51話 俺×保健室=静かな衝突です。
保健室は、やけに静かだった。カーテン越しに差し込む光が白くぼやけていて、時間の感覚が少し狂う。
その奥のベッドに、黒ヶ峰は一人で座っていた。
「……」
息は落ち着いているが、制服は破れたまま。頬や口元には、うっすらと血が滲んでいる。
綺麗な顔が、痛々しく崩れていた。
「……黒ヶ峰さん」
声をかけても、反応はない。
ゆっくり近づくと、ようやくその目がこちらを向いた。
「——来んな」
鋭い眼光だった。
それだけで一歩引きそうになるほどの圧。
「……でも、そのままじゃ」
「別に、平気だし」
短く、切り捨てるように言う。
それ以上、言葉を交わす気はないとでも言うように、視線を外された。
「……消毒だけでもさせてください」
「いらない」
「でも——」
「うるさい」
ぴしゃりと遮られる。
完全な拒絶だった。
「……」
真守は一瞬、言葉を失う。
そのまま、数秒。黒ヶ峰はもうこちらを見ようともしない。
完全に無視だ。
「……っ」
胸の奥で、何かが引っかかった。
(——なんでだよ。さっきまで、あんなボロボロになるまで殴られてたくせに。なんで、こういう時だけ)
「……いい加減にしてください」
「は?」
思わず、声が強くなる。
黒ヶ峰がわずかに眉をひそめた。
「怪我してるのに、放置とか意味分かんないです」
「関係ないでしょ」
「ありますよ!」
気づけば、言い返していた。
「見て見ぬふりする方が無理です」
「……」
「だから——治療させてください」
返事はない。
けれど、もう待つつもりはなかった。
「……失礼します」
半ば強引に距離を詰める。
「ちょっ——」
黒ヶ峰が一瞬、動揺したように身を引く。
けれど、すぐに強く睨みつけてきた。
「触んなって言ってんでしょ!」
「……少しだけ、我慢してください」
真守は視線を逸らさず、そのまま消毒液を手に取る。
「——っ」
傷口に触れた瞬間、黒ヶ峰の肩がわずかに揺れた。
「……ほら、痛いじゃん」
「うっさいわね!」
淡々と答えながら、手を止めない。
最初は抵抗する気配があった。
けれど——
「……」
いつの間にか、黒ヶ峰は何も言わなくなっていた。睨みつける視線はそのまま。それでも、手を振り払うことはしない。
ただ、黙っている。
その沈黙の中で、応急処置は進んでいく。
「……これで、だいたい大丈夫かな」
最後に軽くガーゼを当てて、真守は手を離した。
「しばらくは安静にしてください」
「……」
黒ヶ峰は何も言わない。
ただ、小さく一度だけ頷いた。
それだけで十分だった。
「……じゃあ」
それ以上は踏み込まず、真守は立ち上がる。背を向けて、保健室の扉へ向かう。振り返ることは、しなかった。
そして、放課後。生徒会室は、いつも通りの空気だった。
「楽々浦ぁ」
「うわ、三宝先輩……」
背後から声をかけられ、真守は露骨に嫌そうな顔をする。振り返ると、三宝がにやにやと笑っていた。
「また庶務の手伝い、頼みたかとよ」
独特の訛り混じりの声。軽い調子なのに、断りづらい圧がある。
「いや、無理です。絶対やりません」
「そげん冷たかこと言うなよ」
「前回がトラウマなんで」
即答だった。
「今回は優しかけん」
「信用できません」
きっぱり言い切る。
すると——
「それは困るな」
「……っ」
背後から、低い声。
振り向かなくても分かる。
「会長……」
いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。
「人手が足りていない。手伝ってもらう」
「いや、でも——」
「拒否権はない」
即答だった。
「……ですよね」
ため息をつきながら、観念する。
三宝が満足そうに笑った。
「よかよか」
「よくないです……」
そのまま、奥の部屋へと連れていかれる。
薄暗い部屋。机の上には、何枚かの資料が並べられていた。
「今日はこの中からやな」
三宝が紙を叩く。
「問題児ば選んでくれ」
「……またですか」
嫌な予感しかしない。
それでも、視線を落とす。
一人目。
二人目。
三人目——
「……この人です」
真守は一枚を指差した。
他よりも明らかに内容が悪質だった。
「ほう」
三宝がニヤリと笑う。
「ええ目しとるなぁ」
「嬉しくないです」
「ほんなら——行くか」
その一言で、空気が変わる。
逃げ場はない。
また、あの理不尽な“制裁”が始まる。
「……はぁ」
ため息を一つ。それでも足は止まらなかった。
選んでしまった以上——
やるしかないのだから。




