30話 俺×生徒会室=逃げられないです。
放課後のチャイムが鳴ってから、真守はしばらく席を立てなかった。
教室には、少しずつ人がいなくなっていく。
友達同士で帰る声。
部活へ向かう足音。
椅子を引く音。
そんな日常の音だけが、妙に遠く感じた。
「……」
真守は机に視線を落としたまま、小さく息を吐く。
結局、断れなかった。
いや——正確には、断つ覚悟が持てなかった。
昼休み。みんなが見ている前で、会長に声をかけられた。
『今日、放課後に生徒会室へ来てくれないかな?』
あの時。
「行きません」
そう言えばよかった。
なのに。周囲の視線、会長の穏やかな笑顔、教室の空気に全部飲まれて。
『……わかりました』
そう答えてしまった。
「……ダサすぎるだろ」
思わず自分で呟く。
結局、自分は流される。
強くもない。覚悟もない。
「……」
机を軽く握る。
上高の顔が浮かぶ。
フェンスの向こうへ落ちていった姿。あの日から、何度も夢に見た。助けられなかった。守れなかった。
その事実だけが、ずっと胸の奥に残り続けている。
「……」
だから、生徒会なんてもう嫌だった。会長の顔を見るのも嫌だ。あの空気の中に戻るのも嫌だ。
全部から逃げたかったのが本音だった。
「……はぁ」
長く息を吐き、ようやく立ち上がる。
足取りは重かった。
廊下を歩くたびに、胸がじわじわ締め付けられる。
途中、何度も引き返したくなった。このまま帰ってしまおうか。無視してしまおうか。
そんな考えばかり浮かぶ。
でも。
結局、足は止まらなかった。気づけば、生徒会室の前まで来ていた。
豪華すぎる扉。
最初にここへ来た日のことを思い出す。あの時は、ただ圧倒されていた。
でも今は違う。
「……」
怖かった。
この扉の向こうに入れば、また何かが始まる気がした。逃げられなくなる気がした。
真守は深呼吸を三回する。それでも震えは止まらない。
「……失礼します」
ゆっくり扉を開けた。
生徒会室は、相変わらず異様な空間だった。
静かで。広くて。どこか息苦しい。
中央の席には、会長が座っていた。
真守を見ると、柔らかく微笑む。
「楽々浦君」
その声だけで、少し肩が強張る。
「来てくれたんだね」
会長はゆっくり立ち上がる。そして、そのまま真守の方へ歩いてきた。
「……」
距離が近づく。
何をされるのか分からず、真守は反射的に身構えた。
次の瞬間。
ふわりと、柔らかい感触に包まれる。
「っ……!?」
抱きしめられていた。
真っ白なブレザー。微かに香る甘い匂い。
会長の腕が、優しく真守の背中へ回される。
「本当に心配していたよ……」
耳元で、静かな声が響く。
「君が不登校になってから、毎日ずっと気になっていた」
「……」
真守は固まる。
頭が追いつかない。
「上高さんの件で、どれだけ傷ついているのか……想像するだけで胸が痛かった」
優しい声だった。穏やかで、包み込むような声。
なのに——
なぜか寒気がした。
「君はまだ高校一年生なのに」
会長は続ける。
「そんな重いものを、一人で抱え込んでしまった」
「……」
「僕がもっと早く気づいてあげられていたらよかった。本当に、ごめんね」
完璧な言葉だった。
優しくて。気遣っていて。理想的な慰め。
だからこそ、不気味だった。
まるで、最初から用意されていたセリフみたいに聞こえる。
「……」
真守は逃げられない。振りほどけない。体が動かなかった。
やがて会長はゆっくり離れる。
そのまま真守の肩へ手を置き、微笑んだ。
「それと……」
会長が静かに目を細める。
「この前のこと、謝りたいんだ」
「……え?」
その瞬間。
部屋の奥の扉が開いた。
「……っ」
真守は息を呑む。
現れたのは、祇園だった。
「……」
姿を見た瞬間、言葉を失う。
唇は腫れている。左目には白い眼帯。頬には殴られたような痕。いつもの派手なツインテールも、どこか力なく崩れていた。
「……」
生徒会室の空気が変わる。
誰も喋らない。静まり返る。
祇園はゆっくり真守の前まで来ると——
そのまま膝をついた。
「っ!?」
次の瞬間。
床へ額を擦りつけるように土下座した。
「ご……ごめんなさい……」
声が震えている。
半泣きだった。
「楽々浦くん……あの時……わ、笑いながら……傷つけるようなこと言って……」
涙が床へ落ちる。
「上高さんのことで苦しんでたのに……最低なこと言って……本当に、ごめんなさい……」
「……」
真守は動けない。
祇園の肩は小さく震えていた。
痛々しかった。見ているだけで苦しくなるくらい。
「許してください……」
額を擦りつけながら、祇園は何度も謝る。
その光景に、生徒会メンバー達も息を呑んでいた。
重い。空気が重すぎる。
「……」
会長がそっと祇園の肩へ手を置く。
「彼女も、ちゃんと反省している」
優しい声だった。
「だから楽々浦君」
会長がこちらを見る。
「もう一度、生徒会へ戻ってきてくれないかな」
「……」
言葉が出ない。
「良い条件も用意した」
会長は穏やかに続ける。
「次の生徒会選挙の調査は、君には一切やらせない」
「……」
「夢百合君を、新しい副会長として迎えることにした」
「……え?」
真守が反応した、その時だった。
再び扉が開く。
「失礼します」
静かな声。
夢百合葵だった。
金髪のセミロングを揺らしながら、生徒会室へ入ってくる。その姿を見た瞬間。空気が少し柔らかくなった気がした。
「楽々浦くん」
夢百合が小さく笑う。
「久しぶり」
「……夢百合先輩」
自然と背筋が伸びる。
夢百合は会長や他の役員へ軽く頭を下げると、そのまま真守の近くまで歩いてきた。
「心配してたよ」
優しい声。
「また一緒にやれるなら、嬉しいな」
「……」
距離感が近い。でも、不快じゃない。むしろ自然だった。
「私、副会長やることになったみたいだし」
少しだけ冗談っぽく笑う。その笑顔に、ほんの少しだけ救われそうになる。
「……」
でも。
真守の胸は苦しいままだった。
会長。
祇園の土下座。
夢百合の好意。
周囲の視線。
全部が、自分を逃がさない。
「……」
今ならまだ言える。
辞めたいと。逃げたいと。
なのに。
言葉が出ない。
「……」
会長が優しく微笑む。
「じゃあ、今日からよろしくね」
穏やかな声だった。拒絶を許さないくらい、穏やかな。
「……」
真守は何も言えなかった。
生徒会室の空気が、ゆっくりと体にまとわりつく。
まるで。
“逃げるな”と囁くみたいに。




