39話 俺×傷跡=消えない影です。
自室へ戻ったあとも、真守の頭の中はずっと落ち着かなかった。
制服のままベッドへ腰を下ろす。部屋の中は静かだ。
真希那は今日は仕事で帰りが遅いらしく、珍しく家の中にも人の気配がない。その静けさが、逆に不安を増幅させていた。
「……」
真守はゆっくりポケットへ手を入れる。
指先に紙の感触が触れた。あの手紙だった。生徒会室で見つけた、白い封筒。
真守はそれを取り出し、もう一度広げる。
【これ以上大切なものを奪うのなら、
お前の大切なものを一つずつ壊していく】
「……」
何度見ても気味が悪い。
文字は乱れている。
普通に書こうとして崩れたというより、最初から感情を叩きつけるように書いた字だった。
筆跡なんて分からない。インクも滲んでいる。紙の端まで少し湿って波打っていた。
まるで、書いた本人の感情がそのまま染み込んでいるみたいだった。
「……誰だよ」
小さく呟く。
だが、答える人はいない。
真守は手紙を握りしめたまま、天井を見る。
頭の中に、色んな顔が浮かんだ。
誰が書いてもおかしくない。それぐらい、この短期間で色んな人間と関わりすぎていた。
そして、そのどれもがまともじゃない。
「……大切なもの、か」
真守は小さく呟く。
自分にそんなものがあるのか、よく分からなかった。
でも最近、少しずつ関わる人間が増えてきた。それを“壊す”と言われている気がして、胸の奥が嫌にざわつく。
「……」
眠れる気がしなかった。
その夜、真守は何度も目を覚ました。
夢も見た。
内容は曖昧なのに、嫌な感覚だけが残る。
起きるたびに、枕元の手紙を確認してしまう。まるで、本当に誰かに狙われているみたいだった。
結局、一週間経っても、その不安は消えなかった。
学校はいつも通りだった。
授業があって、神宮丸が騒いで、白ヶ崎が呆れて、赤坂が元気で、表面上は、何も変わらない。
でも、真守の中だけがずっと重かった。
そして、その日も。
真守は重たい足取りで生徒会室の扉を開ける。
「失礼します……」
中へ入った瞬間。
真守は思わず足を止めた。
「……え」
祇園がいた。
だが、その姿は以前とはまるで違っていた。
左足にはギプスで松葉杖。顔色も悪い。白い眼帯もまだ外れていない。
以前のような強気な空気が、かなり薄れていた。
「……」
祇園がゆっくり顔を上げる。
その動作一つ一つが重そうだった。
松葉杖が、カツ……カツ……と小さな音を立てる。その音が妙に耳に残る。
真守は無意識に視線を逸らしかけた。
胸が痛かった。
会長はいつも通りだった。
「おはよう、楽々浦君」
穏やかな笑顔。優しい声。何事もないように微笑んでいる。
「今日もよろしくね」
「……はい」
真守は返事をする。
だが、どうしても祇園の姿が気になってしまう。
その横では、池鶴が書類を整理していた。
ちらり、と。
一瞬だけ真守を見る。
鋭い視線。猫の件をまだ根に持っているらしい。
「……」
真守は慌てて目を逸らした。
怖い。普通に怖い。
その日も、生徒会の仕事は続いた。
調査、書類整理、見回り、問題報告。やることは山ほどある。
だが、真守はどこか上の空だった。
祇園の姿が頭から離れない。
前まであれだけ高圧的だった先輩が、今はまるで別人みたいに弱っている。
そして、その原因に自分が関わっている気がしてならなかった。
夕方。仕事を終え、生徒会メンバーが少しずつ帰っていく。
三宝が帰り、池鶴も帰り、会長も「今日は先に失礼するよ」と穏やかに笑って部屋を出ていった。
広い生徒会室に残ったのは、真守と祇園だけだった。
「……」
静かだった。
窓の外では夕陽が沈みかけている。
オレンジ色の光が、生徒会室の床を長く照らしていた。
真守は少し迷ったあと、ゆっくり祇園へ近づく。
「……祇園先輩」
祇園が顔を上げる。
「何?」
声はいつも通り強めだった。でも、どこか力がない。
「まだ何か用?」
真守は少しだけ息を吸う。
そして、深く頭を下げた。
「……すみませんでした」
「……は?」
祇園が眉をひそめる。
真守は頭を下げたまま続けた。
「あの時のことです」
「……」
「祇園先輩が、こんなことになってるの」
真守は拳を握る。
「俺のせいじゃないかって、ずっと思ってました」
祇園の表情が少しだけ動く。
松葉杖を握る手に力が入る。
「……」
「許してもらえるとは思ってないです」
真守はゆっくり顔を上げた。
「でも、せめて話を聞かせてください」
「……」
祇園は何も言わなかった。
ただ、じっと真守を見ている。
高圧的な視線。でも、その奥に別の感情が混ざっている気がした。
「……バカね」
ぽつり、と。
小さな声が漏れる。
その瞬間だった。祇園の目が、わずかに潤んだ。
「……っ」
真守は息を呑む。
祇園はすぐに顔を逸らした。強気な態度を保とうとしている。でも、限界なのが伝わってくる。
「……」
唇を噛む。
松葉杖を強く握る。
肩が小さく震えていた。
「……会長から」
祇園が小さく呟く。
「暴力を受けてるの」
「……!」
真守の目が見開かれる。
祇園は俯いたまま続けた。
「土下座の後……もっと厳しくされた」
声が震えている。
「“お前はまだ反省が足りない”って」
「……」
「足を……踏まれて」
「……っ」
真守の喉が詰まる。
祇園はそれ以上、上手く喋れなくなっていた。
肩が震えている。必死に泣くのを堪えているのが分かる。
「……」
今までずっと高圧的だった。
強気で、怖くて、偉そうだった。でも今の祇園は違う。ただ、一人で怯えている人間だった。
「……誰にも」
祇園が小さく呟く。
「言えなかった」
その声は、壊れそうなほど弱かった。
真守は何も言えない。言葉が見つからなかった。
ただ。
胸の奥だけが重くなる。
会長の穏やかな笑顔が浮かぶ。
優しい声。柔らかい態度。でも、その裏側で祇園は壊されていた。
「……」
夕陽が、生徒会室を赤く染めている。
長い影が床へ伸びる。
祇園は俯いたまま、小さく震えていた。
そして真守は、ただ静かにその場へ立ち尽くしていた。
祇園の中にある傷跡が、まだ全然消えていないことだけは、痛いほど伝わってきた。




