25話 俺×屋上=もう遅いです。
教室に静けさが戻る。
千堂たちは不満げな顔をしながらも、それ以上は何も言わなかった。
ただ——
教室を出ていく瞬間。千堂が一瞬だけ振り返り、真守を睨んでいた。その目は、昼休みまでの軽い嫌がらせをしていた時とは違う。
もっと冷たくて。もっと、感情のない目だった。
「……」
真守は小さく眉をひそめる。だが、その違和感もすぐに打ち消された。
「……楽々浦くん」
後ろから、上高の弱々しい声が聞こえる。
振り返ると、上高が不安そうにこちらを見ていた。
「大丈夫?」
「……うん」
上高は小さく頷く。
でも、その笑顔はどこかぎこちなかった。無理やり作っているような。そんな笑顔だった。
真守は少しだけ胸がざわつく。
けれど、ここで何かを言えば、逆に上高を追い詰めてしまう気がした。
だから。
「俺は上高さんの味方だからね」
できるだけ明るく言う。
すると、上高は少し驚いたように目を見開いて——
「……うん」
今度は、少しだけ自然に笑った。
「ありがとう、楽々浦くん」
その瞬間。
真守の中にあった緊張が、ほんの少しだけ緩む。
大丈夫。
そう思ってしまった。
「……」
教室を出て廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。正直、かなり疲れていた。
千堂たちへの牽制。
上高のフォロー。
そして、生徒会の立場を使った立ち回り。
慣れないことばかりだった。
「……でも」
少しだけ、手応えはあった。
あそこまで正面から止めれば、千堂たちもしばらくは動きにくいはずだ。
上高も、少しは救われた顔をしていた。
「……これで、少しは」
その時だった。
ふと、廊下の窓ガラスに自分の姿が映る。そこには、どこか安心したような顔の自分がいた。
真守は小さく目を逸らす。
“助けられた”
そんな気になっていた。まだ、何も終わっていないのに。
その頃——
B組の教室では、白ヶ崎が窓の外をぼんやり見つめていた。
昼休みの騒ぎは、遠くから見えていた。
真守が上高を庇ったことも。千堂たちと対立したことも。全部。
胸の奥がざわつく。嫌な感じが消えない。
「……なんで……嫌な予感しかしないのよ」
窓の外では、春の風が静かに木々を揺らしていた。
なのに。
白ヶ崎の胸の中だけが、妙にざわついていた。
そして——
その日の放課後。
真守が上高の様子を見に、自分の教室に戻ろうと廊下を歩いていると、突然スマホが震えた。
『非通知』
出ると、落ち着いた声が聞こえてきた。
「楽々浦君? 今すぐ屋上に行ったほうがいい。上高町子さんが自殺しようとしている」
この声は、会長の声。
「……え?」
真守は凍りついた。
さっき助けたばかりだ。上高は微笑んで席に戻ったはずなのに——
「急いで。時間がないよ」
電話は一方的に切れた。
真守は全力で階段を駆け上がった。息が上がるのも構わず、屋上のドアを勢いよく押し開ける。
「上高さん!!」
屋上には、すでに上高町子がフェンスの外側に立っていた。
強い風が制服を激しくはためかせ、彼女の長い髪を乱している。
「待て!!さっき助けたばかりだろ!」
真守は必死に近づきながら叫んだ。
上高はゆっくりと振り返った。その目は、まるで人形のように感情が抜け落ちていた。
「……楽々浦君、来ちゃったんだ」
「当然だろ! 落ちるな! 話そう! 俺が助けるって言っただろ!」
真守は手を伸ばした。
上高の口元が、わずかに歪んだ。
「ありがとう……でも、全てはあなたせい」
彼女は後ろに一歩、大きく踏み出した。
「——!!」
真守が手を伸ばした瞬間、上高の体がゆっくりと後ろに傾いていった。指先が、ほんの少しだけ彼女の制服の袖に触れた。
でも、それだけだった。
上高の体は、フェンスの向こう側へ吸い込まれるように落ちていった。
「上高さん!!!」
真守の叫び声が屋上に響き渡った。
地面に激突する音は、真守の耳には聞こえなかった。
ただ、遠くから悲鳴とざわめきが上がってくるのが聞こえた。
真守はフェンスにしがみつき、下を見た。アスファルトの上に、赤い染みが広がっていくのがはっきりと見えた。
手が、激しく震えていた。
(俺……さっき助けたのに……大丈夫だと思ったのに……)
胸の奥から、黒い罪悪感がどんどん溢れてくる。足がガクガクと震えて、その場に膝をついた。
「俺のせい……?」
小さく呟いた言葉は、風に吹かれてすぐに消えた。
——その少し前、生徒会室。
生徒会長は窓の外を眺めながら、静かに電話を切った。
「間に合わなかったか、楽々浦君……」
ただ一言、そう呟くと、彼は何事もなかったかのように資料に目を落とした。
真守は屋上で膝をついたまま、ただ地面に広がる赤い染みを見つめ続けていた。
罪悪感が、胸の奥からゆっくりと、黒い影のように広がっていく。




