46話 俺×酸欠=根性みせます。
葵と並んで歩きながら、真守は無意識に首元へ触れていた。
あの日。
初めて奏と会った時、突然締め上げられた感覚がまだ少しだけ残っている。
呼吸ができなくなる恐怖。
冷たい目。
"葵に近づくな"
あの声が、頭の奥で何度も蘇っていた。
「……大丈夫?」
隣を歩いていた葵が、不安そうに真守の顔を覗き込む。
真守は小さく頷いた。
「大丈夫です」
嘘だった。
正直、かなり怖い。でも、ここで逃げるわけにはいかなかった。
もし奏が犯人なら。
ここで止めなければ、また誰かが傷つくかもしれない。
白ヶ崎の震える体。
神宮丸の包帯。
赤坂を襲った男たち。
全部が頭をよぎる。
「……行きましょう」
真守は覚悟を決めた。
そして。
あの日と同じ空き教室の前へ辿り着く。自然と呼吸が浅くなる。
真守は一度だけ深呼吸した。
葵が先にドアへ手をかける。
「お姉ちゃん」
静かな声。
ガラッ——。
ドアが開く。
教室の中には、奏が一人でいた。
窓際の席へ腰掛け、本を読んでいたらしい。長い金髪が夕陽に照らされている。
葵と同じ顔立ちなのに、纏う空気はまるで違った。
冷たく、鋭い。綺麗なのに近寄りがたい。
奏は真守を見た瞬間、露骨に眉を寄せた。
「……また来たの?」
低い声。
明らかな不機嫌。
「接近禁止って言ったはずだけど」
その視線だけで空気が冷える。
真守は少しだけ喉を鳴らした。
怖い。けれど、目を逸らさない。
葵が静かに口を開く。
「お姉ちゃん……何か隠してない?」
奏の目が細くなる。
「隠し事?」
「最近、楽々浦くんの周りで色々起きてるの。だから——」
「私を疑ってるわけ?」
奏の声が鋭くなる。
葵が言葉を詰まらせた。
その空気を断ち切るように、真守が前へ出る。
「……奏先輩」
奏が睨む。
真守はまっすぐ彼女を見る。
「今回の件、奏先輩が関係してるんじゃないですか」
空気が止まった。
奏の表情が一瞬で冷え切る。
真守は続けた。
「襲ってきた男が、“あの女に命令された”って言ってました」
「……」
「俺の知り合いはリンチされて、強姦未遂までされました。他にも襲われた。あなたと同じクラスの赤坂先輩まで狙われたんです」
真守の拳が震える。
怒り。
不安。
恐怖。
全部を押し込めながら言葉を吐き出した。
「全部、俺の周りの人たちです」
奏の目が鋭く細まる。
真守はさらに踏み込んだ。
「奏さんが関係ないなら、教えてください」
沈黙。
数秒。
そして。
「……何を言ってるの?」
その声は、怒りを押し殺していた。
次の瞬間——。
バキッ!!
真守の顔面へ拳がめり込んだ。
「っ!?」
視界が揺れる。
頬に激痛。真守の体が横へ吹き飛びそうになる。
葵が悲鳴を上げた。
「お姉ちゃん!!」
奏は立ち上がっていた。
表情は完全に怒っている。
「ふざけないで」
真守は頬を押さえながら、ゆっくり立ち上がる。
口の中に血の味が広がる。だが、目は逸らさなかった。
「……本当に知らないんですか」
その一言で、奏の怒りがさらに膨れ上がった。
ドンッ!!
今度は腹へ拳が入る。
「ぐっ……!」
息が漏れる。
痛い。胃がひっくり返りそうになる。だが、真守は倒れない。
「真守くん!!」
葵が止めようとする。
だが、真守は片手でそれを制した。
「……いいです」
奏の眉がピクリと動く。
真守は苦しそうに呼吸しながら続けた。
「俺の周りの人たちが……どんどん傷ついてるんです」
ドンッ!!
また拳。肩へ、胸へ、容赦がない。先日男たちに殴られた傷が再び痛み始める。
全身が熱い。呼吸も苦しい。でも、真守は抵抗しなかった。
「なんで抵抗しないの?」
奏が苛立ったように言う。
真守は息を荒げながら答えた。
「……もし奏さんが犯人なら、ここで逃げちゃダメだと思ったからです」
「……っ」
奏の表情がわずかに歪む。
次の瞬間。
真守の体が押し倒された。
「っ!?」
床へ叩きつけられる。
そして、奏が馬乗りになった。
「お姉ちゃん!?」
葵が青ざめる。
だが奏は止まらない。
両手が真守の首へ伸びる。
ギリッ——。
「がっ……!?」
呼吸が止まる。
強い。以前よりもずっと本気だった。
酸素が一気に奪われる。視界が揺れる。肺が悲鳴を上げる。
奏の顔が近い。
綺麗な顔なのに、今は怒りで歪んでいた。
「ふざけないで……!」
締め付けが強くなり、真守の喉から苦しそうな音が漏れる。
普通なら怖くて目を逸らしていた。でも、真守は逸らさなかった。
苦しくても、怖くても、まっすぐ奏を見続ける。
(逃げるな……!)
頭の中で、自分へ言い聞かせる。
(ここで目を逸らしたら……また誰かが傷つく……!)
酸欠で意識が遠のき始める。
視界が白くなる。それでも、真守は奏を見つめ続けた。
奏の方が、先に動揺した。
「……何なのよ」
締め付ける手が少し震える。
「なんでそんな目してるの……」
真守は答えられない。
呼吸ができない。でも、目だけは逸らさない。
葵が泣きながら叫ぶ。
「やめて!! お姉ちゃんやめてぇ!!」
その声で。
ふっと、奏の力が抜けた。
「……っ!」
真守が激しく咳き込む。
酸素を求めるように呼吸する。
肺が痛い。喉も焼けるようだった。
奏は真守から離れる。そして、小さく息を吐いた。
「……意外と根性あるじゃない」
冷たい声。けれど、最初より少しだけ柔らかかった。
奏は髪をかき上げながら言う。
「ちなみに」
真守を見る。
「今の話、本当に心当たりはないわ」
「……」
真守は荒い呼吸のまま奏を見つめる。
嘘をついているようには見えなかった。少なくとも、今の反応は演技には思えない。
真守はゆっくり立ち上がる。
そして——。
ゴンッ!!
勢いよく土下座した。
「本当に申し訳ありませんでした!!!!」
教室に大きな音が響く。
双子が同時に固まった。
「勝手に疑って、失礼なことを言いました!!!」
真守はそのまま叫ぶ。
「でも、俺、本当に必死なんです!! もう誰も傷ついてほしくなくて……!」
沈黙。
そして。
ぷっ、と。
小さな笑い声が漏れた。
奏だった。
「……バカね」
呆れたように笑う。
葵が目を丸くする。
奏が笑った。それだけで、かなり珍しいことだった。
葵は少し安心したように真守の肩へ触れる。
「お姉ちゃん……楽々浦くんはいつもの男の人たちとは違うって……私は思うの」
奏は黙る。
視線を逸らしたまま、小さく舌打ちした。
「……認めたくないけど」
そして。
小さく呟く。
「一旦、休戦ってことにしてあげる」
「……!」
葵の顔が一気に明るくなる。
「じゃあ、接近禁止命令も!?」
奏は露骨に嫌そうな顔をした。
だが。
数秒後。
小さくため息を吐く。
「……好きにすれば」
「お姉ちゃん!!」
葵が嬉しそうに笑う。
真守はようやく肩の力を抜いた。
喉がまだ痛い。体中も痛む。でも、少しだけ道が開けた気がした。
夕陽が差し込む教室の中。
険悪だった空気が、ほんの少しだけ変わり始めていた。




