33話 俺×新副会長=気まずすぎます。
夢百合とのキスから逃げるように、真守は廊下を歩いていた。
いや、歩くというより、半分無意識だった。
頭が回らない。心臓だけが、ずっと暴れている。
「……」
唇に、まだ感触が残っている気がする。
柔らかかった。
温かかった。
そして何より——近すぎた。
「……っ」
思い出した瞬間、顔が熱くなる。
(いやいやいやいや……)
(なんであんなことに……!?)
頭の中で何度も同じ言葉がぐるぐる回る。
ファーストキス。
その単語だけで脳が爆発しそうだった。
しかも相手は夢百合葵。
学校でも目立つ、美人で、大人っぽい、人気者の先輩。
そんな人に、突然キスされた。
理解が追いつくわけがない。
「楽々浦くん、歩くの速いって」
後ろから夢百合の声が飛んでくる。
「……っ」
真守は肩をビクッと震わせた。
振り返れない。まともに顔を見られない。
夢百合はそんな真守の反応を楽しむみたいに、くすくす笑っている。
しかも。
妙に機嫌が良さそうだった。
「そんな逃げなくてもいいじゃん」
「……逃げてません」
「いや逃げてるでしょ」
「逃げてないです」
「顔真っ赤だけど?」
「……っ!」
図星だった。
夢百合は楽しそうに鼻歌まで歌っている。
一方、真守の頭の中は完全に修羅場だった。
(無理無理無理……普通に喋れない……ていうか、なんであんな自然にキスできるんだよ……)
真守は女子経験なんてゼロだ。もちろんキスなんてしたことがない。
それなのに。
あまりにも一瞬で奪われた。
「……」
生徒会室の前に着く。
真守は立ち止まり、大きく深呼吸をした。
落ち着け。とりあえず落ち着け。このままじゃ絶対顔に出る。
「……」
でも無理だった。落ち着けるわけがない。
後ろに、キスしてきた張本人がいる。
「入らないの?」
夢百合が楽しそうに首を傾げる。
「……入ります」
真守は小さく返事をして、生徒会室の扉を開けた。
「失礼します……」
その瞬間。
部屋の空気が、一気に重くなる。
「……」
真守は息を止めた。
祇園が、また土下座していた。
会長の前。
床へ額を押し付けるようにして、小さく震えている。
白い眼帯。腫れた唇。昨日見た時より、さらに痛々しく見えた。
「……」
空気が重い。
静かすぎる。
なのに。
「おや、楽々浦君」
会長だけは、いつも通り穏やかだった。
「夢百合君も、おかえり」
まるで普通の日常みたいに微笑んでいる。その異常さに、真守は背筋が寒くなる。
「ちょうどいいタイミングだね」
会長は祇園へ軽く手を置いたまま言った。
「気にしないで、座ってくれ」
気にしないでって。
どう見ても気にするだろ。
「……」
真守は少し迷ったあと、祇園の近くへ歩み寄る。
昨日からずっと気になっていた。
あの怪我。
本当に“反省”だけでこうなるのか。
「……祇園先輩」
小さく声をかける。
その瞬間。
祇園の肩がピクリと動いた。そして、ゆっくり顔を上げる。
「……っ」
真守は思わず息を呑む。
眼帯の隙間。腫れた唇。
そして何より——目。
鋭かった。明らかに、“近づくな”と言っている目だった。
真守は反射的に手を引っ込める。
怖かった。
昨日の弱々しい姿とは違う。どこか、怯えと怒りが混ざった目だった。
夢百合はそんな空気をまるで気にしていなかった。
「ふふっ」
ご機嫌なまま、自分の席へ座っている。
さっきまでキスしていた人間とは思えないくらい自然だった。
そのギャップが余計に真守を混乱させる。
「さて」
会長が静かに手を叩く。
「楽々浦君」
「……はい」
「今日から本格的に仕事を始めてもらおうか」
その言葉だけで、胃が重くなる。
「庶務を担当している三宝君の手伝いをしてくれ」
「……三宝先輩の?」
「彼の仕事は少し特殊だからね」
会長は穏やかに笑った。
「今日中に、一通り教わるといい」
その瞬間。
部屋の隅から、大きな影が立ち上がる。
「はーい!」
低くて大きい声。
「よろしくな、楽々浦!」
真守は反射的にそちらを見る。
デカい。本当にデカい。
筋肉質な体。強面。一瞬ヤクザかと思うくらい迫力がある。
なのに。
笑顔は妙に朗らかだった。
「三宝用助じゃっど!」
薩摩弁混じりの声が響く。
「……よろしくお願いします」
真守が軽く頭を下げると、三宝は豪快に笑った。
「そんな固くなるな!」
バシンッ。
大きな手で肩を叩かれる。
「っ!?」
普通に痛い。
「楽々浦、元気なか顔しとるなぁ」
「……まぁ」
「気持ちは分かる!」
三宝は笑いながら言う。
「庶務の仕事は地味じゃっど、意外と大事なんじゃよ!」
そう言って真守の背中を押す。
「今日はおいの仕事、一緒に回ってみるか!」
真守は小さく頷いた。
夢百合が軽く手を振る。
「楽々浦くん、また後でね」
「……」
その笑顔だけで、また心臓が跳ねる。
(やめてくれ……)
まともに見れない。
真守は逃げるように三宝の後ろへついていった。
連れて行かれたのは、生徒会室の奥にある小さな資料室だった。
部屋の中には大量のファイル。学校の記録。問題児リストらしき資料。
妙に物々しい。
「さて」
三宝が椅子へ座る。
「早速じゃが」
声のトーンが少し落ちた。
「庶務っちゅうても、表向きの仕事だけじゃない」
「……」
嫌な予感がする。
「裏の仕事もあるんじゃよ」
「……裏?」
三宝は資料を広げながら続けた。
「例えば、荒れとる不良グループをこっそり潰したりな」
「……は?」
真守は固まる。
「鉄拳制裁みたいなもんじゃ」
三宝は笑っている。笑っているのに、言っていることが怖すぎる。
「もちろん表沙汰にはせん」
「……」
「今日中に、誰からやるか決めてほしいんじゃが」
三宝が資料を指で叩く。
そこには、数人の名前が並んでいた。
「まず一人目」
三宝の指が止まる。
「二年A組、鬼頭 猛」
写真付きだった。
明らかにヤバそうな顔をしている。
「最近、後輩から金巻き上げたり、校外で喧嘩繰り返しとる」
次のページ。
「二年C組、黒崎 雷太」
さらにガラが悪そうだった。
「こいつは後輩いじめが酷い。女子にも手ぇ出しとる」
さらに次。
「二年D組、岩本 剛」
「……」
「金品脅し取りが得意でな。去年も被害届出かけたが、揉み消された」
三宝は資料を閉じる。
そして朗らかに笑った。
「さて、楽々浦」
「……」
「誰から手ぇつける?」
「……」
真守の背中に冷たい汗が流れる。
怖い。全部怖い。
鬼頭
黒崎
岩本
どいつも名前からしてヤバそうだ。
そんな相手を、“鉄拳制裁”?
無理だ。無理に決まってる。
「……」
夢百合のキスの感触が、まだ唇に残っている。
祇園の土下座。
会長の笑顔。
三宝の薩摩弁。
全部が頭の中で混ざり合う。
「……」
この生徒会、やっぱりおかしい。普通じゃない。なのに。
もう、自分はその中へ入ってしまっている。
逃げたい。
でも。
どう逃げればいいのか、もう真守には分からなくなっていた。




