね」
小さく続ける。
「次も……来るよ」
その一言で、空気が変わる。
「……次?」
真守は眉をひそめる。
「ここ数日、何も起きてないですけど」
事実だった。
あれから数週間。
不自然なほど、何も起きていない。
「それが、作戦なの」
アリスは静かに言った。
「……え」
「間を空けることで、警戒を緩めるの」
ゆっくりと説明する。
「人ってね、何も起きない時間が続くと……“もう大丈夫かも”って思い始めるから」
「……」
「だから、そのタイミングで動く」
夕陽が、アリスの影を長く伸ばす。
「一番、油断してる時を狙うの」
「……」
背筋に、嫌な感覚が走る。
確かに、少し気が緩んでた。何も起きない日々に、安心しかけていた。
「……じゃあ、次はいつですか」
真守は低く聞く。
「……三日以内」
アリスは即答した。
そして——
「葵さんが、狙われる」
「……は?」
その瞬間。
「え……?」
後ろから声。
振り向くと、葵が立ち止まっていた。
「わ、私……?」
明らかに動揺している。
「アリス先輩、それ……本当ですか?」
少し震えた声。
アリスはゆっくり頷く。
「可能性が高い、ってだけだけど……」
「……っ」
葵の手が小さく握られる。
普段の余裕は、消えていた。
「……大丈夫」
アリスが静かに言う。
「ちゃんと対策はあるから」
「対策……?」
真守が聞き返す。
「うん」
アリスは一歩踏み出した。
「赤坂さんに護衛してもらう」
「……それはもう決まってるんじゃ」
「違う」
すぐに否定される。
「“狙わせる形”で護衛させるの」
「……?」
真守の理解が追いつかない。
「相手は、前と同じ動きをする可能性が高い」
アリスは淡々と続ける。
「だから、赤坂さんに前と同じ状況を作ってもらう」
「……まさか」
「うん」
小さく頷く。
「また戦わせる」
その一言に、空気が張り詰める。
「ちょっと待ってください」
真守はすぐに言う。
「それはダメです」
はっきりと否定する。
「赤坂先輩を危険な目に合わせるなんて——」
「それが一番効率いいの」
被せるように言われる。
声は小さいまま。
けれど、明確な圧があった。
「赤坂さんは強い」
短く言う。
「そして、相手もそれを分かってる」
「……」
「だからこそ、“次は勝てると思ってる状態”で来る」
「その隙を潰す」
言い切る。
迷いがない。
「……それでも」
真守は食い下がる。
「三宝先輩に相談した方が——」
「逆効果」
即答だった。
「……なんでですか」
少し苛立ちが混じる。
アリスは一瞬視線を落としてから言った。
「生徒会の中に……怪しい人がいるかもしれないから」
「……は?」
「その人が、相手と繋がってる可能性がある」
「いや……それは」
真守はすぐに否定する。すぐに否定しようとして——
一瞬だけ、思考が止まる。
(……複数?)
ふと、違和感が浮かぶ。
(今までの動き……妙に統率が取れてる)
赤坂襲撃の時もそうだった。
ただの不良の集まりにしては動きが良すぎた。
(誰かが“指示してる”みたいな……)
そこまで考えて——
(……いや)
すぐに首を振る。
(考えすぎだ)
そう思おうとする。けれど。もし、それが本当なら。
生徒会の中に。
一瞬だけ、誰かの顔が浮かぶ。
「……」
真守は無意識に視線を逸らした。
(そんなわけない)
否定する。はっきりと。
けれど、その違和感は完全には消えなかった。
「そんなこと、」
「……ほんとに?」
ぽつりとした一言。
それだけで、少しだけ言葉が止まる。
「……」
「まあ、いいけど」
アリスはため息をつく。
「でもね……この作戦じゃないなら、私は協力しない」
「……」
「そして、失敗すると思う」
はっきり断言する。
その自信に、押される。
「……」
真守は考える。
危険はある。けれど、他に手もない。
「……わかりました、その作戦でいきます」
渋々の了承。
「……うん」
アリスが静かに頷いた。
そのとき、
「……あの」
葵が口を開く。
「事件が起こるまで……楽々浦くんの近くにいても、いいかな」
その言葉に、真守は一瞬止まる。
(……奏先輩)
すぐに浮かぶ。
許すとは思えない。
「それすごくいいと思う。相手も少し違う状況の方が動揺するし、こちらの作戦の成功率が上がる」
アリスは冷静に葵の意見に賛同した。ただ、真守はその言葉は耳入らなかった。
「それは——」
断ろうとする。けれど。
「……」
葵の様子に気づく。
わずかに震えている。あの余裕のある雰囲気が、消えている。ただ、不安を押さえているだけ。
「……」
言葉が変わる。
「……わかりました」
小さく言う。
「ただ、その前に、奏先輩に話を通します」
はっきりと言う。
「ちゃんと許可もらいましょう」
葵が少し驚いたように目を見開く。
そのまま、歩き出す。
夕焼けの廊下。
静かな空気の中で——
何かが、確実に動き始めていた。




