40話 俺×壁=少し崩れました。
生徒会室には、夕陽だけが差し込んでいた。
赤く染まった床。長く伸びる影。その静かな空間の中で、真守は言葉を失っていた。
祇園の告白が、あまりにも重かったからだ。
会長からの暴力。
罵倒。
支配。
それを、祇園はずっと一人で抱えていた。
「……」
真守は何も言えないまま、祇園を見つめる。
祇園は松葉杖を握りしめ、俯いていた。
肩が小さく震えている。
普段の高圧的な態度は、今はもうほとんど残っていなかった。ただ、弱々しく息を吐く音だけが聞こえる。
「……高校に入ったばかりの頃ね」
祇園がぽつりと呟く。
「紅子は、今とは全然違ってたの」
「……」
真守は黙って続きを待つ。
祇園は少し遠くを見るような目をしていた。まるで、昔の自分を眺めているみたいだった。
「容姿も悪くない方だったし、性格も今みたいじゃなかった」
小さく苦笑する。
「自分で言うのも変だけど、クラスの中心みたいな感じだったのよ」
「……」
「みんなから“紅ちゃん”って呼ばれて、毎日うるさいくらい騒いでた」
夕陽が、祇園の横顔を赤く照らしている。
「笑ってれば、全部うまくいくと思ってた」
その声は静かだった。
でも、その静けさが逆に胸へ刺さる。
「そんな時に、会長が声をかけてきたの」
祇園の指先が、松葉杖を少し強く握る。
「“君は生徒会に向いてる”って」
「……」
「優しい笑顔で言われて……すごく嬉しかった」
祇園は少しだけ目を細める。
「紅子、単純だったから」
小さく笑う。
「本当に浮かれてたのよ。会長に認められたって」
その笑顔は、一瞬だけ昔の祇園を思わせた。
明るくて、素直で、誰かに好かれることを疑っていなかった頃の祇園。
「最初は、本当に楽しかった」
「……」
「みんなで仕事して。生徒会って特別な場所で。会長の近くで頑張れるのが嬉しくて」
祇園の声が少しずつ小さくなる。
「でも……」
その一言で空気が変わった。
「少しずつ、会長が変わっていったの」
「……」
「最初は小さな注意だった」
祇園は俯く。
「“もっとしっかりしろ”とか。“その明るさは軽薄に見える”とか」
「……」
「最初は、期待されてるんだって思ってた」
真守は胸が痛くなる。
祇園はきっと、本気で頑張っていたのだ。
会長に認められたくて。
期待に応えたくて。
でも。
「だんだん、それがエスカレートしていった」
祇園の声が少し震える。
「毎日怒鳴られるようになった」
「……」
“お前みたいな出来損ないがいるから生徒会が乱れる”
“顔だけで中身が空っぽだ”
“役立たず”
祇園が唇を噛む。
「そんな言葉を、毎日言われ続けた」
真守は拳を握る。
会長の穏やかな笑顔が頭に浮かぶ。
優しい口調、柔らかい視線。
でも、その裏で。
こんなことをしていた。
「暴力も始まった」
祇園が小さく息を吐く。
「最初は、肩を軽く叩かれるくらいだったの」
「……」
「でも、ある日」
祇園の目が揺れる。
「書類のミスをした時、会長に呼び出されて」
松葉杖を握る手が震える。
「突然、頬を叩かれた」
「……っ」
真守の喉が詰まる。
祇園は静かに続ける。
「そこからは、もう普通じゃなかった……誰もいないところで足を踏まれたり。髪を掴まれて壁に押しつけられたり」
「……」
「“お前は僕の言うことだけ聞いていればいい”って、何回も言われた」
生徒会室が静まり返る。
時計の音だけがやけに大きく聞こえた。
「なんで自分がこんな目に遭ってるのか、分からなかった」
祇園が小さく笑う。
でも、その笑いは壊れそうだった。
「怖かったの」
「……」
「逆らったら、もっと酷くなる気がして」
「……」
「だから、言うこと聞くしかなかった」
夕陽が祇園の目を照らす。そこには、疲れ切った感情が滲んでいた。
「明るかった自分は、どんどん消えていった」
「……」
「気づいたら、誰も近づかない今の紅子になってた」
祇園はそこで口を閉じた。
生徒会室に沈黙が落ちる。
真守は、すぐに言葉が出なかった。
胸が苦しい。
祇園の話が、重すぎた。
今まで怖い先輩だと思っていた。高圧的で、口が悪くて、近寄りづらい人だと思っていた。
でも、それは全部。
壊され続けた結果だった。
「……祇園先輩」
真守が静かに口を開く。
祇園は少しだけ顔を上げた。
「そんなに辛い思いをしてたんですね」
「……」
「俺、全然知らなくて」
真守は視線を落とす。
「勝手に怖い人だと思ってました」
祇園の目が少し揺れる。
「……ごめんなさい」
「……」
「祇園先輩がそんな態度だったのも、きっと理由があったんですね」
真守は苦しそうに笑った。
「俺も、勝手に誤解して避けてました」
「……」
「本当に、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる。
祇園は目を見開いていた。
まるで、そんな言葉を向けられると思っていなかったみたいに。
「……」
真守は顔を上げる。
「これからは」
少しだけ間を置く。
「できる範囲で、祇園先輩を守ります」
「……っ」
祇園の肩が小さく揺れた。
「俺にできることがあるなら、何でも言ってください」
その瞬間。
祇園の頬が、ほんのり赤くなる。
「……バカね」
視線を逸らす。
「そんなこと言われたら……どう反応していいか分からないじゃない」
声が小さい。
さっきまでより、ずっと柔らかかった。
真守は少しだけ笑う。
祇園も、困ったように小さく笑った。
その笑顔は、ほんの少しだけ昔の“紅ちゃん”を思わせた。
明るくて、普通の女の子だった頃の面影。
「……」
静かな空気が流れる。
今まで二人の間にあった壁が、少しだけ崩れた気がした。
祇園は松葉杖を軽く持ち直す。
「……帰るわ」
「送ります」
真守が自然に言う。
祇園は少し驚いた顔をした。
「え……?」
「足、大変そうですし」
「……」
祇園は少しだけ黙ったあと、小さく視線を逸らす。
「……じゃあ、少しだけお願いしようかな」
「はい」
真守は祇園の隣へ立つ。
歩幅を合わせるように、ゆっくり歩き始める。
松葉杖の音が、生徒会室に静かに響いていた。




