36話 俺×瓜二つ=最悪の出会いです。
教室の後ろのドアが、ゆっくりと開いた。
夕日の光が差し込んでいるせいで、最初は顔がよく見えなかった。
ただ、そこに立っている人影からは、明らかに普通じゃない空気が漂っていた。
「……」
真守は思わず息を呑む。
夢百合も、目を見開いて固まっていた。
「……奏」
その名前を聞いた瞬間、人影が一歩、教室の中へ入ってくる。
光の中から現れたその顔を見て、真守は言葉を失った。
夢百合葵と、瓜二つだった。
顔立ち。
瞳。
整った輪郭。
ほとんど同じに見える。
けれど、雰囲気はまるで違った。
夢百合は、どこか王子様みたいな派手さと軽さがある。距離感が近くて、自信があって、周りを自然に巻き込むような人。
でも、目の前の人物は違う。
長い金髪を綺麗に下ろし、ピアスも一切ない。
立ち姿も静かで、上品で、どこかお嬢様のようだった。
ただ——
その目だけは、冷たかった。
「……」
眉間には深い皺。
視線は、まっすぐ真守に向いている。
まるで、最初から敵だと決めつけているような目だった。
「……最近」
低い声が落ちる。
「私の妹にちょっかいを出しているのは、お前か?」
「……は?」
意味が分からない。
真守は反射的に声を漏らした。だが、その人物は返事を待たなかった。
一歩。
また一歩。
静かに距離を詰めてくる。
「奏、待って」
夢百合が慌てて声を出す。
「違うの、これは——」
「黙ってて、葵」
短い言葉。
それだけで、夢百合が一瞬怯んだ。
「……」
真守はようやく理解する。
この人は、夢百合の姉なのだと。それも、かなり面倒くさいタイプの。
「……あの」
真守が何か言おうとした瞬間だった。
奏の両手が、真守の首に伸びた。
「っ……!?」
次の瞬間。
喉が締め上げられる。
「ぐっ……!?」
息が詰まる。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
首を絞められている。理解した瞬間、体が固まる。
「……っ、ぁ……!」
苦しい。
空気が入ってこない。視界が一気に歪む。
目の前の奏の顔だけが、やけにはっきり見えた。
冷たい目、怒りを押し殺した表情。
本気だ。
冗談でも、脅しでもない。
「奏!!」
葵の叫び声が響く。
「やめて!!」
葵が慌てて駆け寄り、奏の腕にしがみつく。
「お願い、手を離して!」
「……」
「この子は悪くない! 楽々浦くんは何もしてない!」
葵の声が震えている。それでも奏の手はすぐには離れなかった。
「奏!!」
葵が泣きそうな声で叫ぶ。
「お願いだから!!」
ようやく。
ふっと首から力が抜けた。
「げほっ……!」
真守はその場で咳き込む。
壁に寄りかかりながら、必死に呼吸する。
喉が痛い。空気を吸うだけで、ヒリヒリする。
「楽々浦くん!」
葵が駆け寄り、背中をさする。
「ごめん……本当にごめんね……!」
「……っ、な……」
声がうまく出ない。
真守は首を押さえながら、奏を睨む。
腹が立った。
当然だ。いきなり首を絞められて、平気でいられるわけがない。
「……いきなり」
かすれた声が出る。
「何するんですか……」
奏は腕を組んだまま、真守を見下ろしていた。
悪びれる様子はない。むしろ、まだ足りないとでも言いたげな目だった。
葵が真守の前に立ち、両手を合わせる。
「本当にごめん!」
「……」
「奏は……その、私の双子の姉で……重度のシスコンで……」
「……シスコン?」
「私が男の人と少しでも仲良くすると、すぐこうなっちゃうの」
「いや、こうなっちゃうで済むレベルじゃないですよ」
真守の声はまだ掠れている。
葵は本気で申し訳なさそうに頭を下げた。
「許して、楽々浦くん……!」
「……」
許すも何も。今は状況の整理が追いつかない。
すると、奏が葵を後ろへ下がらせる。
「葵、どいて」
「嫌」
葵は即答する。
だが、奏は再び真守へ近づいてきた。
「……」
また手が伸びる。
真守は反射的に身を固くした。
怖い。
でも、殴り返すとか、押し返すとか、そういう考えは出てこなかった。
暴力は嫌だった。
昨日、三宝の仕事を見たばかりだから余計に。
「奏、やめて!」
葵が泣きそうになりながら、奏の腕を抱き止める。
「お願い……!」
その声に、奏の動きが止まった。
「楽々浦くんは悪くないよ……!」
葵の目に涙が浮かんでいる。それを見て、奏の表情が少しだけ揺れた。
「……」
奏はゆっくり手を下ろす。
そして、真守へ冷たい声を向けた。
「接近禁止」
「……は?」
「葵に近づくな」
奏の視線が鋭くなる。
「意味もなく、だ」
「……」
真守の中で、何かが切れそうになる。
意味が分からない。
いきなり首を絞められて、接近禁止。理不尽にもほどがある。
「……意味わかんないんですけど」
低く呟く。
葵と奏を交互に見る。
これ以上ここにいたら、本当に何か言ってしまいそうだった。
真守はそのまま教室のドアへ向かう。
「楽々浦くん……!」
葵の声が聞こえる。でも、振り返らなかった。
ドアを開ける。
出ていく直前、葵の泣き声が聞こえた。
「お姉ちゃんのバカ……!なんでいつもこうなの……!」
奏の声は、静かだった。
「葵……近づく男は」
妹の名前を呼んだ時、何か付け足そうとするが、言葉が少し詰まる。それでも、奏は続ける。
「許せない」
「……」
真守はそれ以上聞かず、教室を出た。
廊下へ出ても、怒りは収まらなかった。
首が痛い。喉がヒリヒリする。気分は最悪だった。
「……なんなんだよ」
小さく呟く。
今日は何なんだ。
夢百合に告白される。その姉に首を絞められる。意味が分からない。
「……散々すぎるだろ」
真守はイライラしながら廊下を歩く。
そのまま校舎裏の方へ回った。
特に理由はない。ただ、人が少ない場所に行きたかった。誰にも会いたくなかった。
「……」
ふと、足が止まる。
校舎裏、木陰の近く。そこに、人影があった。
「……池鶴先輩?」
池鶴景子だった。
いつもは凛としていて、隙がない。生徒会の書記らしく、冷静で、淡々としている。
そんな池鶴が、今は地面にしゃがみ込んでいた。
「……にゃんにゃん」
「……」
真守は固まる。
池鶴は野良猫の前にしゃがみ、完全に表情を崩していた。
目は細くなり、口元はゆるゆる。いつものクールな面影はどこにもない。
「かわいい……」
小さな声。
「もう一回、撫でてもいい……?」
猫がにゃあと鳴く。
池鶴の顔がさらに緩む。
「いいの? いいのね? えらい……かわいい……」
「……」
見てはいけないものを見た気がした。
真守は、つい声を漏らす。
「……池鶴先輩?」
その瞬間。
池鶴の動きが止まった。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
こちらを見る。
「……」
顔色が変わる。
さっきまでの甘い表情が、一瞬で消えた。
いつもの冷たい目。いや、いつもより怖い。
「……見た?」
声が低い。
「……あ、いや」
真守は本能的に後ずさる。
「たまたまというか、その……」
池鶴が一歩近づく。
「見た?」
「……見ました」
嘘はつけなかった。
沈黙。
猫だけが、のんきに鳴いた。
「……他の人に言ったら」
池鶴の目が細くなる。
「殺す」
「……」
冗談に聞こえなかった。
「は、はい……」
真守が頷くと、池鶴は一瞬だけ視線を逸らした。
耳が少し赤い。
「……忘れなさい」
それだけ言い残し、池鶴は足早に去っていった。
猫もどこかへ歩いていく。
「……」
校舎裏に、真守だけが残される。
首は痛い。頭はぐちゃぐちゃ。心は疲れ切っている。
真守は空を見上げる。
夕方の空は、やけに綺麗だった。それが逆に腹立たしい。
「……本当に」
小さく呟く。
「散々な一日だ……」




